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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第2話 賢者と魔王のお仕事
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 それから、ほとんど会話もないままに夜がやってきた。食欲がないという頼成を部屋に置いて、るうかは佐羽に案内された食堂で夕食をとる。昼間のカフェでもそうだったが、飲食物の味は現代日本とそう変わりないようだ。ランチメニューにあるような軽めのパスタセットで腹を落ち着けた後、るうかは小さく溜め息をついた。佐羽が微笑みながら問い掛ける。

「疲れた?」

「結構」

「無理もないね。……初めての、この同じ夢の世界はどう?」

「分からないことばっかりです。大体どうして私があんなところに?」

「当然の疑問だね。女子高生をあんなところに閉じ込めるなんて性質の悪い変態のすることだ」

 佐羽が言うと変な説得力のある言葉だった。るうかはひとつ頷いてから佐羽に問う。

「ところで、槍昔さんには教えてもらえなかったんですけど」

「うん?」

「私の“呼び名”は何なんでしょうか?」

 頼成は“賢者”で佐羽は“魔王”。その呼び名も仕事も何となく分かったが、るうか自身のことといえばとんでもない腕力が身に着いたというくらいで他には何も分かっていない。自分のことが分からないというのは意外と応えるもので、るうかはできればそれを早めに知りたいと思っていた。佐羽はううんと難しい顔をする。

「それは俺達が決めることじゃないんだよ」

「槍昔さんにも似たようなことを言われました」

「でしょう? 誰かがそう呼んだから、俺は魔王で頼成は賢者なんだよ」

「でも槍昔さんは正解を知っているみたいでした」

「ごめんね、俺も知っているよ。それでも、言いたくないんだ」

 にこりと笑って、佐羽は言った。正直に言うとそういうことなんだよね、と。

「俺達がそう呼べば、君は決まってしまう。たとえそれがどうしてもそうならなくちゃならないことだとしても、俺達は決めたくないしできれば先延ばししたい。だから、誰かが呼ぶのを待っている。それで君がそれを知るなら仕方ない……ってね」

 るうかには意味の分からない理屈だった。分かったのは彼も頼成もるうかの“呼び名”を告げる気はないということだけだ。しかもこの分では殴っても教えてもらえそうにないだろう。魔王・佐羽はデザートのパンナコッタをスプーンで一掬いしてその緩く曲線を描く口元に運ぶ。落ち着いた動作の中にわずかの緊張が見て取れた。

「美味しいよ」

 ふんわりと微笑むその表情はとても魔王のそれには見えなかった。どこにでもいる大学生、というにも少し違った。何の肩書きも持たない、佐羽という青年がそこにいるだけなのだろう。るうかはそんな彼をまじまじと見て、うんと小さく頷いた。

「美味しいです」

 るうかのデザートはクレーム・ブリュレ。結局ここはどこの文化圏なんだと問うこと自体が意味のないことなのだろう。客の服装を除けば、そこは日本にある小さなレストランと何も変わらない。魔法なのか何なのか、明かりも電灯が使われている。そんな空間でデザートをつついている自分が一体何なのか、るうかにはよく分からなくなっていた。

「明日、数学の小テストがあるんです」

 ぽつり、とるうかは言った。そうなんだ、と佐羽は頷く。

「数学は得意?」

「普通です。平均くらい」

「じゃあそんなに心配ではないのかな」

「英語の課題もあるんです」

「明日提出なの?」

「はい。英語は苦手で」

「ちゃんと終わった?」

「一応。でも間違っているかもしれません」

「英語は得意だから、良かったら教えてあげるよ。どういうところが苦手?」

 これでも俺は春大文学部の英文科だからね。そう言って佐羽はにっこりと笑った。テキストを持って来ればよかったとるうかは言い、それができたら便利なのにねと佐羽も頷く。

「こっちの世界にパソコンを持ち込めたら、課題も論文もたっぷり時間を取れるのに」

「大学ってやっぱり大変ですか、課題とか」

「高校とは比べ物にならないよ。資料探しから始めないとならないしね。るうかちゃんは、進学希望?」

「一応……親は行かせてくれるって言うし」

「将来の夢とか、なりたい職業はあるのかな? それによると思うけど」

「それが、あんまり」

「あはは、奇遇だね。俺もだよ」

 何がそんなにおかしいのか、佐羽は声を立てて笑った。るうかは少し腹立たしいような、情けないような気持ちで彼を見る。彼はごめんごめんと素直に謝罪の言葉を口にした。

「だったら、もうちょっと考える時間を持つためにも大学に行くのは悪いことじゃないんじゃないかな。なるべく得意な、好きな科目を中心に学べるところに行くといいよ。興味のあることじゃないと勉強しようって気にもならないからね」

