二話 His children are far from safety
「死なせてしまった――って」
それじゃあ困るんだよなぁ
私は青空に向かってそんな文句を溶かしこんではため息をつく。
死んでしまっては、なんにもならないのに。
生かす必要があった、絶対に生かさないと駄目だったんだよ。
そうじゃないと、私はもうカナに会えない。
会えない、会えないなんて……
「おねーちゃーん!」下から私を呼ぶ声がする。「サーテーツおねーちゃーん」
私は首だけを傾けて、その舌足らずな声の主を見る。
「いた! サテツおねーちゃん! 危ないよ、そんな所で眠っちゃ駄目だよ」
私より五つ歳下のその子「シズカ」は、テディベアのように黒目を大きくして、木の上に横たわる私を心配してる。
「大丈夫だよ、アンタと違って落ちないから」
そう言って私は、とりあえず意味も無く手を振ってみせる。
「私も落ちてないよ! ってそうじゃなくて、それじゃなくて、サテツおねーちゃん! 馬車が来たんだよ!」
「馬車?」
シズカはすっかり興奮した様子で要領の得ない言葉を並べる。
私は今みたいな、ちょっと興奮気味のシズカの姿を見るのが好きだ。
ぬいぐるみの様に目を大きくして、子猫みたいに毛を逆立てて走り廻る。
見ててなかなか可愛らしい、ずっと眺めてたい。
「そう馬車! 中央から! 獣人のシュローのジンモンが来たんだよ!」
獣人首領を尋問しに、中央から人が来た。多分そう言いたいのかな。
「あっそう」
「一緒に見に行こう、みんなもう行っちゃったよ、行ってないの私とおねーちゃんだけだよ!」
なんだ、そういう事ね。
私は起こしかけてた体を、また木の枝の上にごろりと倒す。
「いいよ、私は……行かない」
行ったってどうせ、何もない。
私はまだ何か言ってるシズカの声に耳を塞いで、再び視線を遠くの景色に戻した。
――私が今座ってるこの木は小高い丘の上に生えている、ここからなら難民街が何処までも見渡せる。
まっ平らな平地に何処までも広がる、低い建物の海。
薄汚れて、無秩序で、ちんけで、目隠しされた赤ん坊がめちゃめちゃに作った玩具みたいな街。
私はこの街が嫌いだ。
でもこうしてこの街を眺めるのは結構好き。
こんなめちゃくちゃな世界を見てると、どんなに理不尽な事も、辛いことも、それがとても自然でありふれた事な気がしてくる。
孤独じゃない気がしてくる。
「なんでサテツおねーちゃん! カナおねーちゃんが見つかるかもよ!」
少女の言ったその名が私の意識をかき乱した。
カナ、私の大切な親友の名。
獣人に攫われた子ども達の一人。
「アイツは、もう戻ってこないよ」
下の少女に聞こえないよう、小さな声で私は呟く。
アイツを攫ったイツパパは、もう死んでしまった。
だから中央からどんな人間が来て、なにをどうしようと、きっともうアイツは戻ってこない。
もう、死んでるんだ。
死。
その単語が胸に浮かぶたびに、私は奥歯がギリギリと鳴る程噛み締めてしまう。
いろんな感情が胸の中でカッカッと弾け、口の中にすっぱい物が広がる。
「お姉ちゃん!」
シズカの大声。
見ると少女は今にも泣き出しそうな表情で、捨てられた子犬みたいに私を見上げている。
「カナおねえちゃん、帰って来るよね? 他のみんなも戻ってくるんだよね? 悪いシュロー捕まったから、みんな帰って来るんだよね?」
涙目の少女が、縋るように私を見ていた。
……何してんだ私、自己憐憫もほどほどにしないと。
「帰ってくるよ」私はそう言うと体を起こし、木から飛び降りる。「きっと帰ってくるから」
ほら泣かないで、言いながらシズカの涙を拭いてあげる。
