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第百二話

 翌日。


 共に下坂していた隊士の半分以上を京へと帰し人数を減らした近藤たちは、常宿を引き払い谷三兄弟の道場へと移っていた。

 理由は至って簡単。・・・・・・経費削減、である。

 ついでに言うなら。

 「大坂隊士たちの実力も見ておきたい」というのも、あるにはあった。


 その証拠に到着早々、永倉と原田は道場に入ったっきりで出てこない。

 ここのところ身体を動かしていなかったことも重なって、水を得た魚のように生き生きと隊士たちを打ちのめ・・・・・・いや、稽古をつけていた。


 土方と総司は連れ立って見廻りに出て行き、斉藤コト銀三はひとり情報収集に行ったきり戻ってこないので近藤は珍しくひとりきりだった。


 考えてみれば、ひとりになるのは久しぶりだ。

 京にいる時は必ず誰かが一緒にいた。

 あの人数で同じ場所に暮らしているのだから当然、である。

 さすがに寝る時はひとりだったが、毎日疲れて倒れるように眠っていたので考え事をする余裕などなかったのだ。


 (思えばいつも誰かの声がしていて賑やかだったな・・・・・・)

 そんな感傷に浸れるほど、ここは静かだった。

 (京を発って早十日・・・・・・あかねくんはどうしているかな)

 ふと頭を過ぎる少女の笑顔。


 こんな風にゆっくり思い出すのは何日ぶりだろう・・・・・と近藤は笑みを零す。

 部屋の外に視線を移すと、夏を思わせるほど空は青く澄み渡っている。

 (彼女もこの空を見上げているのかな・・・・・・)

 そんな子供染みたことを思う自分が妙に可笑しい。


 本来ならそんな状況ではないのはわかっている。

 だが、少しだけ現実を忘れて休みたい・・・というのが本音。

 そんなささやかな休息、ではあったのだが。


 それを現実へと引き戻したのは、この道場の主でもある谷三十郎だった。

 「少し宜しいでしょうか?」

 ふいに部屋の外から掛けられた声に、近藤は苦笑する。

 (今はそんな時ではない・・・ということか)

 名残惜しそうな表情を打ち消すかのように、自分の頬をパンパンっと叩き緩んだ顔を引き締める。

 そして大きく深呼吸をした後、来訪者に向かって入るよう促した。



 部屋に入ってきた三十郎は、唐突にこう切り出した。

 「大変申し上げにくいことなのですが・・・・・・」


 正面に座る近藤は「何事か?」とでも言うように眉を(しか)めて聞き返す。

 「なんです?」


 「・・・・・・我が弟、昌武を・・・局長のお傍に置いて頂けないでしょうか?」


 一瞬の間のあと。

 近藤は驚きに目を丸くしたまま、聞き返した。

 「・・・と、言うと?」


 「は。お恥ずかしながら・・・・・・弟昌武は三男ということもあってか、闘争心や競争心に欠けるところがありまして・・・・・・いえ、原因がわたしにあることは重々承知しております。幼くして母を亡くした弟を不憫に思い、つい甘やかして育ててしまったのですから。ですが、このままでは・・・・・・弟はひとりで生きていく力を身につけられないと、思い・・・・・・」

 切々と語る三十郎からは、兄というよりも。

 親としての気持ちが込められていた。


 「それでわたしに預けたい、と?」

 「はい。失礼ながら局長には跡継ぎがいらっしゃらない、とか」

 「あぁ。確かに娘しかいないが・・・・・?」

 急に跡継ぎの話しが出たことに近藤は首を傾げる。


 「もし、お傍に置いて頂き使い物になると思って頂ければ・・・・・是非養子にして頂きたく・・・・・・もちろんっ!使い物にならないと思われた時は遠慮なく斬り捨てて頂いて構いませんっ!」

 自分がとんでもないことを言っていることに気づいたのか、三十郎は続けざまに否定の言葉を並べる。


 「いや、さすがにそういうわけには・・・・・・!?」

 『預る話』がなぜか『養子』という言葉に変わったことで、近藤は急に焦った。

 そんなこと、簡単に決められる問題ではない。


 「いいえっ!それぐらいの覚悟をさせなければ、あの甘ったれはすぐに逃げ帰ってしまいますっ!ですから、どうかっ!!」

 畳に額を擦り付けるようにして頼み込む三十郎の姿を見ながら、近藤は断れない迫力を感じていた。

 これが、子を思う親の姿なのかもしれない。などと近藤はボンヤリ思う。


 『覚悟』という意味での養子話なら深く考える必要はないのかもしれない。

 そう思えば、この唐突な申し出も頷ける。

 ・・・・・かと言って勝手に決められる話しでもないのだが。


 「・・・・・・三十郎さん、貴方の気持ちはよくわかりました。可愛い弟の将来を案じるのも兄の務め・・・・・・ですが、養子となればわたし個人の一存では決められぬことです。養父である近藤周斎にも聞かなければなりません」

