四話 And why dost thou not pardon my transgression
「死んだと思っていた――」
狐の様に細く冷たい目をしたその男は、そう短い感想を漏らした。
「――それにしてもあのブッカーが調査官か、愉快な話だ」
そうは言うが男の様子はちっとも楽しそうではない。
硬く感情に乏しい表情のまま、手元の肉を小さく切り分けている。
「やはり知っているのか、ミカゲ」
ドミナリアは味の濃い揚げ物をバリバリと頬張りながら、細身の男にそう尋ねた。
細身の男の名は「サクラ・ミカゲ」
この難民街唯一の医者にして、中央医師団の面々に引けを取らぬ凄腕の医師。
医者、彼はそう呼ばれると「僕ははただの薬師に過ぎない」と謙遜し、刃物を使った治療を嫌がるのだが、それでもここ難民街の住人は誰一人例外無く彼の腕を頼りにしていた。
「あぁ知っているよ、ブッカー、『骨読みのブッカー』なんて呼ばれていたっけな」
ミカゲは懐かしむように細い目を更に薄くする。
「彼はお前の名が出た途端、明らかに昂ぶっていた様子だったよ。そしてそれを必死に隠そうとしていた。お前とその『骨読みのブッカー』とはどういう関係なんだ?」
「懐かしいなぁ、医師候補生時代の同期だ、同じ医術学校に通っていた」
そう言うとミカゲは一番小さい肉を口に入れ、それを噛まずに飲み込む。
「ホワイトリフトの医術学校か?」
「そう、学校では難民街出の僕は肩身が狭くて困っててさ、同郷のブッカーが数少ない友の一人だった」
医術学校はこの国が特に力を入れている教育機関の一つである。
それ相応の学力さえあればどんな身分の人間であっても入学する事ができ、国からの手厚い保護の下様々な医療を学べた。
もっとも、その「相応の学力」を持つ事が出来るのは、大抵が恵まれた産まれで恵まれた素養を持つ「相応に身分の高い人間」だけだったが。
「ブッカーも此処の出身なのか?」
「少なくとも育ちはそうだよ。産まれは知らない、名前からして中央っぽいけど」
ここ東の命名法則は、基本的にカースパイアの物に則っている。
たとえ国が滅びてしまった今でも、いや滅びた今だからこそ、彼らは自分達の名を重んじ、それを受け継いできた。
ちなみにドミナリアのその名は、西の命名法則である。
彼もまた、ここ東の出身ではない。
「それで? 医術学校に通っていたエリート学生さんが、どうして調査官なんて泥仕事をしているのだ?」
「さぁ、僕も知らないよ。僕がブッカーを知っているのは三回生の彼まで。彼は四回生にならなかった」
「なにがあった?」
ドミナリアは興味をそそろられたらしく、身を乗り出して聞く。
「わからない。ブッカーはいきなり学校から消えたんだ、それこそ煙みたいに」
突然のブッカーの失踪、それは当時学内で大変な騒ぎになった。
才能溢れる生徒、エレメンツ候補生の一人、三回生にして既に二つ名の持ち主、そんな学園きっての英才がいなくなってしまったのだ。
先生達は血眼になって情報を集め、決して少なくない数の生徒達が彼の足跡を見つけ出そうとした。
当然、ミカゲもブッカーを探した内の一人だ。
それもただ探しただけじゃない、結果として四回生への進級に失敗するほどブッカーの捜索に助力した。
――ブッカー、まさか今になって。それもこんな形で。
今のミカゲの内心は複雑だった。
ブッカーの生存が確認できた安堵は勿論あるが、それ以上に困惑が大きい。
「良かった」だけでは割り切れない、複雑でささくれた感情が頭の中で渦を巻いている。
「ふぅん、なるほど。それは奇妙な話だな」
ドミナリアは食べ終わった揚げ物の皿を除け、骨付きの太い肉を齧り始める。
「あぁ奇妙な話だったよ。今でもホワイトリフトの学生達には『怪談話』の一つとして語り継がれてるんだってさ」
神隠し、悪魔の仕業、禁術に取り付かれた学生、いろいろなパターンがある。
「どんな奴だったんだ、当時のブッカーは」
ドミナリアは質問を続ける。
今日のドミナリアは随分と良く喋る、普段はもっと厳かで、落ち着きのある老人なのだが……。
無理もない、不安なのだろう。
ブッカーは優秀、かつミステリアスな人間。
その彼が中央側なのか、東側なのか。
味方なのか、敵なのか。
「強い人だったよ、強くて、邪悪な人だった」
ミカゲの言葉に、ドミナリアの表情が曇る。
仕方ない、これは事実なのだから。
「骨読み」それは決して良い意味だけの二つ名ではなかった。
彼は医師としての禁忌を幾つも破った。
いや、ただ破ったのではない。恐らく彼は「禁忌を破りたいがために」医師になった、そんな直感をミカゲは強く抱いていた。
「なぁミカゲ……」
深いため息の後、ドミナリアが口を開く。
「……お前はもうアレには手出しするなよ」
強い口調でそう命じた。
だがミカゲはそれに屈さず、抗議の視線を返す。
「なに今更そんな事を、いざとなったら僕が――」
机を拳で叩く重い音、それによってミカゲの言葉は遮られた。
ドミナリアは硬く拳を握り締め、燃える様な怒りの篭った強い目でミカゲを睨んでいた。
「サテツのことを考えろ。お前が居なくなったらあの子はどうなる」
老人のその言葉は、彼の心に深く突き刺さる。
ミカゲはもうそれ以上、何も言い返せなかった。