六話 He is wise in heart, and mighty in strength
「きっと死んでるのだろう、つまらんな……」
ブッカーはそう言って、ため息を吐き出しながら亡霊から渡されたメモを見る。
「……私がどんなに努力したって、どうせ子供は一人も生きて帰ってはこないだろう」
彼は目の前にある建物の番地が、そのメモに書かれてある物と一致している事を確かめる。
拉致された子供、三十一人目の少女、「カネモリ・カナ」の家。
「なにが楽しくて、こんなに報われない仕事をしなくちゃういけないんだ」
今、彼はかなり不満だった。
亡霊の言う「誘拐事件」を調べたところで、何も分るはずが無いと思い込んでいるのだ。
イツパパに関する何かが出てくる? そんなわけないだろ。
この街の番人「魔滅隊」が、私よりも何十倍も街を熟知した彼らが、何十人で、何十日も掛けて捜査を行っても成果はゼロだったのだ。
「ポッとこの街に帰ってきた私なんかが、数日歩き回った程度で何を得られるっていうんだ」
ブツブツと文句を並べながらも、ブッカーはその家の外観を確認する。
とても人が住んでいる家には見えない。
この家の「カナ」って子が拉致られたのは十日前? まだ母親が住んでる? 冗談だろ。
その建築物は、まさしく「幽霊屋敷」のような外見をしていた。
周囲の家に比べてやや大きめの敷地面積の、そこそこ豪奢な構え。
だが窓ガラス達は全てひび割れ、鋼鉄の門は煤け、外壁は所々崩壊し、剥き出しかつ一部炭化してるような梁まで見える。
庭はさらに輪をかけて異様だ。今の位置からはあまりよく見えないのだが、なにか……どうなってんるんだあれ? 土の山?
「この家で誘拐事件、か」
正直ちょっといろいろ意味がわからない。
この廃虚はどう見たって「火災現場」だ。
この場所につい数日前まで「平穏な家族」が暮らしていて、「唐突に娘が消えてしまった」なんて事件の舞台と言われてもだな――
「――あの亡霊、珍しく情報をミスったな」
概ね別件の現場、それこそ放火事件とかそういった類の住所と取り違えてしまったのだろう。
このまま帰ろうか、そんな考えが一瞬脳裏によぎったが、どうにも庭の状況が気になる。
「ただの火災でああはならないよな」
少し興味が沸いたので、敷地内に入ってみることにした。
焼けて脆くなった門を開ける際に大きな音が鳴ってしまったが、まるで気にならなかった。
どうせ、だれも住んでいない廃墟だ。
不法侵入をしてるなんて意識はこれっぽっちも沸いて来ない。
幽霊屋敷の敷地内に入り、建物を見ながら左の小さな庭に向かって歩き出す。
道中の簡素な石畳にはくすんだ灰が僅かに積もっている。
道の両脇に植えられたパンジーやらビオラやらの花々は、その鮮やかな花弁に色の無い灰が半端に付着し、毒々しい斑模様と成り果てている。
「ひでぇ」
彼はいろんな物から目を背けながらその道を進み、目的の庭に着く。
庭、十メートル四方ほどのささやかなその庭には、巨大な穴が掘られていた。
深さは三メートル程、下には何かの燃えカスが積もっている。
「なんだよ、気味悪いな」
周囲をざっと見渡す。
多分、昔はここにも花が植えられていたのだろう。なんとなく花壇の様な物が伺える。
庭の四隅にはこの穴を掘る際に出た土が、山となって積まれていた。
改めて穴の底に視点を戻す。
底にあるのはなんだ?
ここで何を燃やしたんだ?
嫌な予感がするが、穴の縁に手を掛け、すべる様に穴の底へと降りてみる。
穴の底の燃えカスの層は予想よりも厚く柔らかく、足を取られるように倒れこんでしまう。
「くッさ!」
思わず手足をがむしゃらに振り回して、飛び上がる様に体を起こす。
臭ぇ、なんだこの匂い。
なんというか、燃やしてはいけない物を燃やしまくったみたいな……
何を燃やしたんだ一体。
とりあえず燃えカスの一つを拾い上げてみる。
布だ、何か衣服みたいな?
