第百五話
近藤たちが無事に大坂から戻り、山南とあかねが久しぶりにまともな睡眠を取れた翌朝。
山南の部屋には近藤と土方が揃って顔を出していた。
「昨夜はよく眠れたかい?」
「えぇ、おかげ様で」
「そりゃ良かった。昨日に比べりゃ顔色も良くなったぜ?」
「ははは。昨日までは土色に近かったですからね・・・・・・危うく屯所の早馬を走らせるところでしたよ。もっとも・・・彼女の顔色を見れば頼むわけにはいかなかったですがね」
「あっちも相当ヒドイ色してたからなぁ・・・・・」
山南の言葉に何の疑問も持たず、うっかり答えてしまったが。
『屯所の早馬』があかねを指す言葉などと、言ったことがあっただろうか?
それを問おうとした土方の言葉を遮るように山南が口を開く。
「で、どうされたのですか?」
「あ、あぁ・・・・・・」
聞く機会を逃したことは事実だったが。
今はそれ以上に大事な話をしに来たのだ、と思い返し。
近藤と土方は互いの顔を見合わせると小さく頷き合う。
「山南さんに、と預ったものがあってね」
近藤はそう告げると、大切そうに布で覆われた刀を山南の目の前に置く。
ゴトリ。と重い音が響き、見るまでもなくそれが刀だと知れる。
「刀・・・・・ですか?」
「あぁ・・・・・・鴻池さんから預ってきたんだ」
「鴻池さん?・・・・・・が、なぜわたしに?」
「あの、岩木升屋での一件・・・・・その礼、だそうだ・・・・・・あんたの刀が折れたことを聞いて、代わりにこれを、と」
言いにくそうに視線を逸らせながらも、土方が告げる。
「・・・・・・そう、ですか」
山南は短く答え、それ以上言葉を続けなかった。
「な、何も知らずに持って来られたから・・・・・・受け取る以外に方法がなくて、ね」
黙り込んだ山南の様子に焦ったのか、近藤が言葉を詰らせる。
その申し訳なさそうな声音に、山南は思わず苦笑いを浮かべた。
「すみません、気を遣わせてしまったのですね・・・・・・でも」
手にすることなく断ろうとする山南の言葉を、近藤が遮った。
「いや、山南さん。見るだけでも・・・一見の価値はあると思うよ?」
「?」
そう言われて初めて。
山南は手にするつもりのなかった刀に興味が湧いた。
ゆっくり。大切そうに。
刀を覆っていた布を開く。
「っ!?こ、これはっ!?」
「虎徹、だそうだ」
「そ、そんな名刀が、なぜ?ここに?」
いつも冷静沈着な山南でさえ、狼狽してしまうほど。
その刀には大きな価値がある。
「はははっ。同じ事、わたしも聞いたよ」
「なんでも巡り巡って鴻池さんの元に来たそうだ。で、助けてもらったお礼にと」
「・・・・・・参りましたね、これは・・・・・・恐らく・・・・・商人には宝の持ち腐れになるとか、言われたのでしょう?」
的確すぎる山南の言葉を聞き、近藤は頭を掻く。
「ご名答」
「しかし・・・・わたしが持つのも同じ事」
「「・・・・・・・」」
山南の言葉に思わず押し黙ってしまったふたり。
その顔を見比べながら、山南が思わず吹き出し言葉を続けた。
「とは、言えません・・・・・よね?いや、申し訳ない」
「いや、その・・・・・すまない。渡すべきか、これでも散々迷ったんだが・・・・・・」
おろおろと視線を泳がせる近藤の言葉から、容易にその姿が想像できる。
「・・・でしょうね。おふたりの顔を見ればわかります・・・・・・では、有難く頂戴することにしましょう。鴻池さんのお気持ちも、悩んで下さったお2人の気持ちも、踏みにじる訳にはいかないですから」
にっこり笑って刀を手にした山南を見て、ふたりは心底ホッとしたように肩の力を抜いた。
山南は手にした刀を握り、すらりと鞘から抜き去ると。
陽の光にかざし、愛しむような眼差しで刀身を眺め小さく息を漏らす。
その様子を黙って見つめながら、ふたりはすっかり安心したのか冷めてしまった茶を啜り緊張に固まっていた筋肉を自然と緩めていた。
ひとしきり虎徹を眺めて気が済んだのか、山南は刀身を鞘におさめると静かに近藤の目の前にそれを置いた。
