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第百十六話

 振り上げた(やいば)の先に待つ真実。

 それはあまりにも悲しく、あまりにも残酷で・・・・・


 だが、あかねはまだその結末を知らずにいた。

 もし。

 もしも知っていたら・・・・・

 この運命(さだめ)は変えられたのだろうか?




 血の匂いが立ち込める、池田屋の一室。

 先程までの殺気は既に消え去り、ただ静かな闇だけがそこにはあった。


 その部屋の真ん中で座り込むあかね。

 声を押し殺し鼻を啜るあかねの腕には、赤く染まった玄二の身体が抱きかかえられていた。


 「・・・・・なに、ゆえ・・にございますか・・・・・」

 「俺、のために・・・・泣いてくれる、のか?」

 ポロポロと涙を零し、玄二の身体を抱くあかね。

 そんなあかねに玄二はフワリと笑いかける。


 「どうして・・・?どうして、あの時・・・・・・刀を下ろしたのですか?」

 「お前に、止めて欲しかったんだ・・・・・・俺の、この狂気を・・・・・」

 浮かべた笑みの中に見え隠れする、悲しみの表情。

 それは玄二がずっと正気だったことを示していた。


 「!!で、ではっ!?初めからそのつもり、で?」

 「さぁ、な・・・・・正気じゃなかった頃のことなんか・・・覚えてねぇさ」

 視線を外し、遠くを見つめる玄二の顔が苦痛に歪む。


 戦いの最中(さなか)に一瞬だけ漏らした、あの言葉。

 あれは空耳などではなく、玄二の本音。

 狂気に侵されたフリをしてまで、玄二は・・・・・。


 「玄にぃ・・・・・」

 「すまな、かったな・・・・・お前に辛い思い、させちまって・・・・・」

 苦しそうに言葉を途切れさせながらも、玄二は再び満足そうな笑みを浮かべていた。


 「だが・・・俺自身、自分を止められなかった・・・・・自分が正しい、のかさえ・・・わからなくなっちまってたんだ・・・・・けど、同じ死ぬのなら・・・・・お前の手に、かかりたい・・・・・お前の腕で、死にたいと・・・・・夢、叶ったな」

 玄二は自分の血で染まったあかねの頬に手を添えると、力なく笑う。


 「馬鹿、ですよ・・・・・あなたという人は。本当に・・・・・馬鹿です」

 「は、はは・・・・・そう、だな。全ては俺の、見通しの甘さが・・招いたこと・・・・だが、これで・・・お前だけは俺を、忘れない・・・だろ?」

 あかねはその手に自分の右手を重ねると、溢れ出る涙を拭うことなく精一杯の笑みを向ける。


 「こんなことしなくても、忘れたりしませんよ・・・・・」

 「そうか・・・・・そうだな・・・・・」

 「やっぱり馬鹿ですよ」

 その言葉と同時に、あかねの目からは更に大粒の涙が溢れ出す。


 「あぁ、馬鹿だな・・・・・・最後までお前を泣かせて・・・・・。だが、俺は、今幸せだ。惚れた女の腕の中で・・・・・逝くことができるのだからな」

 「え・・・・・?」

 あかねの零した涙が、玄二の指を伝いポトリと頬に落ちる。

 その温かさに玄二は苦笑いを浮かべた。


 「お前は超がつくほどの・・・鈍感娘、だからな・・・・・気づいてないだろうと思ってたが・・・・・忘れる、なよ?俺が、お前に、惚れてたってこと・・・・・」


 優しい眼差しがあかねの身体を包み込む。

 それに応えるかのように、あかねは玄二の身体を精一杯抱きしめた。


 「・・・・・は、い・・忘れ、ません」

 「なぁ、あかね・・・・・最後に、笑ってくれ・・・・・お前の笑顔・・・が、見たい」


 耳元で囁かれた力なき声。

 それが残された時間の短さを伝えていた。

 それを感じ取ったあかねが、玄二にまわしていた腕の力を緩める。


 ずっと雲間に隠れたままだったはずの月が、ふたりの最期の瞬間(とき)を見守るかのように温かな光を送ると、色を失いかけていた玄二の瞳にあかねの姿がハッキリと映し出された。


 月明かりの中。

 優しく浮かび上がった最愛の人。

 (神の・・・ご加護、か・・・)


