表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第10話 同じ夜の夢は覚めない
40/42

3

 がらん! と大きな音を響かせて、銀色の扉が床に落ちる。そしてその中はやはり銀色をした鏡のような金属に囲まれた箱になっており、中にひとつ、真っ赤な肉の色をした腕があった。

 そう、それはやや歪ながらも人間の腕の形をしていた。左腕の肘から先の部分だ。それがこちらに向けて威嚇するように五指を開いている。まるでそれそのものがひとつの生命体であるように、ときどきどくんと脈打ちながらこちらを“視て”いる。

 その色や質感は“天敵”のそれと同じだったが、明確な形を持っている点で“天敵”と異なることも明らかだった。敵意こそ感じられるものの襲ってくる気配のないそれを見つめながら、るうかは輝名に問い掛ける。

「もしかして、これは輝名さんの……?」

 輝名は静かに頷いて答える。

「そう、俺の左腕だ。俺が神官として祝福を与えた1人の賢者が、半身が完全に麻痺した患者を癒したらしい。そうしたら俺のこの左腕は一気にここまで異形化した。俺はここの牢獄に入ったが、そのことをどこかで聞きつけたのか……当の賢者がここに押しかけてきた」

 抜き身の剣を持って部屋に押し入ってきたそいつを見たときには殺されるのかと思ったぜ。淡々とした口調で恐ろしいことを言い、さらに輝名はこう続ける。

「そいつは何も言わずに俺の異形化した左腕を斬り落とした。痛みはそれほどなかった。そして傷口を簡単な治癒術で塞いで、それきり俺の前に姿を見せなくなった」

 目の前に鎮座する肉色の左腕が輝名の話に反応してかぐっと拳を握る。何かを悔やむかのように。

「俺はそれから誰にも祝福を与えないことにした。そんな神官、とっとと追放されるところだが……まぁこれでも大神官代行っていう地位もあってな。ここの指揮を執ることで居座った。それからしばらくして、その賢者が自ら鈍色の大魔王の元に赴いて呪いを受けたっていう話を伝え聞いた。道理で俺の身体が無事なわけだ。そんなこんなで、斬り落とされた左腕だけが残ったんだよ」

 ひらり、とその左手は妙に愛想よくるうかに手を振って寄越す。何が言いたいのやら。

「こいつはなかなか厄介でな。ほとんど“天敵”のくせに弱点がねぇ。そして俺の意識と連動でもしていやがるのか、妙に人間臭い。そのくせ俺以外の人間が近付くと容赦なく食おうとする。倒せもしないし、何とかここに封じ込めて大人しくしてもらっていたんだが」

 そこまで言うと、輝名は改めて周囲の惨状を見渡した。彼の言いたいことはるうかにも分かる。こうして神殿の地下を破壊するようなテロ行為が実際に行われた以上、この左腕をここに置いておくのは危険だということなのだろう。よほど特殊な素材で作ってあるのか今回の事件では傷ひとつつかなかった銀の扉だが、輝名が呼べばこの左腕は自らそれを破って外に出られるのである。この先のことを考えれば始末しておきたいと考えるのはもっともだ。しかし、とるうかは顔をしかめる。

「弱点がない、って。それじゃあ倒せないですよ」

「ユイにも同じことを言われた。勇者の膂力でも無理か? 細胞が再生できないくらいに粉々にしてやれば、さすがに死ぬと思うんだがな」

「輝名さんのレーザーで焼いた方が確実じゃないですか」

「それはもう試したが無理だった。こいつ、異常な速度で自己回復しやがるんだ」

「それじゃあ多分私でも駄目ですよ」

 そうか、と輝名は困ったように眉根を寄せる。その時だった。目の前で繰り広げられる物騒な会話に身の危険を察知したのか、肉色の左腕がぼこりぼこりとその表面を波打たせた。そしてそれは唐突に跳ねて五指をるうかに向けて突進させる。

「危ねぇ!」

 咄嗟に反応した輝名がるうかを庇おうとしたが、るうかはそれを遠慮なく突き飛ばした。ここで輝名がもし重傷でも負えば神殿の再建を指揮する者がいなくなる。それに戦うのは勇者である自分の役目だ。ほんの数秒の間にそれを判断し、るうかは自ら猛る左腕の前に身体を晒した。ところが。

「輝名てめぇ、るうかに何させてやがる」

 押し殺したような声と共にるうかの目の前に割り込んだ藍色の背中がそう言った。床にはぽたりぽたりと赤い雫が落ちる。るうかはその場から動かず、目の前にある大きな身体を抱き込むようにしてそれを後ろに思い切り引いた。うわっ、ともぎゃあっ、ともつかない声がして彼の身体が後ろに吹っ飛ぶ。その勢いで彼の左腕に噛み付くようにして食い込んでいた肉色の五指も離れた。

