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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第2話 賢者と魔王のお仕事
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3

 カフェを出た後、3人は町の広場の片隅に陣取っていた。何故そこへ来たかというと、佐羽によればそれが賢者の仕事の実演になるかららしい。ただぼんやりと立っているだけでどんな仕事になるというのやら。初めはそう思っていたるうかだったが、すぐに疑念は晴れる。

 町の人が次々と頼成の元を訪れ始めたのだ。

「賢者さん、ここのところ頭痛がひどくて」

「いやぁ助かった。賢者さん、ちょっと膝の痛みを何とかしてくださいよ」

「腰が痛くて……」

「胃もたれが続いていて……」

「水虫が……」

 賢者・頼成はそんな訴えのひとつひとつに耳を傾けながら、不調な箇所に手をかざしてそれらを次々と癒していった。まるで町の健康相談、あるいは神の御業だろうか? どちらでもあるような、どちらでもないような有様である。佐羽はそんな頼成を少し後ろから黙って見ていた。るうかは彼の隣に立ち、彼に尋ねる。

「これが賢者の仕事、ですか」

「うん」

 佐羽は短く答える。町の人々は頼成に話を聞いてもらい、身体の不調を癒してもらった後でいくらかのお金を置いていっていた。料金に規定はないようだ。

「この世界には発達した医学や薬学はない。それを研究開発するための資源もない。だから賢者や治癒術師が重宝される。もっとも……よっぽど高い能力を持った術者じゃないと本格的な病気は治せないけどね」

「本格的な」

「いわゆる命に関わる病っていうこと。放っておけば死んじゃうような病気は賢者や治癒術師の手にもなかなか負えない。勿論、それができる人もいるけどね」

 それが頼成なんだよ、と佐羽は囁くように言った。頼成に群がっていた町の人が途切れたところに、1人の年老いた男が近付いてくる。そして彼は頼成に向かって手を合わせた。

「後生です。妻の病気を治してください。お金はあるだけ払います。苦しそうで、弱ってしまって、私にはもう何もしてやれることがないんです。賢者さん、どうかお願いします」

 分かりました、と頼成は軽く微笑んで言った。奥さんのところに案内してください、と。そうして頼成は男と共に歩きだし、佐羽が後に続いたのでるうかもついていく。男の家は町の真ん中に近い場所にあり、そう遠くはなかった。家の中は静かで、どこか物寂しい空気が漂っている。これは死の気配なのだろうか。るうかはぼんやりとそんなことを思った。

「こちらです」

 男は頼成を奥の部屋に案内した。ツンと鼻をつく臭いがして、しばらくしてるうかはそれが尿の臭いであることに気付く。部屋の隅に蓋をした瓶が置いてあり、どうやらそれを尿瓶として使っているらしかった。部屋の中央には大きめのベッドがあり、その真ん中にやはり年老いた女性が横たわっていた。見るからに血の気が薄く、こうして見ている間にも心臓が止まってしまうのではないかと思ってしまうほど生気のない様子だった。頼成は女性に近付くと、挨拶をしてから彼女の脈を測る。額に手を当て、それから失礼と言って布団をめくった。細く骨と皮だけになった脚が見え、それもやはり真っ白で血の気がない。ところどころに内出血の痕のような痣が見て取れた。そしてシーツに接している踵には深い床擦れができていた。

「動けなくなって大分長いんですか?」

 頼成は男を振り返ってそう尋ねた。男は力なく首を振る。

「ひと月前まではまだ杖を頼りに歩くことができたんです。けれど、夢を見るようになって」

「夢?」

「そこは大きな……病気を治療するための施設で。妻はそこで大きな、長い時間のかかる治療を受けました。そんな夢を見た後です。妻はあっという間に悪くなって、ベッドから動くこともできなくなってしまいました」

 ちょっと手を動かしただけでも息が上がって苦しそうなんです。そう言って男はほろほろと涙を流す。頼成はじっと男の話を聞いていたが、やがて彼の妻の方に視線を戻した。

「やれるだけやってみます」

 その横顔には強い決意が見えた。佐羽が一瞬頼成の方に手を伸ばしかけて、そして引っ込める。るうかはそんな佐羽と頼成を交互に見た。頼成は再びベッドの上の女性に近付いて、その静かな寝息を聞く。

「奥さん、ひとつ聞いてもいいですか」

「……」

「永遠がないことを知っていても、この夢を終わらせないことを選びますか。たとえ、もう二度と夜に夢を見られなくなっても」

 はい、と声にならない声が聞こえた。頼成は頷き、女性の身体に手をかざす。その全身を覆うように青い光の帯が現れ、るうかは目を瞠った。それはこれまで彼が見せた治癒魔法とは格が違うものだと一目で分かり、さらにるうかの目には青く光る文字の並びがほとんど読み取れたのだ。

“骨髄機能を再生する。異形細胞の増殖を止める。損傷した組織を再生する。免疫指令系統の正常化を行い、異形細胞を死滅させる。代償により疲弊した器官に血液を送り、生命を維持する。そしてこの夢を現実から切り離す。以上の命令を実行する”

 それらの文字はやはりるうかの知るどの言語とも異なっていて、それでいてるうかには読むことのできる奇妙な文字だった。そしてそれが魔法というよりは医学に属する内容であることも何となく分かった。るうかは息を呑み、頼成が女性に魔法をかける様子を見守る。

