第百一話
元治元年 5月16日
1月に出迎えた時とほぼ同じ場所で、将軍家茂公の江戸帰還を見送った新撰組。
会津藩からの任命を無事に果たした彼らだったが、一息つく間も泣く大阪市内の見廻りに勤しんでいた。
表向きは不逞浪士の取り締まり・・・・・・ではあったが、実際に近藤たち幹部が狙っているのは大坂西町奉行与力・内山彦次郎の動かぬ不正の証拠である。
米問屋との黒い繋がり、もしくは長州との深い関係を示す証拠さえ押さえれば追い詰めることが出来るのだが・・・・・・相手はなかなか隙を見せることもなく、尻尾を掴ませてはくれない。
だが、このまま見過ごせばいずれ大きな事件へと繋がることは目に見えている。
なんとしても内山の息の根を止めなければならないのだ。
「いっそ・・・・・・闇討ちでもするか?」
苛立ちが頂点に達したのだろう。唐突に原田が呟く。
「馬鹿言え。正当な大義名分もなしに、んなことすりゃ・・・・・・俺たちはただの殺し屋になっちまう。それに内山を消したところで何も事態は変わらねぇ」
原田同様。苛立ちが頂点に達しているはずの永倉が、思いがけず真っ当な意見を言ったことに土方は少し驚きながらも深く頷いた。
「永倉の言う通りだ。米の流通を止めているのは内山ひとりじゃねぇんだ。殺るなら関わってる奴ら全員でないと意味がねぇ。だが、会津に断りもなしに長州とコトを起こすわけにはいかねぇな。ましてや・・・・・売られたのならまだしも、こっちから仕掛けたとなれば、奴らに京を攻め入る口実を与えることにもなる」
眉間に深いシワを寄せながら煙管をふかす土方の表情には、疲労の色が滲み出ている。
こちらも苛立ちと疲労が頂点に達しているのは、明らかだった。
そもそも。
将軍の護衛という役目が終わればすぐに京に戻るはずだった。
大坂のことは谷三兄弟と大坂隊士に任せておけば良いと。
だが、もはや悠長なことを言っている状況ではない。
このまま放っておけば、間違いなく火の粉は降り掛かるのだ。
だからと言って相手も馬鹿ではない。ましてや与力ともなれば狡猾なのも当然だ。
易々と尻尾を掴ませてくれるような馬鹿なら、こんなにも長期に渡って生き延びれるはずもない。
近藤をはじめとする幹部たちが頭を悩ませる一方で、斉藤だけは別のことを考えていた。
(なぜ頭領は見逃したんだ?・・・・・・あの人のやろうとしている事って、なんだ?)
それは服部半蔵と会った最後の夜。
そして・・・・・・玄二に再会したあの夜。
半蔵の力であれば、玄二を取り押さえることは出来たはずだ。
なのに、ワザと逃がしたのだ。
「今はまだいい」と言って。
その理由が銀三には理解出来なかった。
「そのうちわかる」と半蔵は言ったが、そのうちとはいつを指しているのだろうか?
