五話 that man was perfect and upright
「酷い死に様だな、ざまぁない不脱め」
私の説明を聞き終えると、亡霊はそう言ってせせら笑った。
――それはとても不自然な光景だった。
足の長い小さな虫が無数に這い回る、身の毛のよだつ程に不衛生なベッド。
そして、その上に寝転がる美しい貴族の女。
彼女の黄金の髪はまるで高級な織物のようにベッドの上に広がり、その瞳は宝石のように碧色の光を帯びていた。
此処は東、難民街。
そしてその中でも、特に不衛生な宿、そこの一室。
こんな安宿に泊まることになったのは、決して私の貧乏が理由なのではない。
彼女、この亡霊がそれを望んだのだ。
鍵さえもまともに掛からない、腐った木と潰れた釘で作られたゴミのような宿を選んだのは、他ならぬ彼女自身だった。
「……どうしたブッカー、何を黙っている?」
彼女はそう言うと、挑発的な微笑を浮かべる。
「いや、別になんでもない」
私はそう言って、その美しき亡霊から目を逸らした。
「なに、どうしたのさ」
彼女は澄んだ声で楽しそう言う。
僕は軽くため息をつく事でどうにか平常心と冷静さを保ちながら、腰に下げた皮袋から褐色の大瓶を取り出した。
「これ、言われたとおり取ってきたぞ」
「おぉ」
彼女はむくりとベッドから起き上がると、勢い良く私の元へ駆け寄ってきた。
「どうぞ」
瓶を差し出す。
彼女はそれを受け取ると、まじまじと中を覗き込む。
瓶の中身は大量のホルマリンと、それに漬かりきったイツパパの「脳髄」だ。
先刻の検死の時に、ドミナリアに無理を言って摘出してもらった。
幸い、イツパパは兜の類を着用してなかったため、頭部の解剖だけは容易に行うことができた。
「で、お前こんな物どうするんだ?」
「まぁいろいろとね。魔滅隊にはなんて説明したの?」
「全部お前の言ったとおりにしたさ、『その脳髄から情報を取り出す』そう説明して摘出して来た」
「よしよし、それで良いよブッカー」
亡霊はそう言いつつ、舐めるようにイツパパの脳髄を観察してる。
まるでプレゼントを貰った少女のように目を爛々と輝かせながら。
もっとも彼女は一〇代の可憐な少女なんかではない、いい年した大人である。また彼女の持つそれは、悪趣味な胆汁色の肉塊の瓶詰めなのだが。
まぁいい、閑話休題。
「それで、本当にそんな物から情報を引き出せるのか?」
「あははっ、そんな事できるわけ無いじゃん」
はい?
思わぬ返答に、私は顔を引きつらせる。
「『骨読み』っていうのは、そういう類の術ではないよ。ブッカーはそんな事も知らないの?」
知るか、知ってるわけ無いだろ。
私は喉元まで出かかった文句を飲み込む。
「これはただの罠、この脳味噌にはそれ以上の価値は無い」
動揺する私を尻目に、彼女は一方的に雑な説明をする。
「罠?」
「そう、罠」
亡霊はそう言うと胸ポケットから一枚のラベルを取り出し、それを瓶の側面に貼り付けた。
ラベルにはこの国の文字ではない、不思議な文字列が書かれている。
「それはなんだ?」
「大した物じゃない、ボンビコールだよ」
「ボンビ……何?」
彼女は質問ばかりの私に、薄い笑みを送ると。
「悪いけど、今はこれ以上説明できないかな、でも――」
そう言って、私に何かの小瓶をひょいと投げた。
私はそれを慌てて受け取る。
ちいさな透明な小瓶、中には白い小指の先程の羽虫が数匹入っている。
「――いざとなったら、その子たちがブッカーを助けるから」
「はい?」
彼女は満足げな笑みを送りながら、思わせぶりな言葉を並べ続ける
「この話はここでお仕舞い、これ以上は今のブッカーが知るべき事じゃないかな」
続きはまたいずれ、そう悪戯っぽく言うとパチンと指を鳴らした。
またいずれって――
私はいろいろ不満を感じるのだが、こう言い切った彼女は私が何をしようと、絶対にこれ以上の情報を出さない。
「……わかったよ」
私は彼女の命令に素直に従うことにする。
というか、従う他無い。
私と彼女はそういう常に関係なのだ。
その理由は至極単純で、反抗といった類の「発想」自体を私は「戻してもらえていない」からだ。
「よろしいブッカー。では次に私達の今後について話し合おうか」
「今後? そんなのここで中央からの本隊が来るのを待つだけじゃないのか?」
イツパパの検死は今の私一人では、逆立ちしたって無理だ。
検死ができない以上、何をするわけにも行かない。
もし証拠も無しに「イツパパ殺しの犯人探し」なんて始めようものなら、あのドミナリアに何を言われるか――
「ここでずっと不貞寝してるつもり? 仕事をしろ仕事を」
亡霊はそう言って大げさに笑ってみせる。
美しい黄金の髪が、風に晒される焔の様に揺らめく。
「ブッカー、君はこの街で多発している『児童連続誘拐事件』について調べてほしい」
「はい?」
児童誘拐事件? なんだそれは?