「そうですね」

「ちなみに、頼成は薬学部。何となく分かるでしょ?」

 今は宿屋で休んでいる友人の名を出して、佐羽はにんまりと笑みを浮かべる。るうかは深く頷いた。何となくではあるが、医療系の学部のような気はしていたのだ。佐羽はそんなるうかの反応に満足した様子で続ける。

「頼成も元々はあんまり進路をはっきり決めていたわけじゃなかったんだ。小学生の頃から理科は好きだったって言っていたけどね。でも高校生になっても進路を決めてはいなかった。それがあるときちょっとしたきっかけで、医療系を目指すことに決めたんだ。で、そこから猛勉強。部活もね、結構いい線いっていて、頑張っていたのにやめちゃって。夜遅くまで学校に居残って勉強していた。分からないところはしつこく先生に聞いて、先生がもう来ないでくれよって苦笑いしちゃうくらい。それだけ頼成は真剣だった」

 一気に喋って、そこで佐羽は残っていたお茶を一口飲んだ。苦そうな顔をして、そして再びゆっくり話し出す。

「るうかちゃん。まだ実感は湧かないと思うけれど、俺達が学生をやっている現実とこの同じ夢の世界は決してバラバラのものじゃない。頼成は賢者としての腕を磨くために医療系に進んだし、実際それで頼成の魔法の精度はどんどん上がっていっている。俺は遊んでいるだけだけどね。魔王の修行なんて学生として学べるものでもないし。だから……きっと、君もこれから色々考えることになると思う」

「……」

「焦らないで」

 佐羽はにこりと笑って小首を傾げた。

「ここでも、向こうでも俺達は君の先輩だから。教えてあげられることはたくさんあるよ。心配しないで」

 頼っていいよ。そう言って佐羽はまた人好きのする笑顔をるうかに向ける。思えばその笑顔に出会ったことがるうかにとっての始まりだった。


 それは先週のこと。

 るうかは通う高校から程近い春国大学、通称春大のメインストリートを自転車で走っていた。高校から自宅に帰るとき、ここを突っ切ると近道なのである。春大は多数の学部を備えた総合大学で敷地も広い。建物内はともかくとして敷地内の部外者の出入りにも特に制限はなく、メインストリートの横に広がる緑地では近所の老夫婦が散歩しながら談笑している。修学旅行生と思われる見たことのない制服の一団が建物の写真を撮っている光景もよく見かける。

 そしてるうかがメインストリートから脇道へと入ろうとしたとき、ちょうど同じように向こうから走ってきた大学生らしき青年の自転車がるうかの自転車の前籠をかすめた。るうかはバランスを崩して転倒したが、大学生はそのままこちらを見ようともせずに走り去ってしまった。るうかはしばらく過ぎ去った相手の後ろ姿を睨んでいたが、どうしようもないと諦めて立ち上がった。チッと大きく舌打ちをしながら。

 するとそんなるうかに後ろから声をかけたものがいたのだ。それが落石佐羽だった。

 彼はあの時も今のように他愛もない話から始め、そのうちるうかの表情が冴えないと控え目に指摘したのだ。そしてるうかは最近よく同じ夢を見るのだということを話した。詳しい内容までは話さなかったが、気になる夢なのだと。そうしたら佐羽はうんとひとつ頷いてこう言った。

「そういうことならいい人がいるよ」


 そこから転がるように事態が進んだ気がする。結局あの時佐羽が言った「いい人」とは誰のことだったのだろう。頼成のことかとも考えたが、どうもそうではない気がする。きっとあの“立ち入り禁止”の札を掲げた建物の中にいた誰かなのだろう。それが誰なのかは、るうかにはさっぱり分からない。

 そうこうしている間に2人のデザートもお茶もすっかり空になった。出ようか、と佐羽が言って席を立ちかける。

「頼成が寂しがっているかも」

 くす、と笑った彼の表情にるうかは何か納得する。この魔王は、自分で呪いをかけておきながら友人のことを心配しているのだ。おかしなものだと思うが、何か事情があるのだろうとも感じられる。どちらにしてもるうかに何かができるわけではない。

 そうですね、と適当に相槌を打ちながら立ち上がったるうかの耳に、聞き慣れない音が届いた。

 ぴぃー、と甲高い笛の音が暮れた町の空に響き渡る。すると途端に店の中がざわざわとして、皆が我先にと店の奥に駆け込み始めた。店員も彼らを店の奥に誘導していく。

「何ですか?」

 分からないるうかが尋ねると、佐羽は眉を引き締めながら小さく口元を歪めた。

「出番だよ、るうかちゃん」

執筆日2013/10/21

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