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時刻はやっと朝の8時を回ったところだった。眠くないですかとるうかが尋ねて、頼成は「全然」と苦笑の混じった声で答える。
「それに、眠ったらあんたの顔も見れない」
「見ていて面白いものでもないですよ」
「それでも見ていたいんだよ」
頼成はそう言って瞬きもせずにじっとるうかを見つめている。いや、違う。途中でるうかは気付いた。頼成は自力で瞬きをすることもできないのだ。
「目、乾きませんか」
「あ、バレた」
「どうすればいいんですか。無理矢理閉じて絆創膏で留めますか」
「いや、だからそうしたら、あんたの顔も見れないんだって」
そう言いながら頼成は唯一動く左手をわずかに動かした。しかしそれは手首から先がぎこちなく動く程度でとてもではないが何かをできる動きではない。るうかはそんな彼の手を見て、それから自分の左手をそこに重ねた。
「あったかいですね」
「……舞場さん」
「夢の中でも、槍昔さんの左手は少しだけあったかかったんです」
「……」
「アッシュナークの街は無事でした。“天敵”もみんな倒せたし、神殿の人も半分は生き残ったって……輝名さんが言ってました。私達は勝ったって。槍昔さんのおかげだって、言ってました」
そうか、と頼成は小さくかすれた声で言う。それから「あんたも、佐羽も無事だったんだよな?」と確かめるように尋ねた。るうかは大きく頷く。
「大丈夫です。本当は結構危なかったんです。でも、最後に変な人が助けてくれたんです」
「……変な人?」
「緑色の髪をした人。輝名さんは“緑色の魔術師”って呼んでいました」
頼成の顔がわずかに変わった。半分だけ開いていた瞼がほんの少し持ち上がる。それから彼はもっと詳しく話してくれとせがみ、るうかは請われるままに戦いの様子と緑色の魔術師のことを話して聞かせた。最後に彼が“天敵”をカードに封印したことを告げると、頼成の表情がまた本当に微かに変わる。それは少し切なそうで、少し悔しそうでもあった。
「話、ありがと。大変だったな」
そう言って頼成は左手にほんの少し、しかし彼にとっては精一杯だろう力を込める。るうかはそんな彼の手をぎゅっと握った。通う熱は悲しく、それでもるうかの中には不思議と諦めの気持ちが湧かない。ここでこうして息をして言葉を発している彼を見ているからだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。今のるうかにはまだ分かっていないだけで。
頼成が動きの悪い口で言う。
「今度は、俺の話、聞いてくれるか?」
それは3年前の夢の世界でのことだった。
頼成はその頃から佐羽と行動を共にしていて、しかし当時はまだ2人共ただの戦士と魔術師だった。頼成は自分に治癒術を含めた魔法の才能があることを知っていたが、治癒術が“天敵”を生む事実を恐れていた。佐羽はそもそも自分の才能になどあまり興味はなく、ただ行く先々で出くわした“天敵”を倒し、それに対しての報酬を得ることで生計が成り立てばいいと考えていた。
そんなある時、彼らは1人の賢者と出会った。彼は魔王の呪いを受けており、すでに身体の半分が石化していた。それでも彼は人々を癒すことをやめず、そんな彼を見た頼成達は彼を助けて旅をすることにした。彼は頼成達を友と呼び、ありがとうと言ってくれた。それが頼成には誇らしかった。
同時に、治癒術を扱えるのに使おうとしない自分に疑問を抱いた。自分が恐れていることを防ぐ方法があることも分かった。目の前で石化していく友を見ながら、もし自分がそうなったらどうかということを想像した。それは、やっぱり怖かった。
2ヶ月が過ぎた。
彼らは旅をやめていた。とある小さな町の郊外に家を借りて、そこで3人で過ごしていた。頼成と佐羽は時々町に行ってはちょっとした頼まれごとをこなしたり、ときに現れる“天敵”を倒したりして稼いでいた。賢者はほとんど動かなくなった身体で家にいて、それでも彼を訪ねてくる患者を癒した。
