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長い時間が過ぎたような気がする。あれからしばらくして、頼成は意識を失った。るうかは佐羽に連絡を入れ、彼が来るのを待った。やがて佐羽がダークシルバーのスポーツセダンを運転して頼成のアパートまでやってきて、それからるうかと2人で頼成を後部座席に乗せた。佐羽は重いと文句を言った。それから佐羽はるうかを助手席に座らせると、決して丁寧とは言えない運転で片側2車線の道路を何度も車線変更して周囲の車を追い抜いて、しまいには信号無視ギリギリの交差点突破までやらかして土曜日でも急患を受け付けている大きな総合病院の玄関に車を横付けした。怒鳴るように病院の職員を呼びつけて手続きを進めていく彼を、るうかは見ていることしかできなかった。そしてふと思い出して両親の携帯電話にメールを送る。それから友人に電話をかけた。
「もしもし、静稀ちゃん? 今ちょっと大丈夫?」
『るかりん、どしたのー』
比較的のんびりとした静稀の声が返る。ひょっとすると寝ていたのかもしれない。悪いとは思いつつ、るうかは手短に用件を伝える。
「お願いがあるんだ。ちょっと、すごく大事な用事があって今外にいるの。それで、多分今夜家に帰れないから。静稀ちゃんのところに泊まるってことにしてくれない?」
『は? ちょっと、何それ。るうか、大丈夫なの?』
「なんか心配ばっかりかけてごめんね。大丈夫だよ。ただ、今夜だけお願い」
『るうか……』
静稀の心配そうな声が耳に痛い。それでもるうかは今夜頼成の傍を離れることはできないと感じていた。目を離したらもう二度と手の届かないところに行ってしまうような、そんな感覚がして怖かったのだ。るうかの声から必死さを感じたのだろう、静稀は最後には折れてるうかの頼みを受け入れた。
『分かった。もしるうかの親御さんから連絡があったら、うちにいるって言っておくから』
「うん、お願い。ありがとう、静稀ちゃん」
『るうか。……もし話せることなら、そのうち話してよね。今は聞かないからさ』
「……ありがとう」
通話を終えて、携帯電話を折り畳んで、それからるうかは友人の優しさに感謝する。佐羽の方はやや強引ながらも手続きを終えたらしく、ちょうどるうかを呼びに来たところだった。頼成はすでにストレッチャーに乗せられて運ばれていったという。
「電話、終わった?」
「はい」
「お家は大丈夫?」
「口裏合わせは済ませました」
「……えっと、そう。じゃあ行こうか」
佐羽は少しだけたじろいだようだったが、深く追求することはせずに病院の建物の中へと入っていった。るうかも彼の後に続く。設備の整った総合病院は広く、初めて来たるうかにはどこに何があるのやらさっぱり分からない。しかし佐羽は慣れた様子でエレベーターのボタンを押した。案内表示などを確かめている様子もない。どうやら本当に慣れているらしい。
るうか達は3階でエレベーターを降りた。佐羽はやはり迷いのない足取りで“救急部”と札のかかった廊下へと進む。その先にはガラス戸があり、鍵が掛かるようになっていた。近くにあったインターホンを押すとすぐに応答が返る。
『はい、どちら様でしょうか』
「先程そちらに搬送された槍昔頼成の身内の者です」
『少々お待ちください』
すぐに扉が内側から開かれ、るうか達は病棟の中に通された。そこは夢の中の神殿の地下とよく似ていて、るうかはそっと目を伏せる。扉を開けてくれた白衣の女性が先導して頼成のいる部屋まで案内してくれた。そこは個室で、中にはベッドとソファ一式、それに荷物を入れるための棚とロッカー、それからるうかにはよく分からないたくさんの機械が置かれていた。テレビの医療ドラマで見るような機械がピッピッという電子音を刻んでいる。視線の高さにある機械に表示された波のような模様は心臓の拍動を表しているのだろうか。横にある数字は何だろう。見ているうちに不安になってきて、るうかは機械から目を背けた。
頼成はやはり半分だけ目を閉じた状態で白いベッドに横たわっていた。両腕に点滴の針が刺されており、右側のそれには大きな点滴バッグが繋がっている。患者衣の胸元からは先程の機械に繋がるコードが伸び、口と鼻を覆う酸素マスクがつけられていた。ベッド脇には黄色い液体……尿の入ったバッグが提げられている。まるで重病人のようなその姿に衝撃を受けたるうかだったが、何とかその場に踏みとどまった。