 やがて青い光は見えなくなり、女性の頬に赤みが差す。それはごくわずかな変化だったが、女性の夫は躍り上がらんばかりに喜んで妻の名を呼んだ。

「ああ、これで妻は生きるんですね。そうなんですね賢者さん」

 彼は頼成の目を見て叫ぶように言い、頼成は静かに頷く。その表情には疲労の色が濃いが、男の目には頼成の様子など映っていないようだった。彼はただ妻に縋り付くようにして、その身体に生気が戻ったことを喜ぶ。妻の方もわずかに目を開けて微笑んだ。その目尻に涙が流れていた。

 頼成はそんな夫妻の様子を確認するように眺めた後、そっと部屋を後にする。続いて佐羽も。るうかも2人に倣って外へ出て、それから新鮮な空気の下で頼成の顔を見た。

 そして驚く。

 彼の顔面は蒼白だった。彼は小さく「ぐ」と呻いた後その場にしゃがみ込む。無理をするからだよ、と佐羽が無慈悲な声音で言った。何言ってやがる、と頼成が返す。その声に滲む、笑み。

「お前が……呪ったからだろうが、“魔王”」

 そうだね、と佐羽も笑って答えた。

「それが魔王のお仕事だから」

 ふふふ、と佐羽は声を出して笑う。それからすぐに「ここを離れよう」とるうかに向かって言った。るうかと佐羽は頼成を両脇から支えながら宿を探し、大部屋ひとつを借りてひとまず頼成をベッドへと運ぶ。頼成は佐羽にされるがままにマントと板金鎧を外され、服のベルトを緩められてやっとふうと大きく息を吐き出した。どこか痛むかい、と佐羽が彼に尋ねる。

「全身。相当だったぜ、あのばーちゃん」

「見れば分かるよ。俺は専門外だから詳しくは分からないけど、もう長くなかったんだよね?」

「……現実的に見りゃあ、いつ逝ってもおかしくない状況だっただろうよ」

 薄く目を開いて頼成は呟くように言う。そして彼はベッドに横たわったまま自分の右手を軽く持ち上げた。まだ動くわ、と彼は確認するように言う。それはよかった、と佐羽が答えた。

「さぁて、今回石になったのはどの辺りかな。心臓じゃなさそうだね。息はどう? 肺は大丈夫かな。内臓系は性質が悪いから、気を付けないとね」

「全身、っつっただろ。多分血球のいくらかと……あと踵だな」

「あらら、詰まらせないようにね。それと、るうかちゃんに見せてもいい? 踵」

 そう言いながら佐羽は遠慮なく頼成のブーツを剥ぎ取った。現れたのはよく鍛えられて節の目立つ健康的な足と、それに不釣り合いな灰色をした踵。触ってごらん。佐羽にそう言われて頼成のそこに触れたるうかは、その硬さに唖然とした。人間の肌の感触ではない。

「石化の呪いだよ」

 楽しそうな、とても楽しそうな声で佐羽が言った。俺がかけたんだ。そう言った彼の声に笑いが混じる。

「俺は魔王だからね。強力な力を持つ賢者や治癒術師に呪いをかけるのがお仕事なんだ。彼らが強力な治癒魔法を使った時に、その反動で身体の一部が石になるように。そんな呪いをかけるんだよ」

「……」

 るうかは信じられない思いで佐羽を見た。その表情を見て、そして言葉を失った。笑っているのに泣いているような顔をして、佐羽はさらに続ける。にこりとその目を細めて。

「とっても、ひどいでしょう?」

「……やめろ、佐羽」

 呆れたように、怒ったように頼成が声を出した。彼はぐいと身体を起こして、友人の頭に手を載せる。

「自虐はよせ。聞いてるこっちが胸糞悪くなるわ」

「……ごめんね。たまに言いたくなっちゃうんだ」

「だからってこいつに当たることねぇだろ。……悪かったな、舞場さん」

 頼成に謝られてもるうかには何ひとつピンと来ない。だから首を傾げ、そしてふるふると横に振る。

「何がなんだかさっぱり分かりません。賢者は魔法を使って町の人の怪我や病気を治すのが仕事。魔王はそんな賢者とか治癒術師に強い治癒魔法を使ったときに石化していく呪いをかけるのが仕事。それがどうして一緒にいるんですか」

 疑問を口に出したるうかに、頼成は静かな目を向けて答える。

「友達だからだ」

 選択肢はいくらでもあるんだよ、と彼は言った。呪いが怖いなら治癒魔法を使わなければいい。呪いの効果が出ないような小さな病気や怪我を治すことで充分に稼ぐことはできる。そうやっている賢者や治癒術師もたくさんいる。そういう道を選ぶことは頼成にも勿論許されている。

「だから……これは俺の勝手だ。佐羽のせいじゃない」

「……」

 やはりるうかには分からなかった。天井を見つめてきっぱりと言い切る頼成の目は真っ直ぐで、曇りない。何か随分と強い決意を持って彼がそう言っているだろうことは分かるが、それがどういった内容のもであるかまでは見当もつかない。そしてそんな彼を静かに見つめる佐羽もまた、何を考えているのか全く読み取れなかった。

執筆日2013/10/21

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