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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第9話 それは捧げるための赤
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2

 電話をかけに行ったまま佐羽は戻らなかった。るうかは簡易ベッドに横になり、貸してもらった布団にくるまる。折り畳み式のベッドは少し身じろぎをするだけでぎしぎしと鳴り、あまり寝心地がいいとは言えない。それでも眠らなくては、とるうかは目を瞑る。どうせこの現実の世界でるうかにできることなどない。何かあったら知らせてください、と看護師から言われて確認したナースコールも、きっと鳴らすことはないのだろう。

 るうかの戦場は夢の中だ。女子高生にはできないことも、勇者にならできる。それはきっと、“天敵”を倒すことだけではないはずだ。

 規則正しい電子音が聞こえる。カーテンを透かして夜の街の明かりが病室を仄かに照らしている。蒼い光を反射する白いベッドの上で微動だにしない青年は今夢を見ているのだろうか。るうかはなかなか眠れない。

 今日、彼が意識を失う前に一度だけ触れ合わせた唇の感触を思い出す。なんてあっけない、そして色気のないキスだったのだろう。いや、決してそのような色気を望んでしたことではなかったのだが。ただ、切なすぎて涙が出る。頼成は舞場るうかのことを好きだと言ってくれた。それが嬉しかったから、その気持ちを何とかして返したかったから、だから触れ合わせるだけのキスをるうかの方からした。頼成は何も言わずに固まっていた。ただその乾いた瞳がわずかに濡れていた。

 頼成のゆっくりとした鼓動にるうかのそれが重なっていく。意識が曖昧になり、ベッドの軋む音が遠のく。ああ、やっと眠れる。るうかはそう思って少しだけ笑った。


 目の前で、茶色っぽい髪をした中学生くらいの少女が泣いていた。高校生になった今のるうかは彼女に近付き、その頭をぽんぽんと軽く撫でてやる。泣くことはないよ。あなたはよくやったよ。るうかがそう言えば、少女は顔を上げた。泣きべそをかいた黒い瞳は今も溢れる涙に濡れていて、るうかはそれを袖でごしごしと拭いてやる。

「何もなくなっちゃったんです」

 少女は言った。それはそうだろう。“天敵”となった夢の中の彼女は死んでしまったのだから。今あの夢にいるるうかは彼女ではない。たとえ同じ舞場るうかが見ている夢でも、それはもう彼女の夢ではないのだ。大丈夫だよ、泣かなくていいんだよ。そう言ってるうかは彼女の目を覗き込む。

「静稀ちゃんのお兄さんは助かったし、他の人達も無事だった。あなたが遺したのは希望だったよ」

 本当ですか、と少女は聞いた。疑り深いところはさすがに自分だと納得しながら、るうかは大きく頷いて笑う。そういえば自分は昔からあまり笑わない子どもだった。それがいつの間にか、誰かのために微笑むことを知った。

「良かった!」

 弾けるように少女が笑った。そしてそのまま青緑色の空間に溶けるようにして消えていった。


 自分だけの夢の残滓が脳裏にこびりついている。あれは治癒術師だった3年前の“るうか”と一緒になくなってしまった記憶の断片だったのだろうか。るうかはそんなことを考えながら目を開けた。視界いっぱいに広がるのは傷のたくさんついた板金鎧だ。

「!」

 なんということだろうか。昨夜、というより今朝、夢の世界のるうかは石となった頼成の左手を握ったそのままの姿勢で、しかもその頼成に寄りかかるようにして眠ってしまったのだ。疲れていたとはいえそれはあまりにも恥ずかしいというか、情けなかった。佐羽も起こしてくれればいいものを、と思って向こう側のベッドを見やるがそこに佐羽の姿はない。先に起きたならなおさら起こしてほしかった。

 るうかは起き抜けでまだ重たい身体を頼成から離し、一度大きく溜め息をついてから石と化した彼の顔を覗き見る。こちらは現実のそれと違って瞳も口も閉じていて、柔らかく微笑んだ表情だ。しかし当たり前のことながら息をしていないし心臓も動いていない。生きている音の全くしない石像の、その左手だけがどういうわけかほんのりとした温もりを保っている。

 るうかはそれを確認してから立ち上がった。一旦部屋の外に出て顔を洗って、ついでに髪も整える。そしてやはり握ったまま眠っていた赤い鳥の羽根の髪飾りを差した。かつての“るうか”が頼成に遺した思いの証だ。無茶でも無理でも貫く信念の尊さを彼に染み込ませた名残だ。もしそれが頼成を石にしてしまった要因のひとつであるなら、今のるうかにだって責任というものがある。

