第百十話 -池田屋事変-
一夜明け。
元治元年6月5日
― 運命の一日が始まる ―
早朝。
武田観柳斎が率いる小隊が桝屋の門を叩くと同時に。
潜入していた山崎は、武器が隠されていた蔵を厳重に封印した。
桝屋の身柄が拘束されたと知れば、武器を取り返しに浪人たちが押し寄せるだろうことを見越しての処置である。
朝早くから叩き起こされた桝屋の主人、喜右衛門はこちらが驚くほどあっさり縛についた。
「何の疑いかは知らぬが、逃げれば余計に疑われる。自分はあくまでも商人なのだから、身の潔白はすぐに明らかになる」と。
だが。その落ち着き払った態度が余計、土方に確信を持たせることとなる。
「普通の商人が新撰組に踏み込まれ、うろたえぬ方がおかしい」と。
そこを攻め立てられ次の言葉が出なかったのか、桝屋喜右衛門はあっさり商人ではないことを白状した。
自分は近江の郷士で、名は古高俊太郎だと。
それだけを言うと、それ以降は一切口を噤む。
どれだけ痛めつけられても、貝のように閉じられた口が開くことは決してなかった。
捕縛から数刻。
陽は高い位置へと上がり始め、夏の日差しは容赦なく照りつける。
暑さにまいるのは拷問を受けている方だけでなく、している方も同じである。
土方の指示を受け、木刀を振り下ろし続けていた隊士のひとりはあまりの暑さに意識を失いかけていた。
京の夏の暑さは江戸とは比べ物にならないほど酷く、慣れない者にとってはそれ自体が拷問に近い。
その上、風の通らぬ蔵の中でずっと動いているのである。
これではどちらが拷問されているのか・・・・・・わからない。
「口を割らねぇな、あの野郎」
一向に成果の上がらない様子に、土方は苛立ちを露わにしていた。
「あぁ。それだけに事の大きさを感じられてならい」
眉を顰める近藤が不安を口にすると、土方も深く頷き立ち上がる。
「そうだな・・・・・・仕方ねぇ。こっちも本気でやらねぇと手遅れになっちまう、か」
「トシ?」
急に立ち上がった土方を見上げる近藤。
だが、近藤の不安気な表情とは違い・・・・・土方の顔つきはどこか吹っ切れているようだった。
「あんたは心配せず、そこでドッシリ構えて待ってな。必ず俺が聞き出してやるから」
「お、おいっ!?」
それだけを言い残すと、鼻息荒く部屋を出て行く土方。
その背中に一抹の不安を覚えた近藤だったが、追いかけようとした近藤の前に立ちはだかったのは・・・朝から姿を消していたあかねだった。
「局長、お話がございます」
「あかねくんっ!?い、今までどこに!?」
「それより・・・・・桝屋の蔵が浪人たちによって開けられ、中にあったと思われる武器が奪われました」
「な、なにっ!?」
思わず声を大きくしてしまった近藤。
あかねは廊下に誰もいないことを確認し、部屋の中へ入るよう促すと静かに襖を閉め近藤に向き直った。
いつもとは違うその固い表情。
纏う空気までもがピリピリと張り詰めているのが感じられる。
近藤は促されるままに部屋に入りいつもの定位置に腰を下ろすと、先程まで土方が座っていた座布団をあかねにすすめ大きく息を吸い込む。
「話しを続けてくれるかい?」
「はい・・・・・・恐らく。彼らの狙いは・・・・・・囚われの身となった古高を奪還するため、と思われます」
「では今夜にでもここに?」
「はい。ですが、その前に・・・・・・どこかで集まり奪還の計画を話し合うのではないか、と・・・」
あかねの強い眼差しに近藤はゴクリと喉を鳴らした。
「つまり・・・・・・そこを逆に押さえれば」
「はい。奇襲の計画を立てているところに奇襲を掛ける・・・・・・よもや奴らとて、夢にも思わないでしょう。勝機はこちらにあるものと存じます」