「児童連続誘拐事件。俺の見る限りじゃ、あのブッカー、そっちの事はまったく認識していないようだったな――」
焼き魚のガツガツと頬張りながらも、ドミナリアは言葉を続ける。
「――まぁ当然といえば、当然だ。中央も一々そんな小さな事件は気にせんのだろう」
彼はそう言うと口の中の塩辛いそれを飲み込み、ミカゲの様子を伺う。
「少々楽観視しすぎていないか?」
醒めたような覇気の無い声で、ミカゲはドミナリアの推測をそう斬り捨てた。
「楽観視? ただ俺は事実を言ってるつもりだが」
「……たしかにブッカーはまだ誘拐事件を知らないかもしれない、でもそれは現時点での話だ。『まだこの街に帰ってきたばかりで、死体を検視しただけ』という時点での話」
ブッカーは今頃イツパパの情報を集めて廻るだろう、ミカゲはそう言って重苦しい息を吐き出した。
「どうだろうかミカゲ、それは少々杞憂では?」
たった一ヶ月の間に三十一人。
三十一人もの児童が行方不明になった。
まるで煙のように、忽然と消えていった。
それまで極普通に暮らしていた子供が、いきなり、唐突に、誰からもその瞬間を目撃される事無く姿を消す、そんな不可解な事件。
消えた児童達の共通点は三つ、血液はО型、年齢は十~十四歳、性別は女。
それ以外の共通点は皆無。
管理階級の良く太ったガキから貧民の筋張ったガキまで、見境無く消えていった。
残された家族達の悲鳴に焚き付けられた魔滅隊は、この事件解決の為に一ヶ月もの間、真相解明の為に散々走り回ったのだが……
……結局、何一つ分らなかった。
犯人はもちろん、その手口も、目的も。
いやそもそも子供達は「誘拐」されたのか、それとも「自主的に姿を消したのか」それさえも断定できなかった。
「杞憂ではないさ。彼、ブッカーが少しでもこの街で聞き込みをすれば、直ぐにその事件に行き着くだろう」
難民街の民の多くは「児童連続誘拐事件」と「獣人」に関連があると考えている。
それはまぁ、当然だろう。
僅か一ヶ月で三十一人もの児童が消え、さらに魔滅隊が幾ら調べようとも何一つ分らない。
そんな冗談染みた現象を実現できるのは「獣人」か、せいぜいこの街に潜り込んだ「魔術師」ぐらいだろう。
事実、イツパパの死後、あれだけ続いていた児童の誘拐がピタリと止んだ事も、その噂の信憑性をより高めていた。
「調査官の仕事は『首領からの情報の引き出し』だろ? まさかそんな三文小説の探偵みたいな事を始めるかね?」
ドミナリアの見た限りでは、あの男、それ程仕事に熱心人間とは思えなかった。
むしろ不真面目でズボラで言われた事しかできない、典型的な「仕事の出来ない人間」という評価を下していたのだが。
ミカゲは考え込むように口に手をあて、目をゆっくりと瞑った。
「……そうだねドミナリア、僕は少し悪いほうに考え過ぎているかもしれない」
「まぁ、お前のその気持ちも分らんでもないがな」
ドミナリアはそう言うと、薄汚れたコップの中のぬるい水を一口飲み、仕切りなおすように椅子に腰掛直した。
「でだ、ミカゲ、俺はそれよりブッカーの持ち帰った『脳髄』の方が心配なのだが」
「わざわざイツパパの死体を解頭したんだっけか?」
骨ノコを八本も使って、黒く腐った血に塗れ、親指ほどに育った寄生虫に噛まれながらの作業だったという。
「実際問題、あんな脳味噌から情報を取り出す事なんてできるのか?」
「どうだろうか……正直、かなり嘘臭いよ」
死後数日経った腐乱死体の、それもろくに解剖学の進んでいない獣人の脳髄。
そんな物、人間の術式の及ぶ範疇にあるとは思えない。
「だが、あの医術学校の英才だったのだろう?」
「そう、なんの考えも無しに解頭を行ったとは思えない」
ブッカー、君は何をしようとしてるんだ? ミカゲはそんな言葉を口の中で転がすと、ため息を一つ吐き出した。
「――まぁいい、俺が何とかする。お前は動くんじゃないぞ」
ドミナリアのその宣言に、ミカゲはただ黙って頷いた。