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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第1話 アクリル・クレイドル
4/42

3

 そんな奇妙に非日常的な出来事があったものの、帰宅してからは何ら変わりがない時間が過ぎていく。どうやら今日のことについて学校から親に連絡がいったなどという面倒は起こらなかったらしい。まぁ今時古式ゆかしいお嬢様学校でもない限りは異性との交流を咎められることもあるまいし、あの2人の大学生も身なりはきちんとしていて遊び人には見えなかったのだろう。少なくとも教師が問題視するほどには怪しげな付き合いとは思えなかったということだ。それはるうかにとって幸運だった。

 共働きで帰宅の遅い両親を待っていても仕方がないので、るうかは自分で自分の分の夕食を用意して食べる。本日のメニューは焼き魚と野菜の煮つけである。内容が和食寄りなのは親譲りで、つまりは小さい頃から和食を食べ慣れているというだけのことである。幼い頃には家を空けがちな両親の代わりに祖母がるうかの食事などについて面倒を見てくれていたからかもしれない。

 それから少しの間テレビを見て、音楽番組でやっていた好きなアーティストの特集をそれなりに真剣に見て、よしよしと満足な気分で皿を洗ってから風呂を沸かした。両親のための食事を用意するかどうか考えて、どうせこの時間になれば外で済ませてくるだろうからとやめた。ちょうどよく温まった風呂にゆっくりと浸かり、明日提出する予定の苦手な英語の宿題と同じく明日予定されている数学の小テストのことを考え、どっちも面倒臭いと大きくひとつ息をついた。

 長い髪をドライヤーで丁寧に乾かす頃には身体の汗も引いていて、勉強をする準備は万端である。というより勉強をしなければならない時間である。あと数時間で終わってしまう今日のうちに何とか課題と小テスト対策に目途をつけなければならない。

 机に向かい、ノートとテキストを開き、それから傍らに置いた携帯電話をチェックする。勉強に手を付ける前についつい別のことをしてしまうのは、これはもう完全な逃避行動であり癖である。渋い赤色の携帯電話は高校入学のお祝いにと父親から贈られたもので、気に入って大切に使っていた。その甲斐もあってか1年半近く持ち歩いていても傷一つない。表面の塗装はいくらか艶がなくなり色褪せたように見えるが、それでも充分に魅力ある持ち物としていつもるうかの傍にあった。その携帯電話をぱかりと開ければ、いつも通りの待ち受け画面がカラフルに待ち受けているだけである。つまりは誰からのメールも着信も入ってはいない。どうもるうかの友人達はあまりまめにメールをするようなタイプではなく、その上新し物好きの静稀がスマートフォンに変えてからはますますメールの頻度が減った。今はLINEの時代だよと言われてもるうかにはピンと来ないし、少なくとも高校生のうちはスマートフォンに替える予定もない。ああいうお金のかかるものは、せめてアルバイトでもして自分で賄うことができるようになってから手にするべきだと、今のるうかは考えていた。

 さて、携帯電話である。今るうかがこれを開いたのは、何もメールと着信の有無を確認するためだけではない。日中あの2人の大学生からもらった、もらってしまった番号とアドレス。あれらを一応アドレス帳に登録しておこうと思ったのだ。それは気まぐれと言ってもよかったが、どうも無視するには捨て置けない印象だったのである。あの、去り際の佐羽の笑顔と、そして頼成が残していった微かな既視感。

 その時に。は。

 瞬間、頼成の声に被せるようにしていつかの爆音が耳に蘇った。まるで映画のワンシーンで使われるような、いっそチープな程に派手な効果音だが、知った声の背景となるとそれはどうにも気味が悪い。そう、知らない声であればそれも含めて映画の中か、あるいはいつも通りの夢の一幕として片付けることができるのに。

「やり、むかし、さん」

 まさかとは思うが、あの夢の声は頼成のものだったのだろうか? いやいや、そんなアニメか漫画かゲームかライトノベルかと疑いたくなるような出来すぎたファンタジーが現実に起ころうはずがない。

 起こればそれは、きっともうすでに夢の中であって現実ではないのだろう。

 るうかは携帯電話のアドレス帳に新たに2人分のデータを追加して、今度こそ真面目に宿題に取り組んだ。それは思いの外はかどったので、日付が変わるより前には首尾よく全ての準備を終えてベッドに潜り込むことができた。上出来上出来、とその日の結末に満足しながら、るうかはにやりと笑って瞳を閉じた。彼女が眠りにつくまでの時間は、そう、恐らく10分程度。


 バリン


 何かが割れるような音がして、るうかはごろりと床に投げ出される。寝ぼけてベッドから落ちたのか。未だ閉じたままの目の奥でもやもやと考えて、起き上がるのも面倒だからとそのまま寝続けることにした。どうせ誰も見ていやしないのだ。しかしせめて掛布団だけはどうにかこうにか引き寄せてくるまらなければ、寝冷えで風邪をひくというのも果てしなく格好悪い。理紗には笑われるだろうし、静稀には呆れられつつも心配されるだろう。だからるうかは手を伸ばして、ベッドがある辺りで掛布団を探した。

