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第百二十一話

 鞍馬の麓に位置する朱里(あかり)の隠れ家。

 正確にいえば、そこは。

 江戸に向かうまではあかねが使用していた隠れ家(アジト)でもあった。


 朱里が出掛けたあと。

 あかねは静まり返った家の中で玄二の側に座り、既に生気の失われた顔をボンヤリと眺め続けていた。

 髪に触れ、頬を撫で、胸の傷口にそっと手を伸ばす。

 どこに触れても冷たく、それが死を実感させる。

 胸に残る傷跡は自分がつけた死の刻印。

 それを自分の瞳と記憶に焼き付ける。

 二度と過ちを犯さないために。



 「全部、聞きましたよ?」

 ゆっくりと口を開いたあかねの表情は穏やかだった。


 「最後まで守って下さって・・・ありがとう・・・・・」

 そっと冷たい頬に唇を寄せ囁く。

 もう、涙は零れない。


 「服部半蔵が将軍家のためにあるように・・・・・私もこれからは天皇家のために存在する朧として、生きていきます・・・・・玄にぃ、いえ玄武隊隊長 玄二殿の最後の教えをこの胸にしっかりと刻み、帝も里も必ず護り通します。この命のある限り、あなたの最後の願いを叶えてみせます。だから・・・・・どうか見守っていて下さい」


 玄二の魂への誓い。

 それと共に。

 自分自身への誓いでもあった。



 「よぉ言うた、あかね。今の言葉、決して忘れるでないぞ?」

 音もなく突然降り注いだその声に、あかねは驚きの表情で振り返る。


 そこに立っていたのは、現朧。即ち義母だった。


 「し、師匠っ!?」

 「これで玄二も安心して黄泉路へ旅立てるというものじゃ」

 その一言に、あかねは瞠目(どうもく)する。

 と、同時に前に会ったときの師匠の言葉が脳裏を駆け巡った。



 『今度こそ玄二を仕留めよ。2度目の失敗は認めない』



 「まさ、か・・・・・師匠は全て知ってっ!?知っていて私に命じられたのですかっ!?」

 「・・・・・・」

 「知っていて殺せなどと命じられたのですかっ!?」

 知らなかったと言ってくれっ!と言わんばかりの眼差しを向けるあかねだったが、そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれることになる。


 「そうだとしたら・・・・・なんじゃ?」

 「っ!!」

 冷たく言い放たれた師匠(はは)の言葉に、あかねは凍りつく。


 「お主は玄二を殺めずに済んだ、とでも言うつもりか?間違ってもそんな戯言(ざれごと)、口にするでないぞ?玄二の前で・・・・・そやつは立派に己の使命を果たした」

 「っ・・・・・・」


 「此度の玄二の働きは見事じゃった。それが事実じゃ・・・・・のぉ、あかね?」

 「くっ・・・・・それでもっ」

 「他の結果があったはず・・・・・か?じゃが、これが玄二の選んだ道じゃ。誰かに命じられたわけでも、強いられたわけでもない。それを忘れるでないぞ・・・・・見よ、この幸福そうな死に顔を」


 「それでも・・・・・わたしは・・・・・」

 「・・・・・これが朧になるということじゃ。それをお主は知らねばならん。そして乗り越えねばならん。その為に玄二が死んだのなら・・・・・それは天命じゃ。誰も逆らえぬ、誰もな」

 あえて『誰も』というところを強調する師匠に、あかねは言葉を失くし黙り込んでしまう。


 「玄二の(むくろ)は里で手厚く葬ることにした。お前のために生き、そして散った玄二の死を決して無駄にするではない。追って沙汰する故、暫くはここに留まることを命ずる」

 それを合図に朧の連れてきた若衆が玄二の遺体を運び去り、あかねはその光景を見ていることしか出来なかった。


 反逆者として葬られるより、功績者として葬られるなら玄二の魂も報われる。

 それはあかねにも理解できる。

 だが。心は悲鳴を上げ続けていた。


 そのまま出て行こうとする朧の背中にあかねは小さく漏らす。

 「義母(はは)さま・・・・・わたしは・・・」


 (すが)りつくような声。

 それは師匠ではなく義母としての朧に向けた問い。

 それを受け取った朧は振り返ることなく告げる。


 「己が成すべきことを成せ。それもお主に与えられし天命じゃ」


 天命。

 玄二の死は定められていた運命。

 と、同時に。

 あかねが玄二を死なせたこともまた・・・・・。

 それを変えることが出来る者などいない。

 たとえ。朧であっても。

 変えられる者がいるとすれば、それは神のみ。と朧の背中は語っていた。


 その背中を見つめ、固く唇を噛み締めたあかねはずっと疑問だったことを口にする。

 「何故、わたしをお選びになったのですか?」

 それは決して恨み言でも非難でもなく。

 ずっと不思議に思っていたこと。

 数いる者の中で、どうして『わたし』だったのか。

 こんなにも心弱く、迷ってばかりの自分を。

 何故(なにゆえ)選んだのか。


 「それもまた、天がお決めになられた天命じゃ」 

 答えになっているようでなっていない曖昧な言葉だけを残し、朧は姿を消した。

 現れたとき同様、音もなく。




 同じ頃。

 壬生村にある新撰組屯所では―


 池田屋での残党狩りに追われる隊士たちに紛れながら、銀三はとある異変に気付いていた。

 そう、あかねがいないことではなく。

 それに気づいているであろう総司が、落ち着いてることの方が引っかかる。


 以前。

 あかねが三本木に潜入していた時も、連れ去られたと知った時も。

 明らかに総司は動揺していた。


 だが。

 今回に限っては動揺するどころか、何も変化がないのだ。

 それが逆に滑稽に思えてならない。

 と、銀三は思っていた。


 (生死のわからない今の方が、取り乱すと思っていたが・・・・・存外、死んだものと諦めてしまったとでもいうのか?)