ある日、頼成と佐羽が少しだけ遠出をしての“天敵”討伐を終えて家に帰ると、友が灰色の石に成り果てていた。彼は彼のために頼成達が用意したベッドに横たわって、静かに目を閉じていた。彼の綺麗な波打つ髪は自然に枕の方へと流れた状態で石になっていた。とても安らかで美しい石像だった。
頼成達はただ途方に暮れて、何もできずにそこに座り込んだ。そのうちに彼らは眠ってしまった。
夢から覚めて現実の世界で目を覚ましても何をしていいかすら分からず、そもそも友の現実での住まいや通う学校すら知らなかった彼らにはできることなど何もなかった。ただいつものように高校に行って、静かに授業を受けて帰ってきた。頼成と佐羽は同じ道を並んで歩きながら、一言も言葉を交わさなかった。その横を少しだけ茶色がかった髪をした中学生くらいの少女が一目散に駆けていった。
るうかはじっと黙って頼成の話を聞いていた。頼成は時々休みながら、そして時々るうかに頼んで飲み物を口に含みながら3年前の話を続けた。
夜になって家で眠り、頼成と佐羽はいつものようにまた夢の世界で目を覚ました。目の前には石となった友が眠るベッドがあった。2人はそのままぼんやりと時を過ごした。あまりの無力感に腹も減らなかった。その時、家のドアを叩く音がした。
佐羽が立ち上がろうとして足がもつれて転んで、代わりに頼成がドアを開けた。そこには赤い服を着て、赤い鳥の羽根を髪に差した1人の少女が立っていた。
友達の兄を助けに来たのだと少女は言った。とても真剣な表情をして、私は治癒術師だからと言った。
無理だよ、と佐羽が言った。石化は治癒術では治せない。それは彼らの知識の中にすでにあったことだった。しかし少女は強引に家の中に入り込み、石化した賢者を見て一瞬息を飲んだ後、すぐに強力な治癒術を使い始めた。頼成の目には青く輝く光の帯が友の身体を包むのが見え、それがこの世界特有の魔法言語であることも分かった。彼女はこんな呪文を使っていた。
“あなたの身体が石じゃなくて、元の綺麗な人間の皮膚と肉に戻りますように。そして人を食べるものにならずに、また元のように人を癒すものになれますように”
祈りのような呪文を光の帯に変えて、少女は治癒術を使い続ける。しかし当然のことながら賢者の石化は解けない。それは治癒術でどうにかできるようなものではないのだ。佐羽がまたそのことを口にしたが、少女の耳には入っていないようだった。
シズキちゃんのお兄さんは私が助けるって約束したから。少女はそう言って、より強力な治癒術を発動させた。そしてその時から徐々に少女の身体に変化が現れ始めた。
石化した身体に触れている少女の手が急にぼこりと波打った。それを皮切りに、彼女の両腕の皮膚の下で何かがうごめいて膨れ、それがみるみるうちに彼女の全身に広がっていった。それを見た頼成はとっさに彼女に駆け寄り、その身体を友から引き剥がそうとした。しかしできなかった。
頼成が触れた瞬間、少女の身体は弾けるように真っ赤な肉塊へと変わってしまったのだ。少女の皮の下でうごめいていた肉塊が脱皮するようにして表に現れた。そんな印象だった。それが何と呼ばれるものであるのか、頼成も佐羽もいやという程よく知っていた。それは“天敵”だった。
治癒術師の少女は石化した賢者を癒そうと必死に強力な治癒術を使い、しかしそれは望んだ効果を発揮することなく反動で少女の身体中の細胞を異形化させてしまった。“天敵”となった少女は泣いていた。声にならない声で、人間のものではなくなってしまった音で、悔やみ泣き叫んでいた。それを頼成達は黙って見ていることしかできなかった。やがて彼女が最後の理性も失って自分達を食べるのだとしても、それでもいいとすら感じていた。
少女だった“天敵”はどんどん大きくなっていく。きっと彼女はまだ諦めていないのだ。ほんのわずかに残った人間の心で、彼女は治癒術を使い続けている。そしてそれが彼女をより巨大な“天敵”へと成長させていく。赤い肉塊に時々黒い塊が混じる。肉になりきれずに腫瘍となった異形細胞の塊だ。それまでに頼成達が倒してきたどんな“天敵”よりも歪で、不格好で、気味の悪い化け物となって、少女はそれでももがいていた。
執筆日2013/11/06




