第百十一話
元治元年 6月5日 夕刻
近藤によって呼び戻された総司とあかねが部屋に入ると、そこには試衛館時代から共に過ごしている幹部たちの姿が既にあった。
遅れて入ってきた総司たちに一瞬視線を移しはするが、誰ひとり言葉を発することもなくそれぞれが土方に集中し、その閉ざされた口から語られるであろう言葉を今か今かと待ち望んでいる。
いつもなら冗談のひとつでも言って場の雰囲気を和らげてくれる原田や永倉も、土方のいつも以上に険しい表情に圧されてか顔を強張らせており、それが余計に緊張感を高めている。
その土方が近藤の着座を見届けると、おもむろに重い口を開く。
「来る6月20日前後、風の強い夜を選び・・・・・御所の風上に火を放つ」
「「なっ!?」」
「火っ!?だとっ!!」
土方の言葉を受け、その場が一斉にざわつく。
「うるさいっ!!話はまだ終わっちゃいねぇっ!!いいかっ?よく聞けっ・・・・・その同じ日、火事によって参内した中川宮と容保公を暗殺・・・」
「なにっ!!んなっ、大それた事をっ!?」
暗殺の言葉にいち早く反応を見せた原田が立ち上がると、土方の形相はますます鬼のように恐ろしさを増した。
「黙れっ!最後まで聞きやがれっ!!」
「まだ続くのかよっ!?」
信じられないとでもいった表情を浮かべる原田の裾を永倉がクイッと引っ張る。
「いいから座れ。土方さんの顔が、恐ろしい計画以上に恐ろしくなってる・・・・・」
「お、おぅ・・・・・・」
見れば土方の顔は鬼の形相を越え、この世のものとは思えない殺気と迫力に満ちていた。
「はい、続けてください・・・・・・」
大きな身体を小さくした原田が申し訳なさそうな視線を送ると、土方は咳払いをし言葉を続ける。
「・・・・・で、両名暗殺ののち、その混乱に乗じて・・・・・・天子様を長州へ連れ去る・・・・・・これが桝屋喜右衛門こと、古高俊太郎から聞き出した奴らの計画の全貌だ」
土方が言い終わると同時に、それまでざわついていた部屋の中がシンと静まり返る。
先程まで威勢の良かった原田も、彼を座らせた永倉も、どんなときでも冷静沈着に対応する山南でさえも。
あまりの内容に言葉を失っていた。
それもそのはず。
京の町に火を放つだけでも予想外だったというのに。
その上、中川宮と会津公を暗殺するだけでは飽き足らず、天子様を拐かすという暴挙にまで出るという。
驚くな、という方が無理である。
こんな計画を聞かされれば、頭に血が上るどころか逆に背筋が凍るというものだ。
そんな凍りついた空気を破るかのように、土方は更に言葉を続けた。
「奴らは尊王攘夷と言いながら、天子様の意思を否定・・・・・いや丸っきり無視しやがった。京を追われ躍起になっているとは思っていたが、既に事の善悪すらわからねぇようだ。俺たちは、それを見過ごすわけにはいかねぇ。・・・・・・おメェら覚悟を決めろっ!!相手は捨て身の攻撃を使うような輩だ。気を抜けばやられるのはこっち・・・・そうなれば京もこの国も・・・・・終わりだっっ!!」
土方の鋭い眼光が、部屋にいる全ての心を射抜く。
恐ろしい計画に震えている場合ではない。
帝を護るという大儀の前で、自分たちは負けるわけにはいかない。
相手がどんな狂気であっても。
大儀は、正義は、自分たちにある。
口には出さなくても、土方の目はハッキリ告げていた。
『ここで怯むような腰抜けは、新撰組にはいないはずだ』と。
「よっしゃっっ!!やってやるぜっ!」
「俺たちは絶対に京を護るっ!奴らの好きにはさせねぇ!!」
拳を振り上げいきり立つ幹部たちの姿を、土方は満足気に見つめ口元を緩める。
それは近藤も同じだった。
たとえ人数が少なくても。
どれほど実戦経験がなくても。
大丈夫だ、と。
「よし。では各自2、3人づつに分かれて、暮六ツまでに祇園へ向かうこととする。今夜は幸か不幸か祭りで人が多い。我々はそれに紛れて移動し、準備を整えることとする」
「言うまでもないと思うが、祭り見物の人ごみに紛れる格好で行け。絶対にまわりに悟られることのないよう、充分気をつけること。以上だ」
近藤からの指示に次いで、土方からの撃が飛ぶ。
「「「はっ!」」」
部屋の中に活気ある声が響き、それぞれが準備のために部屋を出て行く。
「総司、お前は近藤さんと共に行け」
「はいっ!」
もちろんだ。とでも言うかのように満足気な顔をする総司。
「でも。よくそんな重大な話し、聞き出せましたね?一体どんな手を使ったんです?」
ふと何気なく疑問を口にした総司だったが・・・・・・次の瞬間、黒い笑みを浮かべた土方の表情に気づき、それ以上の追求はしない方が幸せだと思いなおす。
「知りてぇなら教えてやるが?」
「い、いえ。その黒い笑みで大体の予想はつきましたから結構です。っていうか、聞きたくありません」
「そうか、そりゃ残念だ」
フン。と鼻を鳴らす土方を横目に総司は隣に居たあかねに耳打ちする。
「ホントその場に居合わせなくて良かったですよ。ね、あかねさん?」
「え、えぇ・・・・・」
平然と話しを合わせたあかねに、土方は内心毒づく。
(あかねの方がよっぽど恐ろしいっての・・・・・・)
だが、口が裂けてもそんなこと言えない土方は仕方なく話題を変えようと山南に向き直る。
「山南さんには申し訳ないが、屯所に残ってここを護って貰いたい」