 眩しそうにあかねの顔を見つめる玄二。

 その幸せに満ちた表情は、逆光のせいであかねには見えなかった。



 薄明かりの部屋で。

 互いの顔がしっかり見える位置で。

 ふたりの視線が絡み合う。

 涙の渇き切らない潤んだあかねの瞳に、玄二の優しい表情が映った。


 「これで、いいですか?」

 必死に笑みを浮かべるあかね。

 玄二はその顔を目に焼き付けるかのようにジッと見つめ、あかねの髪をそっと撫でる。


 「あぁ・・・・・お前には、やっぱり・・・笑顔が・・・一番似合う、な」

 「玄にぃ?」

 「里を・・・帝を・・・・・たの・・・む・・・・」

 その言葉を最後に、玄二はゆっくり瞼を閉じた。


 悔いはない、とでもいうように。

 満足そうな表情を残したまま。

 まるで眠りにつくかのように。


 「げ、ん・・にぃ?」

 玄二の身体を揺すると、あかねの髪に触れていた手が力なく滑り落ちる。


 「玄にぃっ!!玄にぃぃぃっ!!!」

 まだ温かい身体からは、止め処なく血が流れ出る。

 少しづつ失われていく体温を繋ぎとめようと、あかねは必死で玄二の身体を抱きしめた。



 「逝かれた、のですね・・・・・望みどおり、あかね様の腕で・・・・・・」

 「っ!!」

 音もなく姿を見せた朱里の言葉に、あかねは身体を強張らせる。


 「新撰組の誰かに見つかれば厄介なことになります・・・・・玄二様をこちらへ」

 あかねが顔を上げると、朱里の傍に控える2つの人影が玄二の身体を持ち上げる。


 「あ、かり・・・・・」

 朱里は玄二の握っていた刀を手にすると、逆の手をあかねに差し出した。

 「さぁ。参りましょう」


 「ま、待って、わた、し・・・・そうだ、兄さま・・・・・・」

 動かないままの総司に視線を移したあかねを、朱里が制する。


 「・・・・・心配いりません」

 「えっ・・・・・?」

 目を丸くするあかねに、朱里は静かな口調のまま言葉を続ける。


 「生きていらっしゃいます。まもなく別働隊である土方隊も到着します。兄上殿の処置は彼らに任せて大丈夫です。むしろ、あなたがここに居る方が厄介なことになるかと」

 「兄さまが、生きてる・・・・・?ほんと、に?」


 「失礼します」

 茫然とするあかねの身体に朱里は腕をまわすと、有無を言わさず連れ去る。



 あかね達が立ち去ったあと。

 玄二が居たという痕跡は何も残ってはいなかった。

 玄二の身体も、刀も。

 まるで初めからそこには誰も居なかったかのように。


 ただ。

 玄二の身体から流れ出た血だけが、そこには残されていた。



 その直後―。

 入れ替わるようにして到着した土方が、勢いよく部屋の中に飛び込む。


 静まり返った部屋の中に足を踏み入れた土方の鼻を、咽返(むせかえ)るような血の匂いが襲う。

 暗闇の中。

 倒れる者の中に、浅黄色のダンダラ羽織を見つけた瞬間。

 土方の顔から一気に血の気が引いた。


 「総司っっ!!」

 ぐったりと動かない総司の身体を抱き上げた土方。

 その身体から伝わる温もりを感じ、胸に耳を当てるとホッとしたかのような溜め息を漏らした。


 「い、生きてる・・・・・のか・・・・・驚かせやがって・・・」

 安堵の息をつくと同時に、部屋の中を見渡す。


 総司の傍に突き立てられた刀。

 部屋の真ん中に残る大量の血。

 もう動かなくなった浪人たち。


 それは。

 ここで繰り広げられた激闘の痕跡。


 「この全て・・・・・総司ひとりで?」

 ふと湧き上がる疑問。


 総司の実力ならば、有り得ない話ではない。

 だが、なぜか・・・・・。

 土方はしっくりと来ない何かを感じ取っていた。


 (あの大量の血は、誰の・・・ものだ・・・・・・?)

 言い表すことの出来ない胸騒ぎが土方の心を捉え、放そうとはしない。

 その心が、とある人物の姿を思い出させる。


 ここにはいないはず(・・・・・)の女の姿を・・・・・。


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