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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第10話 同じ夜の夢は覚めない
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1

 赤い血の刃は頼成の鎧を貫いて、その石の身体に深々と突き刺さった。後ろで佐羽が息を飲む気配がする。緑色の魔術師はじっと皆の様子を見守っている。るうかは身動きできず、俯いた顔を上げることもできなかった。るうかの右腕に触れていた頼成の左手がゆっくりと離れて、そして彼女の背中へと回される。布越しに伝わる体温と彼の腕の力に、るうかはただ静かに涙を流した。

 頼成の体内で刃が溶けていく。るうかの血から作り出された刃がその形を失いながら、石となった彼の身体に染みわたっていく。筋肉の1線維から血球の1つに至るまで石となっていた彼の身体に色と熱、そして生命が戻っていく。鼓動が蘇る。血液が巡り始める。肺が広がる。気管が空気を通す。全身の神経が反応する。感覚が蘇り、それに合わせて運動機能も回復する。

 るうかの背に頼成の右手が触れた。そして彼は両腕に、いや全身にいっぱいの力を込めて彼女を抱きしめた。るうかの頭のてっぺんに頼成の頬が、そして熱い吐息と涙が触れる。

「るうか……」

 彼の声を聞いたとき、るうかはついに声を上げて泣いた。幼い子どものように泣きじゃくって、嬉しいのか何なのかももう分からなくなって、ただただ泣き続けた。頼成が困ったようによしよしと頭や背中を撫でてくれているのが奇跡のようで、しかしそれは実のところ奇跡でも何でもなくて、自分や佐羽が必死になった経緯の末にある結果なのだと実感する。何度かの息継ぎを挟んで、泣いて、泣いて、やがてそれが少しのしゃっくりと嗚咽にまで落ち着いた頃、もう一度頼成がるうかの名を呼ぶ。

「ごめん、たくさん無理させて、本当にごめん、るうか」

「……どうでもいいです、そんなこと」

 ひっく、としゃくりあげながらるうかは頼成の顔を見上げた。きっと今の自分の顔はひどいことになっているのだろう。涙も鼻水も垂れ流しで、汚くて目も当てられないに違いない。それでも頼成の顔が見たかった。その目つきの悪い灰色の瞳が見たかった。自分を大切そうに見つめてくれるその瞳を確かめたかった。

 それは当たり前のことだがもう石ではなかった。半分だけしか開いていないような状態でもなかった。困ったように眉根を寄せて、しかし口元はどうしようもなく嬉しそうに微笑んでいて、潤んだ灰色の瞳が揺れていた。吊り気味で少し怖い目の端からぽろぽろと雫が零れていた。

「槍昔さん、泣いてます」

 思わず言って、あんたの方がよっぽど泣いてるでしょうがとツッコミを入れられた。まったくもってその通りであるが、頼成が泣いているという事実が何となく可笑しくてるうかは笑ってしまう。

 そんな2人のやり取りを見ていた佐羽も声を立てて笑った。あまりに朗らかな魔王の笑い声に、るうかと頼成は揃って彼の方を見てしまう。泣き顔を2つ並べられて佐羽はますます笑った。そして笑いながら2人それぞれに布を差し出す。

「もう、まず2人共顔拭いて! るうかちゃん鼻水!」

「さっき落石さんだって泣いてたじゃないですかー」

「ないですかー、じゃないよ。何子どもみたいなこと言ってるの」

「お前こそ、さっきは完全にるうかに押し負けてたくせに急に生き生きしてるのな」

「頼成は黙っててよ、もう!」

 しまいに佐羽は両手に布を持って2人の顔を無理矢理拭き始めた。子どもじみたやり取りをする3人を笑顔で見守っていた緑色の魔術師はそのうち音もなく部屋を出ていく。その瞳は少しだけ悲しそうだった。


「はい、ちょっと待った」

 アッシュナークの都の郊外。普段なら時折“天敵”が出るそこで頼成が声を放つ。目の前に突然現れた彼に対して驚いた顔を向けた緑色の魔術師だったが、すぐに彼が“賢者”であることを思い出したのだろう。転移の術などお手の物であることを考えたらしく納得顔で頷く。

「何かな、頼成くん」

「礼くらいさせてくれてもいいでしょうよ」

 頼成がそう言って、隣に立つるうかも頷いた。佐羽は一緒に来ていない。彼は宿屋の床にできた血溜まりや壁に刺さったナイフや弾け飛んだ蝶番を何とかしなければと殊勝なことを言って、ここに来ようとはしなかったのだ。るうか達も強引に誘うことはしなかった。

