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イアシーチの町、表通りを少し外れたところにあるこじゃれたカフェ。
そこでるうか達はひとまずの休息を取ることにした。軽食とお茶をオーダーし、待っている間にも話を進めていく。
「じゃああの場所は……やっぱり研究所みたいなところなんですね」
「そう。あんたはあそこに長い間囚われていて、今日になって自分から培養槽をぶち割って飛び出してきた」
「ぶち割ってないです。勝手に割れたんです」
「掃除屋のレーザーでもびくともしない強化アクリルが簡単に割れるかよ」
「じゃあただの女子高生にそれが割れるっていうんですか」
「あんた、そりゃああれだ。夢じゃない方のあんたなら割れないだろう。でもこっちのあんたならそれくらいできてもおかしくねぇってことだよ」
「こっちの私?」
今一つ話が分からない。寝ても覚めてもるうかはるうかで、つまり舞場るうかという人間には違いないだろう。頼成や佐羽のように夢の中では魔法が使えるというのならともかく、今のるうかにはそんな感じは全くない。
まぁまぁ、と佐羽が言い合う2人を宥めるように割って入った。
「どうしてそうムキになった言い方をするの、頼成。せっかくるうかちゃんに会えたんだから、まずはそれを喜ぼうよ」
「……」
「あのね、るうかちゃん。頼成は毎日あそこに忍び込んでは君を見ていたんだよ。掃除屋に追い回されながらも毎日君に話しかけて、いつか君と会える日を待っていたんだ」
佐羽の言葉を聞いて、るうかは思い出す。いつも見ていた夢の中、どこか寂しそうに語りかけてくる声。やはりあれは頼成のものだったのだ。彼がそうしてそうまでして自分に会いに来ていたのかはさっぱり分からないが、少しだけ胸が高鳴った。
そこへ佐羽がまた口を挟む。
「それにしても頼成、これでもうしばらくるうかちゃんの裸は見られなくなっちゃったね」
あ、と頼成がかなり訝しげな顔を作って友人を睨んだ。そう、明らかに頬が赤くなっているのを隠すようにわざと取り繕った表情をした。そしてるうかも気付いた。あの培養槽から出た時の彼女が何も身にまとっていなかったということは、中にいた時も当然裸だったのだ。そして頼成はそんなるうかを毎日見に来ていたというわけで。
「残念でしょ?」
にこりと笑って友人をからかう佐羽に、頼成はどう返していいのか分からない様子で、ただひたすらるうかの方を見ないようにして赤くなったり青くなったりしている。そして佐羽はさらに追い打ちをかけるように言う。
「残念じゃないの? あ、それとも頼成はるうかちゃんの裸を見ても興奮しなかった? 俺には1回も見せてくれなかったのに、そんなはずないよね。君ってば毎日あそこで何」
ばきっ
耐えかねたのだろう。頼成はテーブルを薙ぎ倒さんばかりの勢いでもって隣の友人の横っ面を握りこぶしでぶっ飛ばした。黙れ、と言葉にするよりよほど雄弁なその拳にも佐羽は頬を腫らして笑っている。骨にひびでも入りそうな威力に見えたが、その辺りはうまく加減してあるらしい。
そして頼成はテーブルを挟んで座るるうかに向き直ってがばりと頭を下げた。
「悪かった。こいつの言うことも一理ある」
「あるんですか」
「少なくともあんたの裸を見てたのは本当だ」
「眺め回してたんですか」
「いや、そこまでは……いや……その……」
「いやらしい目で見ていたんですか」
「やましい気持ちが一切なかったとは……言い切れないでしょうよ」
俺だって年頃の男ですから、と神妙な顔で言った頼成は正直だった。どうせ誤魔化しても佐羽に混ぜっ返されると分かっていたからかもしれない。そして改めて彼はるうかを見つめ、言う。
「殴ってくれ」
「……はい?」
「悪かったと思ってるから、気の済むようにしてくれって言ってるんだよ」
なるほど、それは彼なりのけじめということらしい。真面目だねぇ、と脇で佐羽が笑っている。まぁそれは後回しでいい。
では、とるうかは席を立って拳を固めた。つかつか、と頼成に歩み寄り、そして。
ばきいっ
右の拳に全身全霊を込めて、彼の顎を天に届けとばかりにぶち上げた。
静かなカフェに轟いた打撃音に、しばし時が止まる。佐羽が綺麗な顔を蒼白にしてるうかを見た。何故なら、るうかがテーブルをぐるりと回って彼の側へと近付いていったからである。彼にはきっとるうかの表情が鬼の形相に見えていたことだろう。ちょっと待って、と彼は女々しくも命乞いの言葉を口にする。
「さっきのはちょっとしたコミュニケーションの一環だよ。頼成のことをからかいたかっただけで」
「……」
「女の子の前でデリカシーのない話をしたことは謝るよ、でも」
「……」
「あの、るうかちゃん? 聞こえている、よね。その拳には今力を溜め込んでいる最中?」
「はい」
「いや、うん。ちょっと待って冷静になって。今君が頼成に放った打撃がそれ女の子のものだと思う? つまり俺が説明したかったのは君のその」
「話は後で聞きます」
ばっきいっ!
