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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第9話 それは捧げるための赤
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3

 ずるり、と刃を引き抜くとるうかが予想していたよりも少しばかり多くの赤が傷口から溢れ出した。それはるうかの腕を伝い、頼成の左手を赤く染めていく。るうかはしばらくの間それを見つめ、頼成の左手全体が真っ赤になったところで一旦左手のカタールを置いた。そしてその左手で頼成の左手の感触を確かめる。

「……やっぱり」

 それは先程までよりも柔らかく、人間の皮膚に近い感触をしていた。深いところはまだ石のままなのだろう。少し指を押し込むと硬いものに触れるが、明らかにただの石ではなくなっている。どうやらるうかの思惑は当たっていたようだ。

 それからるうかは両手を使って頼成の左袖をまくり上げ、そこにも自分の血を垂らしていった。なんだか随分と狂気じみたことをしている気がしないでもなかったが、それでも有効な方法なら実行する価値は充分にある。

 やがて右腕から流れる血の量が減ってきた。止血もしていないのに、勇者の肉体は自己治癒能力も高いのかもしれない。るうかはむっと唇を引き結び、もう一度左手にカタールを握った。いっそ右手を斬り落としてしまおうか。そうすればそう簡単に血は止まらないだろう。ああ、でもそうすると今度は左手を切るのが難しくなる。考えた末にとりあえず先程切った前腕の内側ではなく外側に刃を突き刺そうとそれを振りかぶった。その時だった。

「何やってるの……?」

 わずかな衣擦れの音と共にそんな疑問の言葉が投げ掛けられる。背後から聞こえたそれに、るうかは答えなかった。ただもう一度左手に力を込めて、自分の右腕を切り裂いた。

 赤い液体が頼成の石の肌に染みていく。るうかは少しの眩暈と奇妙な恍惚感を覚えながら、背後に向かって声を投げた。

「落石さんこそ、そこで何やってるんですか」

「……」

 答えはなく、ただ衣擦れの音だけがゆっくりと近付いてくる。るうかの背にチリチリと触れる、見えない気配がある。幾度かの戦闘を潜り抜けたるうかにはその正体が何となく分かっていた。殺気だ。

「るうかちゃん……」

 溜め息をつくような声で、佐羽が呼んだ。何ですかとるうかは答える。今度はかなり深く刺したので、右腕から流れる血の量は減らない。これで石の奥の奥まで染みてくれるだろうか?

「……どうして?」

 佐羽の問い掛けに、るうかは黙る。どうしてそんなことをしているのか、という意味ではなさそうだ。ならばどうしてその事実に気付いたのか、ということだろうか。そこまで考えて、るうかはフッと笑った。

「落石さんは、柚木さんに電話をかけてこのことを知ったんですか?」

「……」

「落石さんも3年前の現場を見ていたんですよね。石化した静稀ちゃんのお兄さんを治したのが赤い液体だったことも知っていたんですよね。ひょっとして予想はついていましたか?」

 だらだら、ぼたぼたと赤い血が落ちる。るうかはそれをなるべく無駄にしないよう、頼成の腕に自分の腕を絡ませるようにする。

「柚木さんに確かめたんですか。それで、勇者の血が石化を治す手段であることを確認したんですね」

 るうかは背後を振り返らずに佐羽に語りかける。近付いてきていた気配がるうかのすぐ後ろで止まった。

「落石さんは、槍昔さんを守りたくて石化の呪いをかけたんですよね」

「……」

「でも槍昔さんは、自分にできることをしないではいられなかった。あなたには止められなかった」

「……」

「辛かった、ですよね」

「知った風な口をきかないでよ」

 佐羽がかすれた声で言う。なんでそんなことを言うの? と囁くような声が問う。

「俺を怒らせたいの? 俺が怒って、その気持ちに任せて君を刺せばいいとか思っているの?」

「だって、その手に握っているのはナイフでしょう?」

る うかの左手のカタール。その濡れた表面がちょうど背後に立つ佐羽の姿を映していた。佐羽は右手に抜き身のナイフを持って、その刃先をるうかの首の辺りに向けている。

「でもそんな短い刃じゃ、大した量の血は出せないんじゃないかなぁ」

 ぼんやりと呟くようにるうかは言った。実際、そろそろ意識がもうろうとしてきていた。そして彼女はとてもいいことを思いついたように言う。

「そうだ、落石さんの魔法で私の身体を吹き飛ばしてくださいよ。そうしたらきっと、充分な血が」

「いい加減にしろっ!」

 がんっ、と音を立ててナイフが頼成の後ろの壁に突き刺さった。佐羽は右手に握りしめたそれを手放し、るうかの左手からカタールをもぎ取ろうとする。しかしるうかも負けてはいない。伊達に勇者と呼ばれているわけではないのだ。その握力は華奢な佐羽がどれだけ必死になってもカタールの柄を握りしめて離そうとしない。