 そしてるうかは気付く。どういうわけかわずかに青緑色に濡れた肉色の五指、その先端に白い爪のようなものが見えることに。そうして次の瞬間、るうかは何の迷いもためらいもなくその5つの爪を目掛けて神速の拳を叩き込んだ。

 かつて輝名の左腕だった“天敵”が血と肉片と化して飛び散る。銀色の箱に鮮やかな赤を散らして、それはもうぴくりとも動かなかった。息を整えるるうかの背後では彼女を庇おうとして突き飛ばされた輝名と彼女を庇ったのに突き飛ばされた頼成がこんな会話を交わしている。

「てめぇ、なんでついてきやがった」

「てめぇがるうかに何かよくねぇことをさせようとしているように見えたからだよ。そうしたら案の定じゃねぇか」

「ハッ、結局は格好つけにきただけだろうが。おい、早くその傷止血しろ」

「言われなくてもする。それに大した傷じゃねぇよ。大体なんでてめぇの左腕だけこんなところに置いてあったんだよ、危ねぇだろうが」

「それはさっきるうかに説明したから後であいつに聞け」

 ほとんど実のない会話を聞き流しながら、るうかは辺りの様子を眺めた。人間の他に動くものはもうない。輝く銀を汚した赤い血と脂と肉の欠片に混じってやはり白い爪が1つ2つ、割れて落ちている。そして床には青緑色をした雫が何滴か落ちていた。何だろう、とるうかは手袋をはめた指先でそれに触れる。粘性のある液体は彼女を培養していたあのアクリルケースを満たしていたそれによく似ていた。

 るうかはそっと背後を振り返る。心配になって彼女達の後を追ってきたらしい頼成が、彼女を庇って受けた傷に治癒術を使っているところだった。赤い血を零していた傷が綺麗に塞がれていく。そんな彼の腕の下に落ちていた赤い雫が、るうかの見ている前でゆっくりと青緑色に変わった。頼成も輝名もそれには気付かない様子で、いまだに不毛なやり取りを続けている。るうかは大きく溜め息をついた。

「いつまでやってるんですか。こっちは終わりましたよ」

「あ、悪い」

「おお、るうか。……やったのか」

 輝名が少しだけ驚いたように辺りの血と肉片を見る。そして自らの欠けた腕の辺りに右手をやった。その顔には奇妙に満足そうな笑みが浮かぶ。

「さすがだな、勇者るうか。これでやっと俺もすっきりした。ありがとうよ」

「ったく。おい輝名、もういいだろ? 俺達は帰るからな」

 そう言って頼成はよいしょとその場から立ち上がるとるうかの手を取った。輝名は苦笑いでそんな頼成を見やる。

「独占欲の強い男だな。見苦しいぜ」

「何とでも言え。俺はるうかを利用されるのが我慢ならねぇんだ」

「それはてめぇらだって同じじゃねぇのか?」

 一段低くなった輝名の声が、ねっとりとした凄味を帯びて頼成を責める。勇者の戦力は重要だ。“天敵”を拳ひとつで倒せるその力は貴重で、旅を共にするにはもってこいだ。頼成は少しだけ苦い顔をする。るうかはそれを見て、彼の手を強く握り返した。

「全然違います」

 るうかははっきりとした声で輝名に告げる。

「私は、私がそうしたいから槍昔さん達についていくんです」

 それを聞いた輝名はどういうわけか楽しそうに声を上げて笑った。隣では頼成が少しだけ天井を仰ぐようにしながら、空いた方の手で自分の顔を覆っている。敵わない、と2人は同時にそう言った。

 行けよ、と輝名が言う。

「きっとお前らならどこまでだって行ける。頑張れよ」

 温かい激励を受けて、頼成は何も言わずに。そしてるうかはありがとうございますと頭を下げて地下を後にした。輝名はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 神殿を出ると外はもうほとんど暗かった。佐羽の姿は見える範囲になく、るうか達はとりあえず宿屋に戻ることにする。道すがら、頼成はるうかに声をかけた。

「ホントにいいの?」

「何がですか?」

 何について言われたのか分からず、るうかは正直に首を傾げる。今は離れている頼成の手が自身の頭をがりがりと掻いた。何やらもどかしい様子だ。

「だからさ、あんたさっき言ったでしょうよ。俺達についていくって。それ、ホントにいいの?」

「何を今更」

 るうかは呆れたように返す。彼女は彼らに助けられた。彼らにこの世界を教えられた。彼らと共に死線を潜り抜けた。そして彼らと喜びを分かち合った。それを今更ついてくるのかと確認されれば呆れるを通り越していささか面白くない。