 礼なんて要らないんだよ、と緑色の魔術師はどこか寂しそうな表情で言う。

「君を助けたのはるうかちゃんなんだから」

「ゆきさんはるうかが死んでも、死ななくても、どっちでもいいと考えてたんじゃないのか?」

 頼成の言葉は鋭く、言われた緑色の魔術師がスッと目を細めた。

「だったら、どうだって言うのかな?」

「だからあんたに感謝したいって言ってるんだよ。あんたはるうかが死ななくて済む方法を教えに来てくれた。それを用意していたのはゆきさんでも、あの人はるうかや佐羽が気付かない限りそのままにしておくつもりだったんだろう。でもあんたが教えてくれたから、るうかは生きている」

「……そうかもしれないね」

 そう小さく答えて、緑色の魔術師はこくりと首を傾げて苦く笑う。

「3年前のことは、僕も随分後悔したんだよ。すごく悲しかった。まだ少年だった頼成くんや、それに佐羽くんにすごく睨まれたことを今でも覚えているよ」

 それに、と彼は自らそれを口にする。

「るうかちゃんを殺したことも。たとえそれが“天敵”で、この世界のために倒さなくちゃならないものだとしても、必死になって誰かを助けようとした子を殺すのは辛かった」

「……」

 るうか自身は覚えていないことだったが、それは実際に手を下した彼にとってとても苦い記憶なのだろう。白に近い不思議な色をした瞳を伏せて、緑色の魔術師は懺悔するかのように言う。

「君達だけじゃないよ。僕はこれまでたくさんの“天敵”を封印してきた。それは僕にしかできないことだし、“一世”……阿也乃のためだから。阿也乃が望むことなら、僕は何だってするよ。だけど、そんな僕にも守りたいものができたんだ」

 キッ、と彼は顔を上げる。光の下ではほとんど白にしか見えない瞳の、その中心がわずかに赤い。その不思議な瞳でるうか達2人をしっかりと見つめ、彼は低く澄んだ声で言った。

「約束する。この先どんなことがあっても、僕は君達を守るよ。僕にできる全ての方法で君達を守るから」

「……それがあんたの言う“一世”、つまりゆきさんに抗うことになってもか?」

 頼成の問いに、緑色の魔術師は何のためらいもなくにこりと笑った。

「うん」

 頼成が強く顔をしかめる。信用ならない、とでもいうように。緑色の魔術師はそんな彼を苦笑いで眺めながら小さな声で言う。

「いいんだ、信じてくれとは言わないよ。ただもし、本当に困ったことがあったら頼ってほしい。今回みたいにね」

「あんたは……一体何なんだ?」

 それはるうかも尋ねたいことだった。彼は全く人間であるように見えない。その体格や言動は人間のそれであるが、髪の色といい瞳の色や造りといいあまりにも人間離れしている。そして彼だけが持つという“天敵”と封印する力もこの世界の常識から外れている。

 頼成の問い掛けに対して緑色の魔術師は少しの間黙っていた。それは何と答えようか迷っているという様子ではなく、答えてよいものかどうかを悩んでいる風でもなかった。草原に穏やかな風が吹く。血の臭いのしない風が彼の鮮やかな緑色の髪をなびかせた。彼はゆっくりと、誇らしげに口を開く。

「僕は魔術師。そして、阿也乃とこの世界を守る騎士」

 左手を胸元に当て、宣誓するかのように言う彼の瞳は澄んでいた。頼成はそれを聞いてしばらく黙っていたが、やがて「そうか」と溜め息と共に頷く。

「分かりました、あんたを信じましょう。少なくとも、今のところは俺達に近い人であることは間違いなさそうだ」

 るうかも頼成の隣に立って緑色の魔術師を見る。そしてるうかなりに考えたことを告げる。

「あなたは私を1回は殺しても、2回助けてくれたので。それで私はいいと思ってます」

 隣の頼成がぎょっとしたようにるうかを見た。そして緑色の魔術師も不思議な色の目を丸くしてるうかを見る。

「えっと、そういうことでいいのかな?」

「私がいいって言えば、いいんじゃないでしょうか?」

 当事者ですから。るうかの言い分に口をあんぐりと開けていた男2人は、やがて揃って笑い声を立てた。

「いや、敵わねぇわ。ホントあんたって……大物」

「そんな風に言ってもらえるなんて思ってもみなかったよ。うん、でもこれからも僕は君と君の大切な人達を守るからね。たとえ君が許してくれても、それだけじゃ僕が納得できないから」

「おお、るうかがいいって言っても俺や佐羽はまだ根に持ってるからな」

 にやりと笑って頼成が言えば、分かっているよと緑色の魔術師も頷く。そして彼は1枚のカードを空にかざし、緑と銀色に塗られた空飛ぶそりを呼び出した。

「きっとまたいつか会う日が来ると思うから。それまでお互い元気でね」

「ああ、いざっていう時には頼らせてもらうよ」

「ありがとうございました。お気をつけて」

 空の彼方に消えていく魔術師に手を振って、るうかと頼成は少しだけ名残惜しいような奇妙な気持ちでそれを眺めていた。

執筆日2013/11/10

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