 いや、本当はそんなことはどうでもよかった。ただひとつ、気が付いた可能性に賭けてみようと思っただけなのだ。もし駄目でも仕方がない。無茶でも無理でも構わない。しかしそう分の悪い賭けではないはずだ。少なくとも、これまでに聞いてきた話と事実を重ね合わせて考えた限りでは。

 部屋に戻ったるうかはその中を見渡した。佐羽は戻っていない。目当てのものはテーブルの上に揃えて置かれていた。その後ろの壁には頼成の斧槍と佐羽の杖が立てかけられている。武器を置いていったということは佐羽もそう遠くにいったわけではないのだろう。どこに行ったのやら、気にならないわけではないが、今は彼がいない方が好都合なのでそれでよしとする。

 るうかはテーブルの上に置かれた1対の小剣のうち1本を手に取った。左手に柄を握り、それからふと気付いて一旦剣をテーブルに戻す。そして右手の革手袋を脱いで、改めて左手に小剣を握った。

 カタールと呼ばれる小剣は勇者るうかの打撃力をダイレクトに敵に伝えてくれる。そのおかげで駆け出しの勇者でも何とか“天敵”を倒すことができたし、感謝もされた。まだ付き合いは浅いものの大切な武器だと感じる。

 るうかはそのカタールを左手に握りしめたままくるりと後ろを振り返った。壁に寄りかかって座っている頼成がいる。るうかは穏やかに眠っているようなその灰色の石の顔を下から覗き込んで、右手で彼の頬に触れた。冷たいそれは紛れもなくただの石だ。そしてるうかは右手を下へとずらしていく。辿り着いた先、彼の左手はやはりほんの少しだけ温かかった。

 とっくに石になっていたはずの手だった。

 あの日彼がそれをベッドに投げ出したときに響いた重い音を、るうかも確かに聞いた。

 神殿で“天敵”と戦ったとき、るうかは右肩に深い傷を負った。

 流れ出る血液を左手で押さえるようにしながら、頼成はるうかの傷に治癒術を使った。

 その後、頼成は左手でるうかに赤い羽根をくれた。右手には武器を持っていたから、左手しか使えなかったのだ。左手が使えなかったから、右手に武器を持っていたはずなのに。

 彼は左手で器用にるうかの髪に羽根を差した。

 るうかはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込む。緊張で震える左手と、頼成の温もりを感じる右手に神経を集中させる。

 頼成が以前言っていた。「勇者の血には治癒魔法でも癒せない病気を治す力があると信じられている」と。実際にどうかなどということは重要ではなく、それが広く知れ渡っているために勇者の血が狙われるのだと言っていた。しかしもしそれが単なる噂ではないとすれば。

 そして頼成はこうも言っていた。3年前、石化した静稀の兄を治したのは緑色の魔術師が使った赤っぽい色の薬のようなものだったと。もしもそれが、るうかの想像通りのものであるならば。

 心臓が早鐘のように鳴っている。耳の奥に心臓が移動してきたのかと思うほどうるさく響いている。口が渇いて仕方ない。少し怖い。るうかは一度左手のカタールを床に置いた。あまりの緊張で指が固まっていた。それを右手で少しほぐして、それからもう一度カタールを握ろうとして、やはりやめた。

 るうかは両手を頼成の石の頬に添える。俯き加減のその顔に下からようやっと頭をねじ込んで、そうしてその灰色をした冷たい唇に口付けた。現実でのそれよりももっと切なく、もっと無意味なキスだ。心も何も通わない、ただるうかの気持ちを奮い立たせて緊張を解くためだけの身勝手なキスだった。

「……馬鹿なことしてるなぁ」

 るうかは唇を離しながらそう言って苦笑した。自分でも本当に馬鹿馬鹿しいと思うが、思った以上に心が満たされているのだからなおさら始末が悪い。スムーズに動くようになった左手でえいとカタールの柄を握り、右腕を頼成の左手の上に重ねるように置く。これでうまくいけば、さてどうするか。頼成の全身の衣服を脱がせる必要があるかもしれない。しかしそれはかなり大変そうなので、その前にまず露出している手や顔で試してみようではないか。

 るうかは少しだけ歯を食いしばり、左手の刃を自分の右腕、柔らかな前腕の内側に思い切り突き刺した。

執筆日2013/11/07

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