 途端、びりっと鋭い痛みが指先をかすめる。

 流石にハッと目を開いたるうかが見たものは、彼女の想像を超えた光景だった。

「は、え?」

 息をするのも忘れそうになったので慌てて何かを呟こうとする。何これ。何だこれ。

 しかし言葉は音にならず、るうかは口をぱくぱくと魚のように動かすのみ。それでもまぁ空気は体内に取り込まれる。幸い、呼吸ができないような場所ではないらしい。

 というのもるうかが目にしているのはまるでSF映画に出てくる宇宙船の中か、あるいは秘密の化学工場かといった感じの妙によくできた近未来的な設備に囲まれた部屋なのだった。銀色の円柱形をした機械だとか、そこから伸びる無数のパイプや配線だとか、緑や赤に点灯しているランプだとか。そしてるうかの伸ばした手の先にはまるでそういった映画やゲームで実験生物を培養しているような透明な円筒形のアクリルケースがあって、それがまた見事に割れているのだった。るうかの右手の指先は割れたアクリルの破片で傷付き、赤い血を流している。そしてるうかの周囲にはこれまたそれらしい様子の青緑色をした粘性のある液体が散らばっていた。

 まるでるうか自身がそのアクリルケースに入れられていたかのように。そしてそれが割れて、あるいは自らそれを割って外界に飛び出してきたかのように。

 るうかはしばらく呆然と、自らの指先から滴る血を眺めていた。目ははっきりと覚めていたが、これは夢だとしか思えなかった。だからそのうち何か別の展開が起きて、夢というものがいつもそうであるように唐突に理不尽に場面が切り替わって、そうしてきっとまたいつものように自分の部屋で目を覚ますのだろうと。それがまるで遠い夢のように、それこそ夢物語のように思えるのは、これがそういう珍しい夢だからなのだろうと。そう思って、白くなっていく指先を見つめていた。

 泣きそうな瞳で。

「……っ、舞場さん!」

 ばん、と扉の開く音が先か、それとも呼ぶ声の方が先だったか。

 突然るうかの名を呼ぶ誰かが部屋に入ってきた。それは分かったが、次の瞬間にはるうかは何も分からなくなった。急に何か暗い色の布で頭からすっぽりと覆われてしまったのだ。そしてその誰かはるうかの身体を横抱きにすると何か口早に叫んで駆け出した。危ないから逃げる、とかそういった内容のことを言われた気がする。

 るうかは何しろひどく混乱していたので抵抗する気もさらさらなかった。ただ布からはみ出した足が妙にスースーするのと、無造作に抱き上げられた姿勢の不安定さが少しだけ不安だった。それと視界が全て塞がれていることも。

 やがてるうかを抱いた誰かの足が止まって、はあはあと荒い息が聞こえた。大丈夫か、と心配そうな声がする。そこでようやくるうかはそれが知っている声であることに気が付いた。

「……槍昔さん?」

 誰かと思えば、まさに今日自己紹介をしてもらったばかりの彼である。証拠に、彼がるうかの頭から布をどけてくれればそこには昨日今日と見た彼の目つきの悪い顔があった。やけに近いのはどうやら未だ彼がるうかを抱きかかえているかららしい。頼成はるうかの目をじっと見たまま黙っており、その瞳はひどく困惑しているように思えた。それこそ、今のるうかと同じくらいに彼も混乱しているだろうことが見て分かった。

「ええと」

 るうかはとりあえず状況を知りたいと、そういう内容のことを口にする。うまく言えたかは分からないが頼成には伝わったようで、しかし彼もうまく説明できない様子で口ごもった。

 辺りを見回すとそこは暗い小さな部屋の中で、やはり機械の明かりと銀色のフレームが見て取れる。先程るうかが目を覚ました部屋と同じ建物なのかどうかまでは分からない。外から足音が近付いてくる。頼成がハッと部屋の扉を見やった。足音が部屋の前で止まった、ような気がした。

「伏せろ!」

 頼成が叫ぶと同時にるうかを抱いたまま床に押し倒した。突然のことだったので何もできず、るうかはただ上から覆いかぶさった頼成の顔の、そのやけに近い位置にある瞳をまじまじと見る。鼻と鼻が触れるほどに近い。それでも嫌悪感を抱くような呑気な状況ではないと分かっているので、じっと息を詰めていた。がちゃり、と存外にのんびりした音を立てて頼成の背後にある扉が開く。

 そして。

「うわっ、ごめんごめん」

 わざとらしく取り繕った声。どうにも隠しきれていない笑い。くるりと踵を返して扉を閉めた音。

 一連のそれらがとてもはっきりと、つまりは全く慌てたところのない様子でのんびりと展開された後で頼成がそれこそ電光石火の速度でるうかの上から飛び退いた。そしてそのまま彼は全速力で扉に駆け寄りそれを蹴り開け、そこにいた彼の悪友を部屋に引っ張り込んで床に組み敷く。

「てめぇこらぁあ!」

「うわぁ、頼成。そんながっつかないで」

「黙って歯ぁ食いしばれ」

 がつんと一発。重い一撃が佐羽の額に叩き込まれた。

執筆日2013/10/11

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