彼女はしばらく良いように顔をムニャムニャされるが、やがて無理矢理私にギュッと抱きついてきた。
「もう泣かないでってばシズカ、一緒に馬車を見に行こう」
だから離れて、ほら歩けない。そう何度も声を掛けてやっても、シズカはしばらく私にしがみついたままだった。
――随分な数の魔滅隊が配置されてる。
それが雑貨屋の屋上から北門を見た私の第一の感想。
「馬車見えないよー」
そう言ってシズカがくずった。
ここ北門前の広場は今、難民街中から集まった野次馬達でごったがえしている。
正確には「北門前の広場」ではなく、「北門前の広場が臨める場所」って表現したほうがいいかも。
等の広場は摩滅隊が完全に封鎖していて、私達野次馬は宿屋の二階部屋のテラスとか、酒場の屋上とかにギュウギュウになって広場を眺めていた。
野次馬の半分は純粋な好奇心、羨望、そして期待こもった目。
残りの半分は……
「ほら、シズカ」
私は彼女を肩車してやる。
「どうだ、見えるか?」
「うん、なんとか」
その時、最前列を陣取ってた雑貨屋の主人が私達に気づいた。
「よぉサテツ、シズカ」
彼は酒やけした大声で私達に呼びかけると、わざわざ道をあけて通してくれた。
「ありがとう、おじさん」
シズカは実に子供らしくお礼を言って、安全柵に齧りつくようして馬車を見つめた。
「どんな感じなの?」
と、私は彼に尋ねる。
「一足遅かったな、調査官はついさっき摩滅隊隊長さんにつれられて、収容所にいったぞ」
随分貧弱そうな青臭い若造だったよ、あんなので大丈夫か。主人は半分独り言の愚痴を漏らす。
「じゃあ、今あの馬車に乗ってる人は誰?」
「え?」
馬車の小さな窓から、僅かに人影らしき物が見える。
「見えない? 女性……っぽいけど」
「わりぃ、俺は目が悪いから良く見えねぇや」
私は柵から身を乗り出して、じぃっとその女を凝視する。
かなり高そうな服を着てる、目つきが悪い、年齢は三十手前ぐらいだろうか。
なんとなく、彼女もこっちを視てるような気がした。
「確かに調査官の馬車にしては随分豪奢だ。サテツの言うとおり、貴族か何かが乗ってるのかも」
「お高く止まってるんだ、気に入らない」
私はそう言ってツバを吐き捨てる。
丁度真下に居た魔滅隊の何人かが私を睨みつけて来たが、一向に構わない。
寧ろ睨み返してやる。
――いいのかお前ら、中央にナメられてんだぞ。
昔、それこそ私がシズカぐらいの歳だったころ。
街を守る魔滅隊の姿は私にはとっても頼もしく思えて、羨望の対象だった。
いつかは自分も魔滅隊にはいって、あの蒼いマントを着て、百人隊長を務めることが夢だった。
でも今は違う、いろんな事が分るようになるにつれて、魔滅隊への憧れは風化してしまった。
「穢れた戦士」「忌むべき野蛮人」中央の人間は魔滅隊を影でそう揶揄する。
何故なら彼らは裏切り者だから。
魔滅隊の構成員は皆、元「魔術師」だった。
魔術師、それは獣人に組して力を手に入れた人間。
穢れた人間。
――つまるところ魔滅隊とは、かつて人類を裏切り獣人側についた者達の集まりなのだ。
本来なら即処刑されるべきなのだけど、その魔術の有用性故に、特例的に生きることを許された罪人達。
それが魔滅隊の正体だった。
だから彼らは、立場的にとても弱い。
圧倒的な強さを誇る部隊なのに、異端審問官たちにガチガチに縛られ、虐げられている。
それは仕方の無いこと、彼らは罪人なのだから。
中央の人間はそう言う
そしてそれを難民街の人々は受け入れている
だから魔滅隊も、その理屈を飲み込んでいる
――歪んでる、何もかも。
私はもう一度、勢い良くツバを飛ばした。