持ち上げて良く観察してみると、直ぐにその正体がわかった。
下着だ、女児の下着。
どういうことだよ、マジで意味わかんないぞ。
「女児の下着は焼くとクサいのか?」
言って自分でも意味不明だと思うが、こんなことでも呟かないとやってられなかった。
他に何を燃やしてる? これだけじゃないだろ。
体をかがめ、もう一度燃えカスを漁ろうとしたその瞬間――
「おい、オッサン、何してる」
突如上から声が掛けられた。
顔を上げ、声のほうを見る。
一人の少女が穴の縁に立ち、私を見下ろしていた。
黒く濡れ細った筆先のようにまっすぐで長い髪の少女だ。
その瞳には凜とした強い光が宿り、細く無駄のない体にはかすかな緊張が見て取れた。
「いや、何って――」
私はそこで言葉に詰まる。
いや、体が勝手に詰まらせてしまった。
自分の意思とは関係なく全身の筋肉が蠢き、瞳孔が広がり、体が戦闘の態勢を取る。
私の意志じゃない、亡霊の命令が「実行されている」のだ。
命令、「角女を殺せ」
穴の上に立つその小柄の少女には、角が生えていた。
額から生えた二本の角。
緩やかに捩れ、艶やかな黒檀の色をした大きな角。
「私の名前はサテツだ。オッサンは誰? ここで何をしてんの? 自分の状況を良く考えて賢く答えな」
そう言って彼女は、私の持つ女児の下着をあごでしゃくる。
とりあえず下着をその場に投げ捨て、私は高速で思考を回転させた。
ふざけんな、角女ってそのまんまかよ、つーか子供じゃないか、殺せるわけ無いだろ。
幸い命令の「強制度」はかなり低い、私の命令の解釈しだいでは最悪の結末は避けられる。
とにかく子供は殺せない、絶対に出来ない、イヤだ!
私は必死に自分の体が醸し出そうとする殺意を押し殺しながら、つとめて冷静に彼女の質問に臨む。
「初めましてサテツさん、私は中央陸軍調査部のブッカーです――」
話を聞く彼女の瞳には、強い疑惑の色が踊っている。
「――今私は『児童連続誘拐事件』の調査を行っています。ここには三十一人目の被害者『カネモリ・カナ』の調査の為に来ました」
「カネモリ・カナ」その名が出た瞬間彼女の長く整った眉が、片方だけくいッと釣り上がった。
「どうしてカナの調査を?」
少女の声色は大変可愛らしいのだが、口調はその外見に似つかわしくない威圧感に満ちていた。
「いえ、単純に一番最後の被害者でしたので。逆順に被害者すべての家を訪ねるつもりでした」
できる限り正直に、誠実に、それを心がけて質問に答える。
……何故亡霊はこの娘を殺せと? 一体何者なんだこの娘は。
とにかく、今は良くない、私の状況的にも精神的にも。
「私が怪しい者じゃないと理解してくれたかな、サテツさん」
しばらく黙って私を睨むだけだった彼女に、私は出来る限り自然な笑みを浮かべてみせる。
「オッサン、一つ聞いてもいい?」
「なんでしょう」
サテツはゆっくりと左手を挙げ、私の右腕を指差す。
「なんで剣に手を掛けてんだよ」
言われて気づく、無意識の内に私は腰の短剣に手を掛けていた。
命令の所為だ。
「いや、これは――」
「おかしいだろオッサン。なんで丸腰の十四歳の少女に質問されて、武器を抜く一歩手前の警戒をしてんだ」
私をバッサリ斬り捨てるつもりにしか見えないんだよ、吐き捨てる様にそう言うと少女は私に対して明らかな敵意を露にする。
「待ってくれ、話を――」
「うるさい、何を隠してる、私の事も知ってんだろ」
「いや、話そう話せば解かる」
「問答無用!」
少女は穴の中に飛び込み、私の目の前に着地したかと思うと、素早い回し蹴りを放つ。
速ッ
私は咄嗟に右腕で頭部を守る。
「――ぐぁッ!」
少女の蹴りそれもガードの上からだというのに、信じられない程の衝撃が上体に襲い掛かる。
体重七○キロはある私の体が木っ端の様に吹き飛ばされ、穴の側面に激突する。
受身を取ることもできず、乾いた土に叩き込まれた体が悲鳴をあげる。
ありえない、何だこのガキ!?
少女に視点を戻す。
彼女は勢い良く飛び掛り、私目がけて――
「死に晒せッ!」
少女の怒号
私は咄嗟に足のバネでを地を蹴り、その場から転げるように離れる。
鈍い破壊音が鳴り響く。
直前まで私が居た場所の土の壁に、彼女の右拳が、右腕が、肘まで突き刺さっていた。
このガキ、普通じゃない、強過ぎる!
彼女は壁から右腕を引き抜けず、一瞬動きが止まる。
俺は咄嗟に腰の剣に手を掛け、引き抜こうとするが――理性がそれを許さなかった。
子供相手に剣を?
バカかさっさと武器を構えろ、殺されるぞ!
ボコッと小気味のいい音が鳴り、彼女の右腕が壁から引き抜かれる。
殺せ! さもなきゃ私が死ぬことになるんだぞ!
彼女が私目がけて再び飛び上がる。
風のように、まるで羽でも生えたかのように、美しい軌道を描きながら――
私は結局、剣を引き抜けなかった。
「……お、うぇ」
少女の飛び蹴りに正中線を貫かれ、私の体は無様に穴の底で転がった。
意識が薄れる。
視界の幅がぐっと狭くなり、体のありとあらゆる感覚が急激に遠ざかっていく。
胸の中から何かが湧き上がり、口からドロドロとした液体が漏れ出している。
「――オッサン、なんで剣を抜かなかった?」
角の少女の声が聞こえる。
だが、それはあまりに遠くの音に聞こえて、その言葉の意味を理解しようとも思えなかった。
「――おいオッサン、アンタまさか本当にただの――」
そこで私の意識は途切れた。