「だが、奪還された武器は鉄砲だろう?飛び道具に対抗する術はこちらには・・・・・・」
「ご心配には及びません。鉄砲は既に使い物にならないよう、昨夜のうちに細工を施しております。奴らの使える武器は刀のみ。さすればこちらに怖いものなどありません」
「君はっ!?だから昨夜から姿を見なかったのか・・・・・・?」
目を丸くして驚く近藤だったが、あかねはその問いに静かに頷くだけだった。
「桝屋を押さえられたと知り、浪人たちがどう動くか・・・・・・これは賭けにございました。もし、奪還に動くならば・・・・・・桝屋の主人は重要人物。そうでなければ奴らにとってはただの捨て駒。どちらにしても飛び道具があってはこちらが不利と思いました故、山崎さんの協力を得て蔵の封鎖をさせて頂きました。それが早々に破られたとなれば、古高俊太郎が何かを知っているのは明白。どうあっても口を割らせなければなりません。が、それは副長にお任せして、こちらは奇襲に備えることが肝要かと」
淡々とした口調。
冷静な判断。
迅速な行動。
いつもとは違うその姿に、近藤は今更ながらに驚きを隠せずにいた。
(これが、忍びとしての本来の彼女・・・・・・これが・・・・・朝廷を護り続ける一族としての、本来の姿・・・・・)
ボンヤリとあかねを見つめる近藤。
その視線に気付いたあかねが、小首を傾げる。
「局長?」
「あ、あぁ・・・・・・すまない、続けてくれ」
うっかり余計なことを考えていたことに気づいた近藤は、表情を引き締め直すとあかねを促した。
「はい・・・・・・問題は、どこに集まるかがわかりません。何しろ彼らにとっても予定外のこと故」
「なるほど・・・・・・場所、か」
「幸か不幸か、京の町は祭り一色。人もいつも以上に多く、紛れ込むのは容易いでしょう。と、なれば・・・・・・人の多い場所で、尚且つ長州贔屓と言われる祇園あたりが怪しいかと」
あかねの言うとおり。
潜伏するなら祇園が一番彼らにとって安全な場所だ。
「確かに。だが、店の数はかなりある、な」
「はい。絞り込むことが出来ぬなら・・・・・・一軒づつしらみつぶしに調べる他はないかと思います」
「やはり、そうなるか・・・・・・」
「私ももう少し探索にあたりますが、確実な情報を得られるかは皆無。これに関しては古高を尋問したところで・・・・・・」
「あぁ。知る筈がないだろうね・・・・・・それに、奴らが動くとすれば夜。それまで目立つことは避けるだろう・・・・・・君も少し休みなさい。昨夜も眠っていないのだろう?」
近藤が思うに。
恐らくあかねは昨夜の伝令を聞いて桝屋に向かったはずだ。
だとすれば一睡もせず、戻ってきたのだろう。
疲れた表情を見せるわけではないが、無理をしていないわけではない。
「お気遣いは有難いですが、私なら大丈夫です」
「いや、休める時に休んでおかなければ身がもたなくなるよ?何しろ夜は長いのだからね」
「わかりました。ではお言葉に甘えて少し休ませて頂きます・・・・・・ところで兄さまはどうしていらっしゃいますか?」
「あぁ・・・・・・総司なら・・・・・・」
近藤に聞いた通り。
総司は壬生寺の境内で、一心不乱に刀を振っていた。
自分の昂ぶる感情を押さえ込もうとしているのか、それとも居ても経ってもいられないのか、とにかく一人で無心に刀を振り続けていた。
「兄さま?」
「あ、あかねさんっ!?今までどこにっ?」
「・・・少しお相手願えませんか?どうも落ち着かなくて」
「えっ?わ、わたしと、ですか?」
「はい。おイヤ、ですか?」
