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第百二十二話

 京で起こった池田屋での一件は。

 遠く離れたここ江戸にも、知らせが届いていた。

 新撰組の活躍もさることながら。

 京に集っていた過激な浪士たちが王城である京の町に火を放ち、あろうことか天皇を連れ去ろうと画策していたことには皆、驚きと怒りを覚えた。


 特に。

 天皇の妹であり将軍御台所でもある和宮は憤りを露わにし、長州藩への感情は憎しみにも変わりつつある。

 元々、長州藩は尊攘派として朝廷の信頼も厚かった。

 だが根本的な部分での意見の相違があったのも事実であり、今回はそれを露見したことになる。



 「なんと無礼なっ!なんと愚かなっ!なんとあさましき者たちがいることかっ!」

 「み、宮さま、落ち着かれませ」

 「これが落ち着いてなどおれますかっ!あぁ、すぐにでも都に立ち戻り、帝のお心を慰めたい・・・・・此度のことでどれほどに傷ついておられることか・・・・・」

 落ち着きなくウロウロと部屋の中を歩き回る和宮。

 その後ろをオロオロとついて回る女官たちは、どうすれば和宮を落ち着かせることが出来るかと考えあぐねていた。


 「なんとまぁ。心配で様子を見に来てみれば・・・・・やはり、と言ったところか?」

 「本当に。天障院さまの仰る通りの有様でしたね」

 そう言って部屋に足を踏み入れたのは、前将軍御台所である天障院と大奥総取締役の滝山のふたり。


 「天障院はんっ!!」

 「宮さま。本日も御機嫌麗しゅう・・・と言いたいところですが。少し落ち着かれませ」

 「そう言わはりますけど」

 天障院に抱きつく形で駆け寄る和宮に、滝山はやれやれと肩を(すく)める。


 「あなた様は御台所であらせられるのですよ?あなた様が取り乱してなんとされます?どうぞ御着座下さりませ」

 滝山に促され、渋々ながらも座る和宮。

 それを見ながら天障院と滝山も正面に座る。


 「わたくしの元にも知らせが参りました。しかしながら心配には及びますまい?天子様には指一本、触れることすら叶わぬのですから」

 「それは・・・そう、どすのやけど・・・・・」

 天障院や滝山の言葉にスッカリ意気消沈した様子の和宮は、暗い顔で下を向く。


 「ですが。わたくしにも里に兄がおります故、宮さまの心配なさるお気持ちもわかります。なれど、こういう時こそ御台所として動じないことも必要・・・・・(さと)いあなた様なら、おわかり頂けますね?」