骨でも何でも砕けてしまえ。るうかはそう願いながら佐羽の可愛らしい顔に新たな青痣を作ってやった。
「容赦ねぇ……容赦ねぇよ舞場さん……」
未だ立ち上がることのできない頼成が、ふらつく頭を押さえながら呟く。横では佐羽がすっかり気を失って椅子の背に寄りかかっていた。るうかは運ばれてきたサンドイッチとお茶を腹に収めて一息つきながら、そんな2人を眺める。
「自業自得です」
「それは重々承知してます」
殴っていいと言ったのは頼成である。手加減をしなかったのはるうかだが、その辺りを咎められても困る。そもそもるうかは生まれてこの方人を殴ったことなどなく、手加減の方法など知らないのだ。
「はぁ、まぁとりあえずこれで少しは怒りを収めていただけましたでしょうか?」
妙に及び腰な頼成に訊かれて、るうかはうむと頷いた。
「私の裸の価値はこれくらいってことで」
「あんたすげぇわ」
頼成は苦笑し、とんとんとテーブルを指で叩いた。何やら楽しそうな顔をした後、彼はふと横の友人を見る。まだ目を覚まさない彼を肘で小突くと、何やらむにゃむにゃとした寝言のようなものが返ってきた。駄目だこりゃ、と頼成は肩をすくめる。
「じゃあまぁ話を本題に戻しますか。今あんたが俺らをぶん殴って分かったと思うけど、こっちのあんたは人並み外れた腕力を持っている。それこそ強化アクリルなんてベニヤ板みたいなもんだろう。2・3発でばりーん、だ」
「槍昔さんの顎は大丈夫ですか。砕けてないですか」
「砕けてたら喋れないです」
ごもっともである。るうかは「なら良かったです」と言って改めて頼成の話を聞く体勢に入った。頼成は一瞬何か言いたそうにしたが、結局本題の方を続ける。
「俺や佐羽が魔法じみた力を使えるように、あんたはその腕力でこの世界を渡っていくことができる。それはそのための……この世界における特典みたいなもんだな。その力が俺を“賢者”にしているし、こいつを“魔王”にしている」
伸びている佐羽を指差しながら頼成は言った。魔王、とるうかは口に出して繰り返す。
「落石さんは魔王なんですか。魔法使いとかじゃなくて」
「だってあんた、あれ見ただろ。嬉々として魔法ぶっぱなして掃除屋共をぶっ飛ばすこいつの顔。あれは魔王でぴったりでしょうが」
「そうかもしれないですね」
確かに、その佐羽を見た時にはるうかも「魔王の手下みたい」と思ったものだ。実際には手下どころか魔王そのものと呼ばれるようだが。
「RPGでいうところの職業みたいなものですか」
「職業っていうか、称号っていうかな。ゲームとかする方?」
「最近はあんまり。中学の頃までは結構やってました。RPGなら有名どころは一通り」
「じゃあこういう世界も一応馴染みやすいだろ? まぁ“賢者”や“魔王”はそういった職業だの称号だのっていうのだと認識してもらっていい。能力に合った呼び名で呼ばれることになる」
佐羽が静かだと話の流れもスムーズである。るうかはふむふむと頷きながら頼成の話を聞く。
「で、あんたのその能力だとなんて呼び名で呼ばれるかー、って話だ」
「なんて呼ばれるんですか」
「なんだと思う?」
ふわり、と。不思議な調子で頼成は聞き返した。それはまさに賢者が知恵を授けようとしているかのような、ただの大学生とは思えない様子だった。この世界をよく知るだろう頼成だからできる表情であるのだろう、とこの時のるうかは思った。
「格闘家とか。戦士とか」
腕力系といえばその辺りの職業が思い当たる。頼成は静かに首を横に振った。
「似合わねぇな」
「そうですか」
男性を一撃でのすことのできる腕力があれば格闘家でもやっていけそうな気がするのだが、違うらしい。るうかはしばらく考えて、首を傾げた。
「分からないです」
「そっか。ならそのうち分かる」
「教えてもらえないんですか」
「こいつは呼び名だからな。こっちの連中があんたを何て呼ぶか……それを聞けばおのずと分かることだ。俺らがつける名前じゃないからね」
つまり彼の“賢者”という呼び名も彼自身がそう名乗っているというものではないということなのだろう。なるほど、とるうかは頷いた。そこまで話したところでやっと佐羽がううと呻きながら身体を起こす。
「痛たた……るうかちゃん、今のは効いた……」
「おう、当然の報いだろ」
頼成が呆れたように言って、さすがの佐羽も神妙な顔つきで頷く。
「うん、よく分かった。これからは気を付けるよ……」
「そうしてくれ。俺をからかうのは勝手だけど、舞場さんを巻き込むな」
「了解ー」
懲りました、というようにひらりと片手を振って、それから佐羽はるうか達2人に向き直る。
「ところで話は進んだ?」
「ああ。俺が賢者でお前が魔王でってところまでは話した」
「そう。じゃあ賢者と魔王が実際この世界でどういうことをしているのかって辺りはまだかな?」
「その辺はまだ話してねぇな、そういや」
「そっか」
うんうんと頷いて、それから佐羽はテーブルに並んだ自分達の分の食事とお茶を見た。
「じゃあまずはこれを食べて、それからその辺りの実演に入ろうか」
そして彼はるうかのために追加でケーキとお茶のオーダーをしてくれた。
執筆日2013/10/21