 「は、はい。ごもっともにございます」

 近藤の言葉に頷いてはいるが、三十郎の表情は明らかに落胆していた。


 「ですが・・・・・・京に戻る時は一緒に連れて行きましょう」

 「え?で、ではっ!?」

 「養子云々のことは、また追々・・・・・となりますが。修行、という形でよければこの近藤が責任を持って御預かりさせて頂きます。それで、どうです?」


 「は、はい!充分でございます。愚弟には勿体無いほどのお言葉にございます!局長のお傍に置いて頂ける、ただそれだけでわたしは安心出来ます」

 「ただ・・・・・・・・・わたしは甘やかしませんよ?」

 「もちろんです!煮るなり焼くなりどうぞお好きになさってください。それこそがわたしの望みにございます!」


 ガシッと近藤の手を握った三十郎の目には、うっすらと涙が(にじ)んでいる。

 その喜びようを見ながら、大変なことを引き受けてしまった・・・・・・と近藤は少し後悔していた。

 なにしろ。ひとりの少年の将来が自分の肩に預けられたのであるから、躊躇(ちゅうちょ)するのも当然だ。

 幼い総司を門弟として受け入れた時とは()が違う。


 (きっとトシは怒るだろうな・・・・・・こんな大事なことを勝手に決めてっ!とか、なんとか・・・・・・)

 それが容易に想像出来たのか、近藤は苦笑いを浮かべた。

 それでも三十郎の懇願する姿を見て、他人事だと思えなかったのは事実だ。


 それに、である。

 三十郎の言うとおり、跡継ぎがいないのは事実だ。

 このまま男子に恵まれることがなければ、いずれ娘婿に道場を任せなければならなくなるだろう。


 ・・・・・というより。

 妻と離れて暮らしている現状で、男子はおろか子宝に恵まれるはずはない。

 万が一、妻が懐妊したとしても・・・・・・それは間違いなく我が子ではないのだ。


 もしも。

 昌武が跡取りの器に成長出来るのなら、それはそれで有難い。

 そうならなかったとしても、それはそれで仕方ない。

 三十郎の言う通り、甘ったれの三男坊でしかなかったということだ。



 「気が(はや)り、養子などと不躾(ぶしつけ)なことを申してしまい申し訳ありません」

 「いえ。その気持ちもわかります・・・・・・何しろわたし自身も三男坊でしたから」

 にっこり笑った近藤を見て、三十郎は少し肩の力を抜いた。


 「そ、そうなのですか?」

 「えぇ。ですから覚悟をさせるための方便が必要だということも、身に染みてわかります。後は本人次第・・・というところでしょう」

 「は。必ずお役に立てるよう、昌武には充分言い聞かせておきますので・・・・・・どうぞ、どうぞ、宜しくお頼み申します」


 これ以上はないぐらいに頭を下げる三十郎の肩に、ポンッと手を置いた近藤。

 言葉にこそしなかったが、その掌からは充分過ぎるほどの優しさが伝わる。

 可愛い弟を手放すのは寂しいことだが、この人になら任せられる・・・・・・そんなことを思いながら三十郎は手の甲でグイッと涙を拭っていた。



 「大坂が落ち着けば、一度壬生にも顔を出して下さい。弟殿の新しい住まいも一度見ておくといいでしょう。京には同じ年頃の子も多くいます。皆、良き仲間であり、好敵手として励んでいます。きっと三十郎さんも安心出来ることと思いますよ?」

 「は、はい!必ず、近いうちにお伺いします」



 この時の約束を果たすために。

 三十郎は早々に上洛を決めるのだが。

 思いもかけず大事件に巻き込まれ、歴史に名を残すことになるとは・・・・・・この時誰も思いもしなかっただろう。



 動き始めた歯車は。

 冷酷にもまわり続ける。


 何かに呼び寄せられるかのように。

 人が集まる。


 誰かの思惑か。

 それとも運命だったのか。


 時代の波はすぐそこで大きな口を開けて、近藤たちを待ち構えていた。


 望もうと。

 望むまいと。


 その想いすらも呑み込もうと―。


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