「ああ、君の言う通りだよ! 予想はついてた! 君の血で頼成を助けられるんじゃないかってね! ゆきさんにもそう言われた! 君が失血死するくらいの量が必要だけどな、って笑いながら言われたよ! できるかよ、そんなこと! なんで、なんで君を死なせなくちゃならないんだよ!!」

 叫び、吠えながら佐羽は涙をぼろぼろと流していた。

「せっかく、会えたのに。頼成も、あんなに楽しみにしていたのに。君に会うのを」

「……会えて良かったと思っていますよ」

「なのに、そんなことをしたの?」

「それが私にできることだから」

「でもそれは頼成を苦しめることだよ」

 佐羽はるうかの左手のカタールを上から押さえつけるようにしながら、右腕で彼女の肩を抱く。背中にぴったりとくっつくようにして佐羽はかすれた声で続ける。

「考えてみてごらん。君の命を奪うだけの血を頼成に浴びせて、それで頼成の石化が解けて、“天敵”にもならずに無事に目を覚ましたとしたら。頼成が一番最初に目にするのは君だよ。君の無惨な死体だ。全身の血を失って、真っ白になった肌で、すっかり冷たくなった君を頼成が見るんだ。そして彼は気付くだろうね。自分の身体が君の血にまみれていることに。ねぇ、考えてみて。もし君が彼なら……そんなこと、耐えられる?」

「耐えられないですねぇ……」

 ふわふわとした頭で考えながら、るうかは答えた。目の前が少し暗い。

「でも私は……“るうか”は一度は死んだから」

 今度は“天敵”にならないだけいいじゃないですか。危険はないです。多分すごくショックを与えてしまうでしょうけど、それくらいで済むならいいじゃないですか。現実に戻ればまた会えますよ。ひょっとするとその私は夢であったことを何も覚えていないかもしれないけれど。

 るうかの声はほとんど声になっていなかった。ここにきてやっと佐羽も彼女が貧血で失神する寸前であることに気付いたようで、焦ったように彼女の右上腕を布で強く縛る。傷の上からも布を当てて圧迫しようとして、しかしいまだ流れ続ける血を見て一瞬その手が止まった。

 るうかの血は頼成の石の肌に染み込み続けている。赤く濡れたそれを佐羽の手がそっと拭う。そこに現れたのは健康的な色をした皮膚で、その下の組織まで人間らしい弾力を取り戻していて、佐羽は喉の奥で呻いた。

「頼成……」

 彼は迷っているようだった。るうかの血で確かに頼成の石化は解けている。まだ左腕だけだが、るうかの全身の血を使えばきっと彼の全身も人間のそれに戻るだろう。しかしるうかの命はそれだけの出血に耐えられない。佐羽の中で頼成とるうかの命が天秤にかけられているのだろう。さて、彼にとってより大切なのは一体どちらの命でしょうか?

 るうかは佐羽の手によって押さえられている左手のカタールを持ち上げる。佐羽が迷っているのなら、苦しんでいるのなら、何も彼に選ばせる必要などない。るうか自身はすでに覚悟を決めている。貧血でくらくらする頭を一度小さく振って、佐羽の些細な抵抗など軽く振り払って、赤い刃を自身の首に向けて突き上げた。

 左手が皮膚とその下の組織、それから肉と骨を貫く感触がした。しかしるうか自身に痛みはなかった。るうかの視界は暗く、ぼんやりとしていて焦点が合わない。佐羽の声がとても遠くに聞こえる。彼は何かを叫んでいる。やがてるうかは自分の首に当たっている何か温かくて少し硬くて、しかししなやかな柔らかさをもったものに気が付く。刃を伝って自分の左手に零れ落ちる赤が自分自身のものでないことに気が付く。そして目の前に青く輝く光の帯が見えて、そこに記された文字を読み解くことができた。

“血管の損傷を塞ぎ、不足した血球を産生する。損傷した骨、筋肉線維、皮下組織、皮膚、神経細胞を再生する。以上の命令を実行する”

執筆日2013/11/07

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