後ろでは佐羽が看護師らしき女性と何か相談している。付き添いのベッドがどうとか聞こえたのでるうかは振り返って佐羽に尋ねた。
「落石さん、ここに泊まるんですか?」
すると佐羽はるうかを見て当然のようにううん、と首を横に振る。
「基本的には家族の人しか泊まれないんだって。でも頼成には両親がいないから……泊まるのは君だよ、妹のるうかちゃん」
「……」
どうやらそういう設定で強引に話を進めていたらしい。付き添い申請のための書類を書くように言われ、るうかは佐羽に耳打ちされながら“槍昔るうか”という名前と頼成の住所を書いた。看護師が紙を持って病室を出ていってから、るうかは佐羽に一言物申す。
「なんてことさせるんですか」
「でも、頼成の傍を離れたくなかったでしょ?」
るうかの心はお見通しだとばかりに得意気に、実に優しい微笑で佐羽は言う。反論できないるうかだったが、それでも言いたいことはまだある。
「落石さんは、ついていなくていいんですか」
「俺はいいよ。どうせ……眠ればまた会える。石だけどね」
ぽつりと言った彼の横顔に一瞬だけ暗い陰がよぎった。るうかは彼の心情を測りかね、今度こそ黙る。
2人は窓辺に2つ用意されたソファにそれぞれ座り、ベッドの上の頼成を見るともなしに見た。なんだかあっという間の数日間だったような気がする。るうかが毎夜のように不思議な夢を見るようになり、それが気になりだしていた頃に佐羽と出会い、そして頼成と出会った。夢の中で自分を培養していた強化アクリルのケースをぶち破って途方に暮れたところを頼成に助けられ、佐羽の凄まじい破壊魔法にも助けられて研究所を脱出した。辿り着いたイアシーチの町で初めて頼成のしていることを知り、佐羽のしたことを知った。そして自分はその世界で何ができる者なのかを知った。初めて“天敵”を倒した。自分が夢の世界で勇者と呼ばれる存在であることを知り、その血が狙われるということも知った。イアシーチの町を逃げ出して、そして現実で“ゆきさん”と彼らから呼ばれる鈍色の大魔王に出会った。彼女から“天敵”の仕組みを聞き、嘘と本当のことを聞いた。武器を授けてもらって、行き先も決めてもらった。夢の世界で鼠色の大神官が治める地域の中心であるアッシュナークの都に行った。納得のできない制度とその理不尽と、それでも信念を曲げない頼成を見せつけられた。佐羽の葛藤も少しは知った。
それから、昨夜が来た。事件は終わってもアッシュナーク神殿のシステムはほとんど崩れてしまった。そしてそんなことよりも何よりも頼成が石化してしまった。これほど早くその日が来るとは、るうかも佐羽も思っていなかった。
あっという間に終わってしまったような気がしていた。静かな病室に頼成の鼓動を示す電子音だけが鳴っている。このまま何もできなければ、それは止まってしまうのだろうか? それはいつのことなのだろうか? 今夜なのだろうか? それとも明日なのだろうか?
るうかは膝の上で揃えた両の拳をきゅっと握りしめる。3年前、夢の世界で静稀の兄を見た治癒術師の“るうか”も今のるうかと同じような気持ちだったのだろうか。それとも、今の方がずっと苦しいのだろうか。頼成の想いを知っている今の方が。
不意に佐羽がソファから立ち上がった。
「ちょっと電話かけてくるね」
そう言ってシックなダークブラウンのスマートフォンを手に病室を出ていった彼を見送って、るうかは1人で頼成の病室に残される。頼成の息の音と電子音が聞こえる。酸素マスクをつけられているということは、そうしないと彼は呼吸もままならないということなのだろうか。それほどまでに彼は弱っているというのだろうか。
るうかは立ち上がり、頼成の左手に触れる。それはしっかりと温かく、わずかにだが動いた。るうかの手を握るように、しかし実際にはほんの少し指先が動いただけで。
「槍昔さん……」
声は聞こえているのだろうか。その半分開いた灰色の瞳にるうかの姿は映っているのだろうか。
どちらでもいい、とるうかは思った。頼成の鼓動を電子音で聴きながら、自分の鼓動を感じる。頼成のそれは、るうかのものと比べて随分とゆっくりだった。どうか止まってしまうことのないように、とそれだけを願ってるうかはその場に立ち続ける。
やがて、付き添い者用の簡易ベッドが病室の中に運び込まれた。
執筆日2013/11/07