あかねの申し出に総司は明らかにうろたえていた。
思いも寄らなかったことなのだろう。
「いいえっ!そんなことはありません・・・・・が・・・・・」
「女子が相手ではやりにくいですか?」
「えっ、まぁ、そりゃあ・・・・・」
ポリポリと頭を掻く総司に対して、あかねは懐刀をスラリと抜いて見せた。
「私の得物はこの短刀。どう考えても兄さまの間合いに入らないといけません・・・・・ですが必ずしもそれが有利とは、いかないこともありますよ?」
にこっと微笑むあかね。
その言葉通り。
一瞬にして総司の懐に入り込み、一太刀浴びせようと斬りかかる。
だが、総司はそれを咄嗟に自分の刀で受け止めた。
― キ、ン・・・ ―
「ははは。今のは・・・・・・ホント危なかったですねぇ」
呑気に言ってはみたが、内心冷や汗が止まらない。
(手加減をするどころか・・・・・・本気でやらなければ・・・確実に負けますね)
「いえ、さすがは兄さまです。咄嗟に一歩下がられ刀を抜かれたのはお見事です!」
既に総司の間合いの一歩外まで距離を取っっていたあかねが、にこりと笑みを向ける。
「いえいえ、さすがと言うならあかねさんの方ですよ。思っていた以上に動きが速い。いうなれば・・・神技の域。今まで見ているだけでしたが・・・・・・剣を交えてみて、その凄さが更にわかりました。それだけの速さがあれば、間合いなど意味がない・・・・・」
「いいえ、兄さまの危機察知能力も神技の域ですよ?普通の人であれば、避けるので精一杯のところを・・・・・刀を抜き、受け止められたのですから」
「本当ですかぁ?いやぁ、あかねさんに褒められると素直に嬉しいですねぇ」
普通に会話を続ける2人だっだが・・・・・・剣を交えながらの会話である。
真剣を使っての手合わせであるにも関わらず、だ。
「不思議、ですね・・・・・・兄さまとの手合わせは初めてな筈なのに」
「えぇ。わたしも同じ事、考えていました・・・・・・わかる筈のないあなたの動きが、何故かわかる・・・・・・」
「はい。わたしも・・・・・兄さまの次の動きが何故かわかってしまいます」
「これも・・・・・・双子だから、でしょうか?」
総司の太刀をあかねはかわし、あかねの攻撃を総司が受け止める。
何度も何度もそれが繰り返される。
半刻ほどが経ち。
さすがに2人の息が上がり始めた頃。
様子を見に来た近藤が慌てた様子で止めに入るまで、それは続けられた。
「全く何をしているかと思って来てみれば・・・・・・」
「いやぁ、なんだかとても楽しくなってしまって・・・・はぁ、はぁ・・・・それに決着のつかない勝負なんて、初めてだったもので」
吹き出る汗を拭いながら息を整えようとする総司の顔は、生き生きとしていて疲れているようには見えない。
それはあかねも同じで、2人が充実した時間を過ごしたことがよくわかる。
そんな2人の顔を見て近藤も叱ることが出来ないのか、溜め息交じりに苦笑いを浮かべていた。
「でも・・・・・・近藤先生が止めてくれなかったら倒れるまで続けてたでしょうねぇ。いやぁ、止めて頂いて良かったです」
「そういえば・・・・・・局長は兄さまに何かご用があったのでは?」
「あぁっ!そうだった!!古高がついに口を割ったぞ」
「「えっ!?本当に」」
思わず声を揃える総司とあかねに、近藤は力強く頷くと屯所に向かって歩き始める。
その後ろを汗だくになった2人が追いかける。
肩に。必要以上に力が入っていた総司と。
近づく仲間との対決を前に。切れそうになるほど緊張の糸を張り詰めていたあかね。
どちらも。
程よく身体をほぐし。
それぞれに。
覚悟を決めていた。