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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第7話 辿る道
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 神殿の敷地から街へ出るための門はいつも開かれている。そのため門とは名ばかりで、防護の役割は全く果たしていない。故に“天敵”がそこから外に出ないようにするためには戦って食い止めるより他ない。

 それは初めから分かっていたことだ。しかし佐羽はこの神殿を造った連中に一言文句を言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。

 せめて鉄の柵だけでもつけておけよ! それだけでも少しは時間稼ぎになろうってものなのに!

 どんなに悪態をついても意味がないことは分かりきっているが、この化け物を前にしては最早どんなことも無意味かもしれなかった。そう、佐羽の前にいるのはすでにただの“天敵”ではなかったのだ。

 黄の魔王と呼ばれる青年は杖を手に溜め息をつく。その表情には諦めの色すら見え隠れしていた。彼の周囲には誰もいない。共に戦っていた神殿の戦士や魔術師がどうなったかなど、語るまでもないことだった。

「ごめん、頼成。るうかちゃん」

 佐羽はくすりと笑いながら呟く。

「なんかもう、疲れちゃった」

「そんなこと言わないでください」

 声は佐羽の目の前、化け物の真後ろからよく響いた。その瞬間、佐羽は半ば閉じかけていた瞼を上げてぱっちりと大きな目を見開く。その瞳に希望の光が宿る。

「るうかちゃん!?」

「お疲れ様です、落石さん」

 そう言うとるうかは地面を蹴って高く飛び上がった。軽く高校の校舎3階分くらいまで跳んだ気がする。そうしてやっと化け物の頭上を越えると、赤い羽のようなケープをひらめかせて佐羽のすぐ隣に着地した。輝名による強化魔法の効果である。

 佐羽はるうかの姿を見て嬉しそうに顔を綻ばせた。

「良かった、無事だったんだね」

「落石さんも……よく無事で」

「俺だけ、ね」

 守ることはできなかったよ。彼はそう呟いて目の前の化け物に目をやる。それは本当に化け物だった。

 これまで戦ってきた“天敵”はせいぜい人間と同じか、それより2回り大きいくらいの体格をしていた。しかし今2人の目の前にいるそれはすでに建物の2階を越える身長と、それに比例して太い胴を持っている。あくまで肉塊であることに変わりはないが、それでもその巨大な肉の建造物とでもいうべきものがもぞりもぞりとうごめく様は生理的嫌悪感を催させるに充分な気味の悪さだった。

「どうして、こんなに大きく」

 呟くように言って、るうかはすでにその答えに見当がついていることに気付いた。誰もいない戦場。敵も味方も消え去った敷地。最後に残った巨大な化け物。それは。

「食ったんだ。“天敵”も、人間も、みんな食ったんだよ、これは」

 佐羽が杖を構えた姿勢で言う。最早弱点を探すどころではない。何しろ弱点はそこらじゅうに見えているのだ。

 肉塊の表面にへばりつくように、人の頭が見える。鎧の一部が見える。剣先が突き出している。手がはみ出している。膝だけが辛うじて肉の外に出ている。骨が見える。開いた口が見える。空気を求めるようにぱくぱくと動いている。

 捕食されたばかりの人間達が異形細胞に取り込まれながらもかすかに人間としての名残を残している。それら全てがそれの弱点であり、それら全てを破壊しない限りそれを倒すことはできないのだった。方法は明確だが手段がない。

 佐羽のローブも血で汚れていた。綺麗な亜麻色の髪にも肉片が付いていた。荒い息をして、疲れた顔をして、それでも今は前を向いて敵を睨んでいた。それを確認して、るうかは言う。