「・・・・・・では。わたしの代わりに虎徹を使って下さいますか?」
「ぶ、ふぉっ!」
驚きの余り飲んでいた茶を吹き出した近藤が、そのままゴホッゴホッと咳き込む。
「何の冗談だ?」と言いたげな顔だが、残念ながら言葉にはならない。
そんな近藤の背中を落ち着かせるために叩いていた土方もまた、目を丸くしていた。
「わたしはご存知の通り、虎徹を使いこなすことは出来ません。なにより総長という役職にありながら・・・・・・局長をお守りすることが出来ません・・・・・・なので。この虎徹をわたしの代わりとして、使って頂けませんか?この身は局長の盾になることが出来ませんが、この刀が剣としてお役に立てるのなら・・・・・・どうか、わたしの代わりに」
あまりにも真剣な山南の眼差しに、近藤は「冗談」ではないことを悟りその表情を固くする。
「山南さん・・・・・・わたしは貴方をとても頼りにしているのですよ?刀などなくても山南さんは充分過ぎるほどわたしの支えです」
「えぇ。わかっています。けれど・・・・・・剣士として、共に戦えないこの腕が憎らしい。せめてわたしの分身になるものが局長を守れるのなら・・・・・・常々そう思っていたのです。だから、きっとこれは・・・・・・そんなわたしの願いを叶えるために、ここに来たのだと思えてならないのです。だから、どうか。受け取って下さい」
切々と語る仲間の言葉。
そこには刀を失くした剣士の切ない胸の内が込められていて、近藤も土方も言葉を失っていた。
どんなに自分たちが「必要だ」と言っても、剣士であり続けたい彼は「己を無力だ」と思い苦しみ続けている。
その苦しみから解放されることは、無いのかもしれない。
それでも。
少しでも自分で自分を許せるようになれるのなら・・・・・・。
これで山南の心が少しでも救われるのなら・・・・・・。
「・・・・・・・わかりました。有難く使わせて頂きます」
目の前に置かれた刀をしっかりと両手で持ち上げる近藤。
土方も黙ってその様子を見守っていた。
そこには確かに。
目に見えない絆が。
主従ではなく、友としての絆があった。
「ありがとう、ございます・・・・・・これでわたしも救われます。戦いの場にこの身が無くとも・・・・・・少しでも・・共に戦っている、と・・・・・・そう、思ってもいいですか?」
うっすらと涙を浮かべる山南が、ふわりと微笑む。
そこには普段見せる優しさ、だけでなく・・・・・・強い信念と剣士としての誇りが表れていた。
「あなたは今までも、これからも、共に戦ってくれています。我々の留守を守り、我々のために眠る時間すら削って・・・・・・そんなあなたを共に戦っていない、などと言えるわけがない。あなたはずっと変わらず新撰組の一員であり、わたしの大切な友です。それに・・・・・・数少ない、トシの理解者でもあるのです。頼りにしているのは我々の方です。だからずっとこのまま傍に居てください。あなたが必要なんです」
近藤の口からは。
素直過ぎるほどの言葉が、自然と出ていた。
恥ずかしいとか、照れ臭いなどと感じることもなく。
ただ、素直な気持ちが零れ出す。
言わなければ。
山南がいなくなってしまいそうな気がしたのかもしれない。
そんな不安を打ち消すために。
山南を失いたくない一心で、出た言葉。
それでも。
近藤の言葉には嘘はなかった。
局長として、ではなく。
ひとりの友として。
「ありがとう、近藤さん。本当に・・・・・・ありがとう」
心底嬉しそうに微笑む山南の頬を、温かい涙が伝う。
それを拭うことも、隠すこともなく。
山南は肩を震わせていた。
(屯所の留守をちゃんと守ることすら出来なかったわたしを・・・・・・許してくださっただけでなく・・・・・・まだ必要としてくれる・・・・・・わたしに生きる道を与えてくださったこと、本当に感謝しています・・・・・・近藤さん・・・土方くん・・・本当にありがとう)
山南は止め処なく溢れる涙を止めることが出来なかった。
何度も。
何度も。
『ありがとう』と呟きながら。