第百十九話
池田屋で一夜を明かした新撰組一行は、昼近くになってやっと屯所へと戻ってきた。
いわゆる凱旋、というわけだ。
と言っても。
総司は相変わらず意識を取り戻さないままで、怪我人もいる。
その上、死亡者もひとり出している。
元気いっぱい意気揚々・・・・・とはいかないのだが。
それでも。
屯所に帰るとなれば少し元気を取り戻したようで、皆の足取りは思ったよりも軽かった。
そんな彼らの帰りを今か今かと待ち受けていた山南は、嬉しそうに出迎えた。
そう。
山南だけが・・・・・。
「皆さん、お帰りなさい」
そう言って笑ってみせる山南に、近藤は腰の刀に手を掛け力強く答える。
「共に戦ってくれて、ありがとう。山南さんには随分と助けられた。おかげで勝ちを得ることも出来たよ」
人懐っこい笑みを浮かべる近藤に山南は心がジーンと温かくなるのを感じていた。
それは山南の魂が込められた刀・・・虎徹を示していたからだ。
「近藤さん・・・・・」
少し照れ臭そうにはにかんだ山南に、土方はなんの躊躇も戸惑いもなく問いかける。
「あかねは?」
せっかくの雰囲気はブチ壊しだったが、聞かずにはいられなかった。
「え?皆さんと一緒じゃなかったのですか?」
「いや・・・・・戻ってないのか?」
問いに問いで返されたことで、一瞬にして顔色を変えた土方に山南は首を傾げる。
「・・・・・・おかしいですね。昨夜は祇園会所の様子を見に行くと言って出たきりだったので、てっきり皆と一緒なのだと・・・・・」
「あぁ、会所には確かに来た。だが、そこで別れた・・・・・あのあと戻ったとばかり思っていたが・・・・・違うようだな」
言いながらもチラリと隣に視線を向けると、近藤の顔色が見る見る青くなっていくのがわかった。
「・・・・・すまん、トシ。あかねくんには少し別のことを頼んだから、もしかするとそのせいかもしれん・・・・・・」
「は?一体、何を頼んだんだ?」
ギロリ。と凄みがかった視線を向けた土方に、近藤は大きな身体を小さく丸めた。
「いや・・・・・その・・・・・」
明らかに歯切れの悪い近藤に、土方の視線が突き刺さる。
そこには有無を言わせぬ迫力があった。
「・・・・・ちょっと桂さんのところに・・・・・」
「はぁっ!?」
怒気のこもった土方の声に、勝利の余韻に浸っていたまわりの隊士の視線が一気に向けられる。
と、同時に。それまでのざわつきが嘘のように静まりかえった。
「ひ、土方くん。ここでは何だから、部屋へ行かないか?話しはそこで・・・・・」
「っ!!・・・・・・あぁ・・・・」
眉間のシワをより濃くした土方が肩を怒らせながら屋内に入っていくのを見届けると、山南がそっと近藤の肩に手を置いた。
「さ、局長も。行きましょうね?」
「・・・・・あ、あぁ・・・・」
まるで小さな子供が答えるかのように頷くと、背中を丸めた近藤も土方のあとに続く。
その様子を見送りながら山南は
「もうひと波乱、あるか・・・・・」
と溜め息交じりに呟いた。
近藤の部屋に入り、黙って話しを聞いていた土方は先程とは違う口調で問う。
「あんた、自分が何をしたか・・・・・わかってるのか?」
その静かな口調が怒鳴り声以上の怒気を表していて、近藤は背筋に冷たいものを感じていた。
「すまない」
「んな言葉で済まされると思ってやがるのかっ!?あんたは敵を逃がしたんだぞっ!」
「まぁ、まぁ、土方くん落ち着いて」
周りの目を気にしなくて良くなったせいか土方の声がどんどん大きくなっていき、あっという間に怒りは臨海点に達していた。
「これが落ち着いていられるかっ!!」
「そ、そうかもしれないけど、近藤さんにだって言い分が・・・・・」
なんとか落ち着かせようとする山南だったが、既に焼け石に水という具合だ。
「うるせぇっ!!どうせあんたのことだから、昔の恩をこれで返そうとか馬鹿げたこと考えたんだろぉが、今の状況で恩もクソもあるかっ!!お人好しも大概にしやがれっ!馬鹿野郎がぁっ!!」
「い、いくらなんでも、言い過ぎだよ?土方くん」