「やりましょう。向こう側には輝名さんと、あと勇者のユイさんがいます。私達はまだ戦えます」

「輝名とユイちゃんが?」

 それは頼もしいね、と佐羽は笑った。いつものにこやかな微笑ではなく、獲物を狙う獰猛な笑みを浮かべた。

「魔王に神官、それに勇者が2人。ああ、戦力に不足はないっ!」

 佐羽の雄叫びのような声に反応するように、彼の杖から衝撃波が放たれる。それは巨大な“天敵”の表面に浮かんだ人間の残滓をことごとく切り裂き、潰し、散らした。その度に“天敵”の身体の一部が肉片となって飛び散る。るうかのような一点集中型の攻撃は普通の“天敵”相手には有効だが、こうも弱点だらけの相手となると魔王の無差別なまでの破壊魔法の方が絶大な効果を発揮するということか。

「行くよ、るうかちゃん!」

「はい。あ、私に当てないでくださいね」

「勿論。俺を何だと思っているの? 黄の魔王の名前は伊達じゃあないんだよ!」

 佐羽が吼える度、衝撃波が“天敵”を破壊する。るうかはその攻撃の合間を縫って敵に肉薄し、見える限りの弱点を叩く。しかし“天敵”もただ黙って攻撃されているわけではない。近くにいるるうかを狙ってその肉を伸ばし、まるで口のような形にそれを開いた。ご丁寧に、中には舌のようなものも見える。それら全てが異形細胞の塊である鮮やかな赤色の肉で構成されており、目にしたるうかは思わず呻いた。

「うっ……」

 その一瞬をの隙を突いて“天敵”が偽物の舌を伸ばしてくる。まるでカエルが蠅を捕るようにしてるうかを飲み込もうということらしい。るうかとしても蠅と同等の扱いは御免なので迷うことなくその舌を叩き斬った。そして人間で言えば唇の部分になろうかという辺りにあった眼球を抉るようにカタールを突き入れる。

 人間の眼球だった。綺麗な薄茶色の虹彩だった。その表面は涙で潤っていた。

 自分は一体何を殺しているのだろう? 破裂した“天敵”の血と肉片を浴びながらるうかは考える。倒している相手は“天敵”でも、そのために狙う弱点はそれが人間であったときの身体の一部だ。るうかがその剣で破壊しているのは人間だ。

 ぐらり、と視界が揺らぐ。耳の奥から声がする。


 私は何? 人間を破壊する、私は。


 “天敵”?


 るうかの身体が、精神が、支えを失う。辺りの全てが膜を1枚隔てた向こう側に見えるように感じる。それこそ、あのアクリルケースの中から世界を見ているようだ。青緑色の液体に満たされた、守られた場所。どうしてるうかは自らそれを破壊して外に出たのだろう? そんなことをしなければ、今ここでこんな思いをすることはなかったのだろうか。

 それとも。

 佐羽の声が遠くに聞こえた。焦る声に、そういえば彼を焚き付けたのは自分だったと思い出す。しかしるうかは動けなかった。指先ひとつ自由にならない。ただ何故かとても悲しくて、涙がぽろりぽろりと頬から髪を伝って耳の後ろに流れていった。

 そのとき、何か銀色のとても速いものがるうかに近付いてきた。そして“天敵”の触手に絡め取られた彼女をいとも簡単に解放し、誰かが彼女の身体を片手でぎゅうと抱きしめた。

「大丈夫だよ」

 それは場違いな程のんびりとした優しい声だった。低音で、不思議と耳に残る声だ。るうかはいつかそれを聞いたことがあるような気がして、そこまで考えてハッと我に返る。

 彼女を抱いているのは灰色のフードと同じ色の装束をまとった魔術師らしき青年だった。フードから零れる長めの髪は冗談のような緑色で、“天敵”を見据える瞳はほとんど色のない白色をしていた。辛うじて中心に赤い色が見える。彼は左手に銀色を主体とした大きなランスを構えていた。その刃先は青緑色の宝石のようなものでできており、構造はるうかのカタールと似て見える。そしてるうかは青年の右腕に抱かれながら、彼の乗る緑と銀色で塗られた浮遊するそりのようなものに同乗しているのだった。