それだけではない。
玄二に情報を流す内通者のことも気がかりだ。
あかねの『朧』襲名に関しては里の全員が知っているわけではない。
あかね自身、その覚悟を決めただけで襲名自体がいつになるかなど、決まっていない状態なのだ。故に近しい者だけが知る内々の話しである。
裏を返せばその裏切り者は近しい者の中にいることを示している。
となれば。おのずと数は絞られる・・・・・・。
「・・・・・さん?・・・斉藤さんってば!」
「!?」
突然名前を呼ばれハッと我に返った銀三の目の前には、小首を傾げ心配そうにこちらを覗き見る沖田総司の顔があった。
「大丈夫ですかぁ?」
「お、沖田・・・・さん」
知らぬ間に深く考え込んでしまっていたのだろう。
顔を上げれば他の者たちの心配そうな視線が目に入る。
「そんなに怖い顔して・・・・・何を考え込んでいるんですか?」
「あ、いや・・・・・・すみません」
思わず詫びる銀三の言葉を受け、土方がいいように誤解した。
「斉藤は真面目だからな。どうすれば動かぬ証拠ってやつを見つけられるか、考えてたんだろうよ?お前もちょっとは見習え、総司」
「えぇーっ!?頭を使うのは苦手なんですもん。そういう難しいことは土方さんや山南さんの得意分野でしょ?特に・・・・・・人を罠に掛けるとか、人を陥れるとかは・・・・・・土方さんの十八番じゃないですかぁ?」
飄々と言ってのけた総司に向かってビュンッと座布団が投げられる。
もちろん投げたのは土方なのだが・・・・・・総司はひょいと身体をずらしそれを交わすと、いつものようにヘラヘラと笑った。
「もうっ、短気ですねぇ。短気はソン気って昔っから言うでしょ?」
「テ、メェっ!!総司っ、そこへ座りやがれっ!!」
「・・・・・・座ってますってばぁ」
「こ、のぉーっ!減らず口ばかり叩きやがって!」
このまま放って置けば。
間違いなくいつものケンカが始まるところなのだが。
「まぁまぁ、トシ。落ち着けって。事態が進まなくて苛立つのはわかるが、そうカッカしたって仕方ないだろう?」
今にも飛び掛らんとする土方の身体を、慌てて羽交い絞め同然で止めたのは近藤だった。
ジタバタする土方を押さえながらも近藤は苦笑いを浮かべている。
息抜きも必要だが「部屋の中で暴れられたら堪らない」というのが本音だろうか。
「総司も、だ。京に帰るのが延びたからって、苛立つのはわかる。だからと言ってトシに喧嘩を吹っかけたって仕方ないだろう?そんなことしてたらいつまでたっても戻れないぞ?それでもいいのか?」
「・・・・・・ヤ、です。ごめんなさい」
近藤の言葉に素直に謝る総司。
これには土方だけでなく、その場の全員が目を丸くしていた。
目を丸くしたのは総司が謝ったからではない。
総司の心の機微を読み解いた近藤に、である。
昔から総司の表情の微妙な変化に気づくのは近藤だけだった。
なにしろいつも笑っているから、悲しいとか苛立っているとかが表に出にくいのだ。
それをいつも見抜くのは、近藤だった。
一度だけ、土方は近藤に聞いたことがある。
「どうして総司の考えてることがわかったのか?」と。
それに対して近藤は笑って答えた。
「見てればわかる」と。
だが、土方にはわからなかった。
いつも総司の顔は笑っている。
怒ったり泣いたり、感情をむき出しにしているところなど・・・・・・ただの一度を除けば、ほとんど無いに等しかった。
それでもなんとなくわかったのは試衛館にいた頃だけ。
それも3人でいる時だけ。それ以外は途端に鎧を着けているかのようになる。
そんな総司の心をやっぱり近藤は読み解いていたのだ。
あの笑顔の奥に隠した本当の気持ちを。
(やっぱ、あんたは凄いよ)
素直に感心しながらもう一度総司の顔を見る土方。
そこにはいつもと変わらない笑顔があった・・・・・・・。
その夜。
土方はひとりの男の元を訪れていた。
と、言っても。
互いに顔を見ることはなく、丸っきりの他人のフリをしながらも言葉だけを交わらせる。
「よぉ。首尾はどうだ?」
「上々、と言いいたいところですが・・・・・・京に入るまではなんとも」
「ま、そりゃそうだな」
「そちらはまだ暫く留まられる、とか?」
「あぁ。予定外に面倒なことになっちまってな。それで、だ」
辺りを警戒するかのように視線を向けていた土方が煙管を取り出し、火を点けるために言葉を途切らせると、それに気づいた山崎烝が言葉を続ける。
「総長に伝言ですか?」
「あぁ・・・・・・数名の隊士は先に帰すが、俺たちはもう暫く帰れそうにないからな。何かあれば屯所の早馬で知らせてくれ、と」
「屯所の早馬、ですか?」
そんなものいたか?とでも言いたげに山崎が首を傾げた。
「そう言えば、わかる」
土方の言葉に何かの暗号なのだろう、と理解した山崎が頷く。
「は。承知しました」
「じゃ、そういうことで。・・・・・・・くれぐれも、気をつけろよ?」
立ち去りかけた土方だったが、急に足を止めると振り向くことなく小さく告げる。
「はい。そちらも」
山崎の返事を受け少し口元を緩めた土方だったが、そのまま歩き出す。
振り返ることもなく。
何事もなかったように。
真っ直ぐに、前だけを見て・・・・・・。