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第百十四話

 元治元年 6月5日 亥の刻


 三条小橋にある旅籠『池田屋』に御用改めの声が響き渡る―。



 「御用改めであるっ!!主人はおるかっ!!」

 新撰組局長、近藤勇の声と共に。

 沖田総司、永倉新八、藤堂平助が旅籠の中に足を踏み入れた。


 「し、新撰組っ!?」

 思いがけない客に、主人惣兵衛は慌てて2階に向かって叫び階段を上がろうとする。


 ・・・・・それが。

 ここにいる(・・・・・)ことを指し示していた。


 「総司っ!来いっ!!」

 「はいっ!!」


 驚きのあまり腰が抜けたのか、階段の途中から更に叫ぶ惣兵衛。

 「皆さまっ!新撰組にござ・・ぶ、ふぉっ!」

 それを殴り飛ばし、一気に階段を駆け上がる近藤の手には既に刀が抜かれていた。


 「新撰組であるっ!手向かい致せば容赦なく斬るっ!!」

 階段を上がりきり狭い廊下の上に立つ近藤と、背中を合わせるようにして立つ総司。

 そして1階に(とど)まり、逃げ出そうとする者を迎え討とうと待ち構える永倉と藤堂。


 その瞬間。

 戦いの火蓋は切って落とされた―。



 その少し前。

 対馬藩邸での所用を済ませた桂小五郎が、池田屋に向かおうと暗闇を急いでいた。


 「このような刻限に、どちらへ?」

 気配もなく、ふいに掛けられた声。

 桂は驚きに足を止めると、そこには見慣れた女の顔があった。


 「あかね、くん・・・かい?驚かさないでくれよ」

 「申し訳ありません・・・・・で、どちらへ?」

 「いや、なに、ちょっとそこまで・・・・・・って、君こそどうしたんだい?こんな夜更けに」

 「私は・・・・・・桂さんに会いに」

 にっこりと笑みを浮かべて距離を縮めてくるあかねに、桂は少し困った表情を浮かべる。


 「ほぉ、それはまた嬉しいことを言ってくれるねぇ。だが、すまない。今夜は先約があってね。また日を改めてくれないかい?」

 「いいえ。今宵でなければ意味がありません」

 桂の言葉にあかねはその表情を固くすると、首を左右に振った。


 「ははは。それはまた強引な誘いだねぇ・・・・・・だがわたしはこれで失礼させて貰うよ?人を待たせているのでね」

 あかねの横を通り過ぎようとする桂の腕を、細い指が力強く掴む。


 「お通しするわけには参りません」

 「な、何をっ!?」

 「・・・・・・」

 顔色を変えることなく、ただ真っ直ぐに前を見据えたままのあかね。

 その表情に初めて、言い知れぬ胸騒ぎがするのを桂は感じ取っていた。


 「まさかっ、彼らに何かっ!?」

 桂の問いに肯定も否定もしないが、あかねの強い眼差しがそれを暗に肯定していた。


 「は、離してくれっ!ならば尚更行かねばならぬっ!!」

 「いいえ。行かせる訳には参りません。貴方の身の安全を確保することが、(あるじ)より与えられた任務・・・・・・それを(たが)える訳には参りません」

 「あ、主!?・・・・・・君の主とは近藤くんだろう?どうして彼がわたしを助けろなどとっ!?」


 桂の身の安全を確保するように言われて来たというのなら。

 桂がこれから向かう予定の場所は安全ではない、ということになる。

 それを察した桂の顔色がどんどん青くなっていく。


 「はっきりしたことはわかりません。が、受けた恩を返す・・・・・と仰せでした」

 「恩?・・・・・・以前、君を診療所に運んだときのことかい?それなら・・・」

 「いいえ。もっと昔の・・・・・・江戸にいた頃のこと、だとか」

 「江戸にいた頃?・・・・・・!!そんな、古い話を!?」

 記憶の糸を手繰り寄せ思い当たる節があったのか、桂は驚きに目を丸くした。



 江戸にいた、もう何年も前のこと。

 まだ近藤が試衛館の当主になったばかりで、桂も江戸の練兵館で塾頭をしていた頃。

 他流試合を申し込まれた近藤は、危うく負けそうになり試衛館の看板を持っていかれそうになったことがある。

 その時、桂小五郎が助けたのだ。


 近藤の言う『恩』とは、恐らくそのことなのだろう。



 「そういうお方なのです・・・・・それに。今、桂さんまで現場に行かれれば・・・・・・此度の大それた計画。その全てに長州藩が関わっていた或いは、長州藩が先導していたと自ら認めるようなもの。お上より朝敵であると(もく)されても良いと、お思いですか?」