「えぇ、わかっています。任せてください」
「動ける者のほとんどを連れて行くことになるが・・・・・大丈夫か?」
万が一。
古高俊太郎を取り戻そうと浪士たちが襲ってきたら・・・・・・。
山南ひとりでは持ちこたえられないかもしれない。
そんな土方の不安を一掃するかのように、山南が力強く答えた。
「心配には及びません。今夜だけは山崎くんもここに戻ってくると言ってますし、大丈夫ですよ」
「そうか。では任せる」
「えぇ。局長を頼みましたよ?」
「あぁ。任せろ」
絶対的な信頼の元に、ふたりは守るべきものを互いの肩に預けあう。
必ず生きてもう一度会おう、という約束と共に。
落ち合う場所は祇園会所。
目立つ武器や武具などは大八車に積んで運ばれることとなり、出動する隊士たちは言われた通り見物人を装って壬生をあとにする。
会津藩や京都所司代、それに奉行所にも知らせた。
全て、順調。
あとは現地で皆が揃うのを待つだけだ。
壬生を出るとき。
誰もがそう思っていた。
勝利することだけを考え、朝敵ともいうべき長州を叩き潰す。
新撰組が34名しかいないとしても。
会津が来てくれるから大丈夫、と。
誰もが疑うことなく、そう信じていた。
少なくとも隊士たちが集合する暮六ツまでは・・・・・・。
同じ頃。
長州藩邸では『新撰組によって捕らえられた古高を奪還すべしっ!』という声が沸き起こっていた。
古高奪還のため新撰組の屯所を急襲し、この機に壊滅させるべきだという過激な意見まで飛び交い、その場にいた桂小五郎は頭を悩ませていた。
(どうにも最近は過激な思想を持つものが増えて困る・・・・・火を放つだの、天子様を長州に連れ去るだの・・・・・このままでは長州は益々立場を悪くする一方。まったく高杉のやつが送ってくる若い衆はどうにも血の気が多すぎる)
そんな桂の想いに気づかない藩士たちは、話しを勝手に進めていく。
「あいつら壬生の田舎侍にはどれほど煮え湯を飲まされたことかっ!ただの農民のくせに侍の真似事なんぞしやがってっ!この機会に本物と偽者の差ってやつを思い知らせてやりましょうっ!!」
「そうだっ!あんな田舎剣法なんぞに我らが負けるはずがありませんっ!!」
「桂先生っ!!今こそ立ち上がるときですっ!」
「先生っ!」
その場の誰もが、桂の賛同を得れるものだと信じていた。
誰よりも恩師である吉田松陰を敬愛し、その恩師を奪った幕府を憎んでいた桂。
倒幕を誰よりも願っているはずの桂。
その桂が立ち上がり指揮を取ってくれれば怖いものなど何もない・・・・・・そう誰もが思っていた。
だが、桂小五郎の口から出たのは皆の待ち望む答えではなく、むしろ正反対とも言える言葉だった。
「・・・・・・確かに、古高俊太郎くんの奪還には賛成します。ですが・・・・・・新撰組襲撃などという軽挙には賛成出来ません。ましてや御所近くに火を放つなど、もってのほか」
「桂先生っ!?」
ギョッとした表情を向ける藩士。
その彼らが反論を述べる隙を与えることなく、桂は言葉を続ける。
「我々長州藩は尊王攘夷の名の下に帝をお守りすることこそ本懐。その我々が帝に御動座願うなど・・・・・話にもなりません」
「・・・・・・ですがっ!」
納得しきれない藩士たちの態度に、桂は更なる言葉を突きつける。
「それに、何より・・・・・・松陰先生はそのようなこと望んではおられなかった」
「・・・・・・」
「先生を奪った幕府は確かに憎い。だが、私怨のみで動くなど・・・・・先生はお喜びにはならない。それどころか・・・・・そんな我らの姿を見れば・・・きっとお嘆きになる。そうは思いませんか?」
「・・・・・・」
桂小五郎の心からの訴えに、その場の誰もが言葉を失っていた。
返す言葉も見つからず、押し黙ってしまう藩士たちの表情に桂は少しだけ安堵する。
(まだ、遅くはない。今ならまだ・・・・・・)
恩師の死を誰よりも悼み、誰よりも悲しんだ。
だからこそ。
もう誰も失いたくはないと思った。
武力ではなく、平和的な方法で未来を切り開く・・・・・・それこそが吉田松陰の教えだと、もう一度皆に思い出して貰いたい。
どこかでズレてしまった歯車を、もう一度元に戻したい。
「一度、皆を集めて話さなければならないと常々思っていたところです。これは良い機会。今宵、主立った者たちを集め話し合いの場を設けませんか?このまま放っておけば取り返しのつかない事態にもなりかねません」
硬く凍りついた桂の表情。
怒りを抑え願いを込めたその言葉に、もはや誰も意義を唱えることは出来なかった。
桂小五郎。
確かに知識も豊富で思慮深い。
だがその態度は時として臆病にも見える。
だが。
今回ばかりは、何よりも迫力があった。
腰に差した『絶対に抜かない』と決めた刀を、今にも抜きそうなほど。
桂は殺気立っていた。
『先生の思いを、死を、無駄にはしない』
この時。
桂の心にあったのは、そんなたったひとつの願い。
もし、この時。
桂が賛同し、この恐ろしい計画の指揮を取っていたら。
もしかすると尊攘派浪士たちの計画は実行されていたかもしれない。
あるいは。
桂小五郎という、後の世を動かすべき人材が失われていたのかもしれない。
もしもそうなっていたら。
この国の未来も変わってしまっていたのかもしれない。