「俺が言わねぇで誰が言うってんだっ!?」
今にも殴りかかりそうな勢いで怒鳴り散らす土方に、近藤は必死で頭を下げた。
「すまん、勝手なことをしたっ!!あかねくんのことは、わたしが責任を持って探し出すからっ!!ま、まずは、そうだ!桂さんに・・・」
「ふざけんなっっ!!どこの世界に局長自らノコノコ敵陣に乗り込む馬鹿がいるってんだ!いいからあんたは何もするなっ!あかねのことは俺が考える!」
「いやっ!そういうわけにはいかんっ!!」
怒鳴り散らす土方の表情も、ガバッと顔を上げた近藤の表情も、どちらも真剣そのものだ。
そのふたつを見比べていた山南は、ふと疑問を口にする。
「落ち着いて、土方くんっ!何をそんなに焦っているんだい?いつもの君らしくもない」
「っ・・・・」
山南の言葉が効いたのか、土方は途端に視線を泳がせる。
それを見た山南に嫌な予感が襲う。
「何か気に掛かることでもあるんじゃないのかい?」
「トシ・・・・・?」
近藤と山南からの視線を受けた土方は、少し沈黙したあと意を決したように口を開いた。
「あの、部屋には・・・・・総司の倒れてた部屋には・・・・・大量の血痕が残されていたんだ。・・・・・その血の主と思われる者は見当たらなかった。あれだけの血を流して遠くに逃げれる筈はないと思って隊士たちにも探させたが・・・・・未だに見つかってない」
苦しげに眉を寄せ視線を逸らす土方に、今度は近藤が詰め寄った。
「ま、まさかっ!?その血痕があかねくんのものだと!?」
「・・・・・・その可能性も・・・ある」
平静を保とうとしている土方の声が微かに震えていた。
「いや、まさか・・・・・彼女に限って・・・・・」
「俺だってそう思いたいさっ!・・・・だが、実際にあかねは行方不明だろっ!?」
「だ、だが、彼女が池田屋にいたはずは・・・・・大体、昨日別れた時点で場所はわからなかったんだぞ?」
近藤は震える唇で必死に否定しようとする。
だがすぐに土方によって打ちのめされる。
「桂に聞いたかもしれねぇ・・・・・あいつのことだ、場所を聞いて知らん顔なんか出来るタマじゃねぇ・・・・だとしたら・・・。あの場に居たかもしれねぇ」
「ま、さか・・・・」
「もしあいつが池田屋に踏み込んだ時・・・・・総司が既に倒れてたとしたら?・・・・考えられるのはひとつだけだ・・・・・迷わずあの部屋に飛び込んだ・・・・・そして」
最悪の状況を口にしようとした土方の言葉を、近藤は耳を塞ぎ拒絶した。
「言うなっ!それ以上、言わないでくれっ!!頼むっっ!!」
「近藤さん・・・・・」
見れば近藤の顔は蒼白で、身体はガタガタと震えている。
土方の言葉を拒絶しながらも、近藤の脳裏にはひとつの言葉だけが浮かんでいた。
『死』
口にしてしまえば認めてしまったことになると思いながらも、頭から離れてはくれない。
部屋の中に重苦しい空気が流れ、それ以上誰も言葉を発しようとしない。
そこに。
天の助けか、廊下から声が掛けられた。
「斉藤です。お話し中、申し訳ありません」
「なんだ?」
少し苛立った土方の声に、銀三は少し戸惑いながらも言葉を続ける。
「沖田さんが気づかれました。どこにも異常はない様子で局長方とお話ししたいと・・・・・」
その言葉に勢いよく土方が襖を開ける。
「今行く」
迫力のある一言と共に廊下に出る土方。
目を覚ました総司に聞けば何かわかるかもしれない、という一縷の望み。
それは後に続いて部屋を出た近藤と山南も同じだった。
そんな3人の背中を見送りながら、銀三は何かあったのだと察していた。
どう見積もっても勝利の余韻に浸っていた様子はなく、祝杯をあげていた様子もない。
それどころか3人の顔色は曇っていた。というより蒼かった。
勝ち戦を終えた将の顔ではない。
思い当たることといえば。
今後の長州藩との戦ぐらいしか思い浮かばないが、それにしては様子がおかしい。
そんなことを思いながらも銀三は3人の後を追う。
それが。
あかねに関わることだと知るのは・・・・・・。
もう少し、先のこととなる。