 もしそうなら。

 沖田総司という男は、思っていた以上に冷たい人間だったということになる。


 ただし。

 取り乱されたとしても、自分の口で無事を伝えてやることなど出来ない。

 それを考えれば今の状況は好都合と言えるのだが・・・・・。


 どうにも割り切れない複雑な心境を抱えながら、総司以上に取り乱している近藤たちの様子を(うかが)うため天井裏で息をひそめていた。



 ついさっき。

 朱雀隊の者からあかねの無事を知らされた。

 と同時に。

 玄二の死も聞かされた。


 その上であかねの使っていた部屋を調べてみて確信した。

 『戻るつもりはない』のだということに。


 いつもながら整理された部屋からはあかねの私物が消えていた。

 あかね自身が持ってきたものの全て。

 ただし、ここで与えられたものは残されている。

 それゆえ誰も気づかないのだ。

 あかねが自ら姿を消した、という事実に。


 恐らくは。

 この混乱に乗じて死んだことにでもするつもりだったのだろう。

 そしてその決意を固めたのは昨日今日のことではなく。


 玄二を斬ると決めたとき。

 仲間を斬る覚悟を決めたとき、だ。


 (俺自身がずっと出せなかった答えを、お前はとっくに出していたということか)

 銀三はひとり自嘲気味な笑みを(こぼ)す。

 (俺の助けなど、初めからお前には必要なかったのだろうな)

 そう思うと己自身が情けなくなる。


 面と向かって言われたわけではない。

 だが言われた方がマシだった気もする。

 何も告げず、去ると決めたことさえ告げられなかった自分は。

 あかねにとって不必要な存在なのかと。


 いや。それも致し方ない。

 自分は結局、玄二を斬る覚悟すら決められなかったのだ。

 彼女を守りたいと思いながら、何も出来なかった。


 手を差し伸べることも。

 代わりに手を汚すことも。

 共に過ごしたはずの1年は、離れていた10年と同じだった。


 遠くにいて何も出来なかった自分。

 近くにいても何も出来なかった自分。

 こんなことなら。

 遠くにいた方が、知らずにいた方が、良かったのかもしれない。



 思考が暗くなる一方の銀三の耳に、土方の囁くような声が届く。


 「こうなったら皆の動揺を防ぐ為にも、何か手を打つべきじゃねぇか?」

 「手?・・・・・というと?」

 「たとえば・・・・・屯所(ここ)は危険だと判断したから一時避難させた、とか」

 腕を組みなおし、探るような口ぶりで発案する土方に山南は大きく頷いてみせる。


 「なるほど、確かに理由としては頷けます・・・・・あかねくんの無事が確認でき次第、戻すことも可能ですし」

 「俺たちも暫くは残党狩りに精を出さなきゃならん。こんなときに隊士たちを動揺させるわけにはいかねぇからな」

 眉根を寄せる土方がもっとも心配しているのは総司のことだ。

 総司にだけは知られたくない。それが本音。


 「そうですね・・・・・何より、総司に知られるわけにはいきません。もし知るようなことがあれば・・・・・」

 「あぁ・・・・・その危険性は大いに考えられる・・・・・それでいいよな?近藤さん」

 ずっと会話に入ってこない近藤に同意を求めると、近藤は生返事でそれに答える。

 「あ、あぁ・・・・・」

 心、ここにあらず。

 そんな言葉しか浮かばないほど、近藤は憔悴しきっていた。


 「おい、しっかりしてくれよ?局長のあんたがそんな(ツラ)してたんじゃ真実味に欠ける・・・・・大丈夫、あかねはきっと無事さ」

 「・・・トシ・・・・・すまない」

 「馬ぁ鹿、考えてもみろよ?あの(・・)あかねだぜ?殺しても死なねぇような女だ。無事に決まってるさ。そのうちひょっこり顔出すに決まってらぁ」


 己を責め続ける近藤の心を、少しでも軽くしようと必死に言葉を繕う土方。

 その気持ちを察しながらも頷くことしか出来ない近藤。


 「あぁ・・・そうだな。そうだと、いいな・・・」

 「あぁ、そうに決まってる。きっと何か事情があるんだろうよ?俺たちが信じねぇで誰がアイツを信じてやるってぇんだ?」

 ふふん、と鼻を鳴らす土方に近藤もやっと顔を上げた。


 「あぁ、そうだな。信じよう、彼女を」

 「そうさ。それに、長州の奴らの一件が落ち着きゃ時間も出来る。そうなってからゆっくり探しゃいいさ。もしかするとその頃にはアイツも暇になって戻ってくるかもしれねぇがな」


 そんなその場しのぎでしかない言葉でも、充分効果はある。

 口にすれば事実になることだって少なくはないのだ。

 今は信じるしかない、いやそれしか出来ないことを彼らは心得ていた。



 そんな彼らの会話を聞きながら、銀三は「ん?」と首を傾げる。

 (沖田さんには知らせていないのか?それならあの落ち着いた様子も頷けるが・・・・・いやしかし、あかねがここにいたら沖田さんの傍にべったりついてるはずだ・・・・・それを疑問に思わないはずがない・・・あの人は謎な部分は多いが、(さと)い人だ。誤魔化し通せるとは到底思えないが・・・・・・)


 疑問は残る。

 だが、当面騒ぎにするつもりはないらしい。

 それが確認出来ただけで、今は充分だ。


 そう思いなおすと銀三はその場から姿を消した。


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