 「そ、それは・・・・・・」

 「今行けば、そうなることは目に見えてわかります」

 「だ、だがっ!仲間を見殺しにするわけにはっ!」

 掴まれた腕を振り払おうとする桂だったが、外れるどころか更に強く握られピクリとも動かない。

 この細腕のどこにそんな力があるのか、と。そんなことをボンヤリ思う桂に、あかねの声が容赦なく降り注ぐ。


 「では藩がお取潰しとなっても良いと?」

 「い、いやっ、そういうわけでは・・・・・・だが、しかしっ!」


 藩の名誉か仲間の命か。

 その選択肢を突きつけられて、桂の心は大きく揺れ動いていた。


 あかねの言う通り、ここで動けば仲間は助かるかもしれない。

 だが・・・・・あの計画の全貌を新撰組に知られている以上、長州藩の立てた計画だったと

思われるのは避けられない。

 つまりは朝敵。


 藩の名誉と、仲間の命・・・・・・。



 その揺れる桂の気持ちを察してか、あかねは静かな口調のままで最後の決断を促す。


 「・・・・・・なんにしても。お通しする訳にはいきません。もし、どうしてもお通りになると仰るのなら・・・・・・」

 そう言ったあかねが(ふところ)から短刀を取り出すと、スラリと鞘から抜いた。


 「な、何をっ!?」

 反射的に身の危険を感じたのか、桂は顔を強張らせる。

 その様子にあかねは首を左右に振りながら、微かに笑みを漏らした。


 「そんなわかりきったことを・・・・・・この場で自害するのです。主より与えられし任務を遂行出来ないとなれば、もはや合わせる顔などありません・・・・・・どうぞ私の屍を越えてお通り下さい」

 顔色を変えることなく、桂の腕を放したあかね。

 そのまま何の躊躇もなく。

 流れるような動作で自分の首に刀を向けるあかねの腕を、今度は桂が必死の形相で掴んでいた。


 「ま、待てっ!早まるなっ!!」

 「では。お聞き届け下さいますか?」

 「わ、わ、わ、わかった、わかったっ!君を死なせればわたしが幾松に殺されてしまうっ!だからそんな危ないものは早くしまってくれっ!頼むからっっ!!」


 懇願する桂の顔をマジマジと見つめた後、あかねはフッと口元に笑みを浮かべた。

 「そう仰ると信じておりました」

 「では初めからっ!?」

 「いえ、賭けではございましたが」

 「わたしが止めなかったらどうするつもりだったんだい!?」

 「当然。果てる覚悟で」

 にこっと笑ってみせたあかねに、桂は全身の力が抜け落ちるのを感じていた。


 「君って子は・・・・・・本当に胆の据わった女子(おなご)だ」

 「違いますよ、桂さん。女子(おなご)というものが胆の据わった生き物なだけです」

 「ははは・・・・・確かに。幾松も恐ろしいほど(きも)が据わっているからな・・・・・」

 力なく呟いた桂の表情は泣き笑いのような、なんともいえない顔をしていた。



 藩を守るために同志を見捨てる道を選ぶことしか出来なかった、苦悩の表情。

 そして、もっと早くに皆を止めるべきだったという後悔。


 もしかするとその同志(なかま)に『斬られていたかもしれない』

 ・・・・・という事実を知らない桂は、この後も自分を責めながら生きていくことになる。



 『仲間を見殺しにした冷酷な人間である』と。

 自ら十字架を背負い、己を戒める。


 それは。

 時代がどんなに移り変わっても、決して消えることのない罪だと。

 自身に言い聞かせて・・・・・・。


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