 「・・・・・・」

 コクリ。と小さく頷く和宮の姿を見ながら、天障院はクスリと笑った。


 「なにやら宮さまのそんなお顔を見ておりますと、あかねのことを思い出しますね」

 「天障院さま?」

 「こうして宮さまと打ち解けられたのも、あの者の働きがあったればこそ・・・・・1年ほどしか経たぬというのに、なにやら懐かしい気が致します」

 懐かしむような表情で微笑む天障院に、和宮も顔を上げ頬を緩める。


 「そぉどしたなぁ・・・・・わたくしにとっては姉のような母のような・・・・・そして妹のような存在どした」

 「よく、手放す決心をなされましたね?さすがにあの時はわたくしも耳を疑いました」

 「ふふっ、本当(ほん)にそうどすなぁ。自分でもそぉ思いますえ?」

 クスクスと上品に笑い声を立てる和宮からは、育ちの良さが溢れ出る。

 彼女が生まれながらにして高貴な姫君なのだと、改めて思い知らされる瞬間でもあった。


 「それほどに大切な者を何故(なにゆえ)手放されたのです?余程のお考えがあってのことと存じますが・・・・・」

 「そんな大層なことは思うてまへんのえ?ただ・・・・・」

 「ただ?」

 「ただ、兄を慕うあかねの気持ちが痛いほどわかっただけどす。本当(ほん)に、それだけ・・・・・」

 遠くを見つめるような和宮の瞳には、あかねのはじけるような笑顔が映っていたのだろうか。

 幸せそうな笑みを浮かべるその様子に、天障院も滝山もホッと胸を撫で下ろしていた。


 「なぁ、天障院はん。大事な人がいるいうのは、幸せなことどすなぁ」

 「そうですね。その人が幸せであればと思うからこそ、頑張れる・・・・・人を幸せにするのは、やはり人なのでしょうね」


 共に政略結婚ながらも夫を愛した者同志。

 そして遠くに故郷をもつ者同志。

 分かり合えないはずがない。


 出自の身分こそ違えど、今はどちらも徳川家に嫁いだ身。

 互いの孤独も寂しさも痛いほど理解出来る。

 対立していたことが今は遠い昔と思えるほど、ふたりの距離は縮まっていた。



 同じ頃。

 江戸城にいる服部半蔵の元にも、知らせは届いていた。

 もっとも。こちらは表の話だけではなく、裏の話も込みで・・・・・ある。

 その知らせを聞いた半蔵は複雑な心境を抱きながら、空を仰ぎ見る。


 頭に浮かぶのは最後に見た玄二とあかねの顔。

 あの夜の玄二は、既にこうなる覚悟を決めていた。

 それがわかったから・・・・・あの日、見逃した。

 玄二の想いを遂げさせてやりたいと思ったがために・・・・・。

 だが、あかねは・・・・・。


 (とうとう・・・・・決めやがったか、覚悟ってやつを・・・・・いや、玄二のことだから土壇場で無理矢理覚悟を決めさせるよう、仕向けたのかもしれねぇな・・・・・こんな時に傍に居てやれねぇ自分がつくづく嫌になる・・・・・)


 もしあの日。

 あの夜。

 自分が玄二を仕留めていたら・・・・・そう思うと胸が締め付けられる。


 あかねに嫌な役回りを任せて江戸に戻った自分は、果たして正しかったのだろうか?

 けれど。死を覚悟してまでやり遂げようとした玄二の想いを、踏みにじることも・・・・・やはり自分には出来なかった。

 忍びとして、男として、兄として。

 様々な感情が渦巻く。


 出来ることなら今すぐ飛んでいって抱きしめたい。

 「もういい、これ以上傷つかなくていい。朧になどならなくていい」と言って、江戸でもどこでも連れ去りたい。

 あかねを解放してやりたい。

 そんな考えを持たずにはいられない。


 だが、それを踏みとどまらせているのは・・・・・服部半蔵という名。

 この先きっと。

 あかね自身も名に縛られることになる。

 それが(おさ)になるということだ。


 ぼんやりと空を見つめ、想いを馳せる半蔵の背中に(いた)わる様な声音が届く。


 「心配か?」

 「っ!!」

 「此度のこと、あかねにとっては辛いものとなった」

 「上様・・・」

 静かに目を伏せる半蔵に、家茂は意を決したように言葉を続ける。


 「京に・・・行ってくれぬか?」

 「・・・・・は?今、なんと?」

 「今度こそ長州は京に攻め上ってくるであろう・・・・・その様子を見、報告して貰いたい」

 「わたしに上洛せよと?」

 「そうだ」

 家茂の顔をジッと見つめていた半蔵は、やがて膝を折り頭を下げた。


 「・・・・・・恐れながら、上様。そのご命令には従えません」

 「なんと?」

 目を丸くし聞き返す(あるじ)に対して、半蔵は頭を上げ真っ直ぐな視線を向ける。


 「服部半蔵は上様を御守りするのが役目。それを放棄するわけには参りません・・・・・京へは別の者を行かせることに致しましょう」

 「あかねに会わずとも、良いと申すか?」


 「我らは忍びにございます。それぞれに役割というものがございます。今、わたしが上様の傍を離れ京に上ったと知れば・・・任務を放棄したと言って、あかねは怒るでしょう。最優先にすべきは任務の遂行であって、私情ではございません。お心遣いは大変有難く思いますが、上様のお傍を離れるわけには参りません」

 「・・・・・辛い立場であるな、そなたも」

 悲しそうに眉根を寄せる家茂に、半蔵は左胸に手を当て『忠誠の証』の礼をとった。


 「いえ。上様のお傍に置いて頂けるは、この身の誉れ。わたくしなどへのお気遣いはご無用にございます。その分、御台さまを御労り下さい。此度のことで不安になっておられることでしょう・・・・・それに。それこそがあかねにとっての喜びともなりましょう」

 「・・・・・孤独、だな。そなたも・・・あかねも」

 その言葉に少し驚いた半蔵が頭を上げ、やがて柔らかな笑みを向けた。


 「それも、上に立つ者の宿命・・・です。なれど・・・・・わたくしにはそれを分かち合って下さる、上様がいて下さいます。これ以上の幸せはありません。あかねの傍にもきっと・・・・・支えてくれる者がいるはずです。ですから我らのことで、そのお優しきお心を痛めないで下さい」

 「・・・・・あいわかった。この話はここまでと致そう」


 人は皆、孤独を抱えて生きている。

 その孤独を埋めるために、誰かと関わりを持とうとする。

 友を持てば、それで救われることもある。

 だが、人の上に立つ者にとっての孤独はそれだけで埋められるものではない。

 己の背中に多くの命を背負い、ひとりで立たなければならないのだ。


 それは服部半蔵だけではない。

 朧もまた、同じである。

 そして。

 この国の長である将軍も帝も。

 背負う命の数が多ければ多いほど、孤独の闇は深い。

 底なし沼のように。

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