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「だから、俺はちょっと後押しをしてあげただけなんだってば」
「余計なことをするんじゃねぇよ」
「だって、君のお姫様でしょう? 会わせてあげたいじゃない、親友としては」
「誰が親友だ。てめぇは悪友以外の何物でもねぇだろうが」
「うんうん、そういうことを素直に言ってくれる君が好きだよ、俺はね」
「てめぇはいっぺんその頭をかち割って中身をいい具合にかき混ぜてもらえ。そしたらきっと人並みに、いや人並み寸前くらいにはなれるだろ。それがいい、そうしてもらえ」
「嫌だなぁ、そんなグロテスクな想像しちゃう頼成って気持ち悪ーい」
「俺はてめぇのしなを作った仕草が吐く程気色悪いわ!」
ぎゃーすかぎゃーすか。すったもんだ。
駅にほど近い県立高校の正門前で騒いでいた若い男2人が教師に事情を聞かれるのは時間の問題で、るうかはたまたまその一部始終を昇降口横の花壇脇から見守っていた。何しろその2人はるうかの見知った顔だったのである。これは迂闊に近付こうものなら関係者として事情を聞かれてしまう。穏やかに学校生活を送っている身としては面倒事など避けるに限るし、そもそもあの連中は放っておいても何ら問題なさそうだったので無視を決め込むことにした。それが賢明だとはっきり理解していた。それなのに。
ああ、それなのに。
「ああ、ちょうどよかった」
不意によく通る綺麗な声がるうか目掛けて投げ掛けられた。声ひとつで人を振り向かせるとは大した特技だと思うが、それにしても今は非常に厄介である。ましてや声の主はあろうことか。
「るうかちゃん、俺だよ俺」
どこの詐欺師だと罵りたくなるくらいの口調で爽やかに、かつ自然に彼はるうかの名を呼んだのだった。
「名前を教えた覚えはないんですけど」
警戒も露わに睨むるうかに対して、相手はあくまでにこにこと笑顔を崩さない。そして彼は傍らに立つ背の高い友人に向かって軽く顎をしゃくった。
「ほら頼成。ご挨拶は?」
「てめぇは俺の母親か」
「え、やだなぁ。俺、男だよ? だからなるとしたら父親」
「そういうことを言ってんじゃねぇ……ああもう」
どうしようもないやりとりの後、長身の彼ははぁと溜め息をついた。るうかとしても彼には多少同情しないではなかったが、この2人のつるんでいる姿を目撃した以上は同類として警戒対象だと認識している。つまり彼ら……先日るうかにメモを渡した謎の大学生と、そのメモにあった住所でるうかを追い返した青年は仲間同士であったのだった。
名前を呼ばれてしまった以上、それも学年どころか学校にも同じ名前の持ち主がいそうにない珍しい名前をはっきりと呼ばれてしまった以上は知らんふりを決め込むわけにもいかず、るうかは彼らを連れてそそくさと学校を出るしかなかった。普段目立たない一生徒であり問題のひとつも起こしたことのないるうかが若い男2人を連行する姿がよほど奇異に映ったのだろう。教師はぼうっと見送るだけで特に何も聞かれることはなかった。ただ長身の彼が隣の友人を咎めるような目つきで睨んでいた。
とりあえず裏通りの喫茶店に腰を落ち着けた3人はめいめいに好きなものを注文した。るうかはブレンド、にこやかな青年はカフェラテ、そして長身の青年は生クリームたっぷりの苺パフェ。
何故、とるうかは声に出さずに、しかしまじまじと青年を見た。
「頼成ね、こういうところでは必ずパフェを頼むんだよ」
聞いてもいないのににこやかな青年が教えてくれる。長身の青年……頼成というらしい、はむっつりとしながらもわくわくを隠し切れない様子でパフェの到着を待っていた。分からない人だ。
「なんでパフェなんですか……?」
るうかは堪え切れずに尋ねた。すると頼成はこともなげに。
「好きだからだよ」
するりと自然にそう答えた。彼にとっては自然なことらしい。
「ここのパフェはでかくて安い。だから好きだ」
「あ、ここ来たことあるんですか」
「近いからな。あー、俺も佐羽も高校あそこだから」
色々と説明が不足していたことをようやく自覚したのだろう、頼成はそう言って少しだけ自分達の身分を明かした。
曰く。彼、槍昔頼成と隣のにこやかな青年落石佐羽は幼い頃からの悪友同士であり、同じ大学の違う学部に進学して以降も交友を保っているらしい。そしてここからは佐羽が後を引き取ったのだが、どうやら頼成の方がるうかに懸想して声を掛けようか掛けまいか、いやそもそも見ず知らずの男がいきなり声を掛けたとして女子に引かれるのがオチだから声など掛けずにそっと想いを胸に秘めておくのが正解かとぐだぐだ悩んでいたのを見かねた佐羽が彼とるうかの間を取り持とうと一役買って出ることにして、そして先日るうかに例のメモを渡したとのことだった。途中頼成が「おい誰が誰に懸想した」「っていうか懸想って言葉古いなおい」「なんだその古臭い漫画みたいな流れは」「ぐだぐだ悩んでなんかいねぇよ」「てめぇは面白がっていただけだろうが!」としつこくツッコミを入れていたのだが、佐羽は全てを綺麗に流して言いたいことを言いきった。その顔は実に晴れ晴れとしていた。