「ついていきますよ」

 少しだけ怒ったように言うと、頼成がたじろぐ。

「無理、してないか?」

「無理してでもついていきます」

 そう言うとるうかは手を頼成に向かって差し出した。よろしくお願いします、と半ば強引に押し切るつもりで出したそれを頼成はふと人の悪い笑みを浮かべて握り返す。そしてそのままるうかの手を引いて歩き出した。るうかは少しだけ驚いたものの、引かれるままについていく。

「そんなこと言われると、手放せなくなっちゃうでしょうが」

 頼成がそんなことを言ったので、るうかはわずかに頬を赤く染めながら小さく笑って何も言わずに歩き続けた。

 宿屋に着くと、呑気な佐羽が入口近くに置かれた椅子に座って優雅にお茶を飲んでいた。ここまで手を繋いで歩いてきたるうか達を見た彼は一瞬ものすごく冷めた目をして、それから少しだけ肩をすくめて「おかえり」と言う。

「ただいま。お前にそんな目をされる覚えはねぇぞ」

「視線にまで律義にケチつけないでくれる? るうかちゃんにケツの穴の小さい男だって思われるよ」

 佐羽は頼成にそう嫌味を言いながら残っていたお茶を一気に飲み干し、カップを近くのカウンターに置いた。本来そこにいるべきはずの宿の主人の姿はない。

「なんかね、今朝まで俺達が使っていた部屋、さすがにあの状態じゃ人を泊められないからって修理頼んだんだって。誰かさんが床を血まみれにしたり壁にナイフ突き立てたりドアの蝶番ぶっ飛ばしたりしたから」

「壁のナイフは落石さんですよ」

「うん。で、俺達にも部屋替わってくれってさ。大部屋はもう空いてないから2人部屋だけど、仕方ないよね」

 そう言いながら佐羽が案内した部屋は本当にベッドが2つあるだけの簡素な部屋だった。小さなテーブルもあるにはあるが、床のスペースがほとんどない。こりゃまた狭いな、と頼成が言った。

「あーあ、俺もう疲れちゃったから先に寝るね」

 佐羽は言うなりるうか達に背を向けてベッドに身体を横たえる。すかさず頼成が文句を言った。

「おい、そこはじゃんけんとかだろ。俺かお前かどっちか床で寝るべきだろうが!」

「この部屋、床にそんな場所ないじゃない。そっちのベッドを2人で使えばいいでしょ」

「は……はぁ!?」

 どうやら佐羽は初めからそちらの方向に話を持っていくつもりだったらしい。なるほど佐羽らしいと納得しながら、るうかはテーブルの上に余分な装備を置く。就寝にあたって手袋や上着は必要ない。

「そんなわけに……いかないだろ! おい佐羽寝るな!」

「だったら俺がるうかちゃんと寝ようか。ふふ、彼女の髪ってフワフワしていて触り心地良さそうだよね。一度ゆっくり撫でてみたいなって思っていたんだ」

「ぶっ殺すぞ」

「じゃあ君がしっかりガードすればいいでしょ。はいおやすみ」

「佐羽こらァ!!」

 るうかはよいしょとベッドに上がり、掛布団をはいでその下に潜り込む。やがて体温で温まっていく布団の温もりに心地よく目を閉じた。

「って、るうかさん何ちゃっかり寝てるの!」

「ほら、彼女も準備できてるって。ちゃんと頼成の分の場所を空けてくれているじゃない」

「はあ!?」

 確かにるうかはベッドの半分だけを使うようにして寝ていた。何しろ佐羽の言う通りこの部屋には人間が身体を伸ばして寝られるだけの床がないのである。座った姿勢で寝るのも辛いだろうし、この際色々とどうでもいい。とりあえず隣が佐羽でなければいいような気がしていた。かと言って自ら頼成を隣に招くような言葉も言えないるうかである。

 るうかがただじっと黙って寝たふりをしていると、やがて背後が静かになった。それからがちゃがちゃと鎧やマントを外す音がして、ゆっくりとした足音が近付いてくる。そして諦めと緊張の混じった深い溜め息も。それからしばらくは何の音もしない。

「大丈夫ですよ」

 堪えきれなくなってるうかは声を出した。

「もし何かしようものなら遠慮なく殴りますから。それでいいですか?」

 向こうのベッドの上で佐羽が声もなく笑う気配がした。頼成はすっかり脱力しきった声で答える。

「はい、それでよろしくお願いします……」

 そして彼はるうかと同じベッドに横になり、彼女に背を向けて眠りに落ちていった。るうかもまた背中に感じる彼の体温に少しだけ緊張しながら本日の長い夢を終えたのだった。

執筆日2013/11/10

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