 下を見れば佐羽が驚きに目を見開いてこちらを見ている。その顔がまるで子どものようで、るうかは不思議な違和感を覚えた。

「怖かったでしょう? よくここまで頑張ったね」

 緑の髪の青年は優しくるうかに語りかけながら、その視線を“天敵”から外そうとはしない。

「でももう大丈夫だよ。あれは僕が封印するから」

 大丈夫、と青年は繰り返す。あれだけ痛めつけられていればもう抵抗もできやしない。勝ったのは君達だよ。そう言って彼はやんわりと微笑みながら、るうかを抱いた手で1枚のカードを取り出した。

「     !」

 るうかには何も聞こえなかった。ただ何かを聞いた響きだけが耳に残る。そして青年が掲げたカードが光ったかと思うと、次の瞬間にはもう何もなくなっていた。あの巨大な“天敵”がすっぽりとその場から姿を消していた。封印完了、と青年が呟く。

 それから彼はるうかを地面まで運んでくれた。佐羽がすぐに駆け寄ってきて、そしてるうかの無事を確認して微笑む。緑の髪の青年はそんな佐羽を少しだけ切なそうに見て、そして何も言わずに立ち去ろうとした。それを輝名が呼び止める。

「待て。あんた、“緑色の魔術師”だな? 鈍色の大魔王配下のあんたがどうしてここにいる。ここは鼠色の大神官の領土だ」

 場の空気がぴりりと張り詰めた。そんな中で緑色の髪の青年は緑と銀色の乗り物に乗ったまま静かな声で答える。

「僕にも守りたいものはある。黄の魔王と同じにね」

 だからそう怒らないでよ、白銀の代行者さん。そう言って今度こそ彼は風のようにその場から去っていった。


 脅威は去った。戦闘は終わった。

 輝名達は状況確認に奔走していたが、るうかと佐羽にとってはどうでもいいことだった。彼女達は一目散に駆けて神殿の中に入る。真っ暗なその中でひとつだけ、明かりの漏れている扉があった。そこは救護所で、中には負傷した戦士や魔術師、そして彼らを治療する治癒術師達がいた。そこにいる負傷者の怪我の程度は軽く、治癒術で治しても細胞の異形化は起こらないだろうと思えた。佐羽が近くにいた治癒術師と思われる男に詰め寄る。

 男はわずかに顔を伏せながら部屋の奥にある扉を指差した。重症者はそこにいると。

 るうかは佐羽より速く駆けて、うっかり負傷者の1人を蹴ってしまって謝って、そして扉を開けた。そこは薄暗く、しかし静かな息遣いと安らかな寝息で満たされていた。

 るうかが入ってきたことに気付いたのか、床に寝ていた1人の男が半身を起こした。彼は魔術師のようで、顔にも身体にもひどい火傷の痕があった。下手をすれば命取りになりかねないような傷は、しかしすでに癒されていた。瘢痕は残るだろうが、彼は生きる。彼はるうかを見て小さく呟く。

「ライセイ様と一緒にいた方ですね」

 るうかは答えず、一度深く息を吸い込んでから男に尋ねた。

「頼成さんは、どこにいますか」

 男は黙って自分の背後を見た。薄暗い部屋の、さらに陰になった場所にそれは“あった”。

 藍色のマントをまとい、板金鎧を着込んだ体格のいい彫像だ。左手に斧槍を握り、わずかに項垂れて、それでも祈るように微笑んでいる。髪の毛の1本まで丹念に彫り込まれた彫像は、当然のことながらぴくりとも動かない。じっとその場に座って、きっと仲間の無事を祈っていたのだろう。

 自分にできることを全てやり尽くして。

 癒せる傷の全てを癒して。

 死に至るような傷さえも癒し、生かして。

 そうして“彼”は石になった。呪われた運命を穏やかに受け容れた。全身の細胞が石に変わっていくことを彼はどのように感じていたのだろう。まだ動く、と言いながら治療を続ける彼の姿が目に浮かぶようだった。るうかは何も言えず、そこから動くこともできず、ただ口を開けてそれを震わせた。溢れる涙を止めることはできず、漏れ出る嗚咽を抑えることもできなかった。

執筆日2013/11/04

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