「まぁ全部が全部こいつの作り話とは言わないが」
運ばれてきたパフェのクリームをちょいちょいと崩しながら、頼成はどう説明したものかと思案する様子でちらりとるうかに視線を投げる。相変わらずよくはない目つきだが、真剣さも相も変わらずだ。目元の作りで損をしているタイプなのだろうなということが分かる。薄く灰色がかった目はどこか日本人離れしているが、目鼻立ちはどこからどう見ても東洋系でいまひとつ得体が知れない。どこにでもいそうだが、どこか強い印象を持つ容貌である。
一方佐羽はといえばにこにこと得体の知れない笑みを浮かべて楽しそうに、非常に楽しそうに友人とるうかを見ながらカフェラテを堪能している。こちらは頼成と比べると実に柔和で人好きのする顔立ちで、穏やかな曲線を描く口元だとか、それにしてはきりりと締まった眉だとかがとてもよくできた人形のように綺麗で整っている。髪もふんわりと柔らかく、亜麻色に近いがどうやら天然のようで艶がいい。さっぱりした着こなしの白いシャツと黒っぽいパンツの組み合わせにしてもベルトにわずかに明るい飴色を持ってきたりと身なりに気を遣っているのだということがよく分かるが、それも決して嫌味な印象ではなかった。ただ、大学生にしては着ているものが高価に見える。その辺りは頼成とは対照的だ。
るうかがそうやってしげしげを2人を観察するだけの時間を置いて、やっと頼成は観念した様子で話し始めた。
「どうやって話したもんか悩ましいところではあるんだがねぇ……まぁ、本心はこないだ言った通り、さくっと忘れてもらいたいんだがね」
「そうもいかないよ、頼成」
「ああ、てめぇの要らねぇお節介のせいでな。……で、だ」
佐羽にちくりと釘を刺しつつ、頼成は改めてるうかを見る。
「こっちの素性はさっき話した通りだ。槍昔頼成と落石佐羽、どっちも大学2年。で、あんたについては下の名前と高校の後輩だっていうことしか知らない」
「え」
「とりあえず名前だけでも教えてもらえるか? その方が話しやすいんでね」
頼成に促され、それもそうかとるうかはフルネームを名乗る。
「舞場るうか、です。高校2年です。女子です」
「いや、それは言われなくても」
るうかなりのジョークだったのだが、頼成は片頬を微妙に持ち上げただけだった。笑っていいものかどうか迷ったのかもしれない。るうかとしてもあまり出来のいいジョークでないことは自覚しているのでそこは流してもらって構わなかった。
「女子、ね」
くす、と今になって頼成は笑う。それはどこか皮肉めいて、それでいて不思議と優しい笑顔だった。
「じゃ、舞場さん。こうやって顔を合わせちまった以上はこっちにも取らないとならない責任がある。とは言え、今は何を言っても信じちゃもらえないだろうからな……ひとまず今日のところは顔合わせだと思って、これでさよならだ」
ぱさ。軽い音を立ててテーブルに置かれたのは3枚の紙幣。
ちょっと頼成、と佐羽が珍しく眉を吊り上げる。そのやり方はよくないと思うよ。友人の忠告にも頼成は黙ったまま紙幣をるうかに差し出すばかりだ。
「何ですか、これ」
「ここは奢るから、あとはまた次の機会に……ってね。大丈夫、どうせまたすぐに会うことになるから。文句でも何でもその時にな」
それはるうかにとって抗えない声だった。まるで何度もそうやって別れを繰り返してきたかのような、慣れた感じが不気味だった。頼成と会ったのはこれが2回目のはずなのに、それは間違いのないことなのに、そのやり取りにだけは覚えがあった。
「その時に」
その時は。
あれ、と思ったるうかが何かを思い出すより早く、2人の大学生は彼女を置いて店を出ていってしまう。頼成は振り返らず、佐羽はにこりとした笑顔と「多分、またね」という思わせぶりな言葉を残して、そうして隣の友人から遠慮なしに頭を小突かれて。
「だって、頼成のためでしょう?」
最後にそう言った佐羽の声が妙に心に残っていた。テーブルに置かれた3枚の紙幣の下、隠されるようにして2人分の名前と携帯電話の番号、そしてメールアドレスが記されたメモが1枚、ぺらりと置かれていた。特別綺麗でも几帳面でもない、それでも丁寧に書かれた文字だった。
執筆日2013/10/11