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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第7話 辿る道
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1

 頼成の使った照明魔法の効果で照らし出された神殿の内部は本当にひどい有様だった。誰のものとも分からない赤が無秩序に線を描き、床一面を染め上げている。るうかはその中で1体の“天敵”へと標的を定めて赤い刃のカタールを構えた。

 “天敵”は大きい。一体何人の人間を食らってきたのだろうか。そして機が熟すまで少女の背後に潜んでいたことを考えればその知性はこれまで戦ってきた“天敵”よりも高くなっていると見るべきだろう。背中の頼成からも緊張を感じる。そして今は彼に庇われるようにして立っている少女からも。

 そういえば先程「どうして」と尋ねられたのだったか。“天敵”の弱点を探しながらるうかは考える。そういえばどうしてだろうか。地下の神官達を“天敵”化させたのがこの少女の仕業ならば、彼女を庇う必要はないのかもしれない。彼女にしてみれば自分でまいた種なのだから。しかし、それでも背後の少女が“天敵”に捕食されるところなど見たくもない。それでいいか、とるうかはひとりで納得した。

 “天敵”が一度に数本の触手を伸ばしてくる。そのどれもが常人には対応できないほどの速度をもって襲いかかってくるのを、るうかは両手の小剣を駆使してやっとのことで斬り伏せた。しかし対応しきれなかった2本の触手がるうかの右肩と左の腿に突き刺さる。その瞬間、るうかの目に“天敵”の足元に張り付いた布の切れ端が見えた。

 地下の牢獄で神官達が着ていた患者衣だとすぐに分かった。

「舞場さ」

 るうかの窮状を見て何か策を講じようとしたらしい頼成の声が不自然に途切れる。そしてるうかの背に頼成のものらしき身体が覆いかぶさる。るうかには背後で何が起きているのか分からない。そして目の前の“天敵”はるうかを捕らえたと見てか徐々にその距離を詰めてくる。しかしるうかが武器を持っているのも分かっているのだろう。その動きは慎重だ。まだ時間はある。るうかは後ろに声を投げる。

「槍昔さん、どうしたんですか?」

「……どうも、しない」

 頼成の返事はすぐに返った。

「舞場さんは、そっちに集中してくれ」

 背中は守るから。言葉にはしなかったが、頼成はそう言っていた。るうかは舌打ちでもしたい気分で背後の状況を想像する。すると想像するまでもなくよく響く声が叫んだ。

「馬鹿なのよ! 私が犯人だって分かっているなら、どうして庇おうとなんてしたのよ! そんなことをするから、こうして私にもチャンスが回ってきたのよ!」

 興奮した声で叫ぶ背後の少女に、“天敵”が反応する。るうかに突き刺さっている触手が傷の中でうごめいた。るうかは思わず小さく呻く。

「ん、ぐっ……」

「……くそっ」

 後ろから聞こえた頼成の悪態が思ったより近くて、それでるうかは少しだけ冷静になった。“天敵”はまだ様子を窺うようにしている。るうかは背後の少女に向かって言う。

「馬鹿はどっちよ」

「……」

「あなたもまとめて食べられたいの? それで本望?」

「な……」

「私は嫌だから。目の前で人が食べられるのを見るのは。それはあなたの嫌いな傲慢かもしれないけど」

 背中に感じる頼成の少しの重みと体温。それが少しだけるうかに力をくれる。

「命根性汚くて何が悪いの。私はこんなところで死にたくないし、誰かが死ぬのも見たくない」

「……それと治癒術は違うでしょう?」

「違わないでしょ」

 本能じゃないか、とるうかは彼女に聞こえないように呟く。目の前の“天敵”が人間を捕食することだってそうだ。生きたいから、生きるために、彼らは人を食べる。そういう風に作り変えられてしまったことを幸とも不幸とも考えている場合ではないのだろう。そしてそういう存在になってしまった自分が人間の敵でしかないことを嘆く余裕もないのだろう。

 ここには憐れみも怒りもない。ただ命のやりとりしかない。互いに、生きるために対峙しているだけで。

「……だったらもういいわよ、あなた達も私もまとめて全部“天敵”に食わせてやるわ。そうすればあなた達だって思い知るんでしょう、高度な治癒術がどれだけ罪深い傲慢なのかを!」

 叫ぶ少女に興味を示して“天敵”がその触手を伸ばす。るうかの後ろの頼成が右手で掲げた斧槍でそれを阻む。そこで頼成の小さな呻き声。

「ぐ、ぅっ……」

「馬鹿じゃないの」

 くすくすと、少女が笑う気配がした。

「逃げるんなら、今のうちだぞ」

 頼成が静かな声で少女に語りかけた。荒い息の合間に、急かすように。少女が息を呑むのがるうかにも分かった。るうかは“天敵”の足元近くにある弱点に狙いを定めながらも背後の状況に注意する。迂闊に動けば肉に食い込んでいる触手が傷を広げるだろうし、できることなら後ろが落ち着いてから仕掛けたい。しかし“天敵”はゆっくりとこちらに近付いてきており、あまり猶予もない。るうかはまだ自由のきく左手に握り込んだカタールに神経を集中し、踏ん張りのきく右足に力を入れた。好機は一瞬かもしれない。それを逃すわけにはいかない。

「……どこに逃げろっていうのよ」

 ぽつりと、少女が言った。道理である。外はすでに“天敵”で溢れていて、たとえこの場から逃れたとしても街の中までは逃げ出せないだろう。しかし頼成は大丈夫だと言う。

「地下が、あるだろ。“天敵”はあそこにはいないし、多分戻りもしない。そこは自分たちの死に場所だって分かっているだろうからな。だから事が落ち着くまでそこに隠れていればいい」

 な? と頼成は静かに、諭すように言う。

「ここで俺を刺しているよりよっぽど建設的だと思うがね」

「石化しかけの死にかけ賢者が何を言って」

 少女がそこまで言ったところで、突然“天敵”が動いた。肉の身体を大きく広げてるうか達3人をまとめて包み込もうとする。捕食の体勢だ。その瞬間にるうかに突き刺さっていた触手が抜ける。身体中を貫くような痛みと噴き出す赤とを感じながら、るうかは身を屈めて“天敵”の足元に張り付いている布を目指した。るうかに半ば寄りかかるようにしていた頼成が倒れる気配がして、悪いとは思いながらも今優先するべきは“天敵”への対処だと腹をくくる。勇者であるるうかがすべきことは、“天敵”を倒すことだと。力を込めて伸ばした左手の刃が肉の壁に阻まれた。

 “天敵”が己の弱点を庇ったのだ。気付いた時にはもう目の前に開かれた肉壁が、今もぼこりぼこりと脈打つように少しずつ増殖を続けている異形細胞の塊が迫っていた。鼻の奥を抉るような血と臓腑の臭いがする。次の攻撃を仕掛ける時間は、ない。

「まだっ」

 背後で頼成が叫んだ。

「まだいける!」

 そして彼はあろうことか、その身を弾丸のように“天敵”にぶつけた。自分に強化の魔法をかけて瞬間的に加速させたのだろう。衝撃を受けた“天敵”がのけぞり、足元の弱点が一瞬だけ顕わになる。るうかは頼成の身体の下をくぐるようにして“天敵”に肉薄、その弱点目掛けて左足の蹴りを叩き込んだ。

 破裂音と共に肉片が飛び散り、“天敵”の身体の下半分がなくなる。るうかの頭上から聞こえる頼成の舌打ち。

「弱点が複数あるタイプか!」

 イアシーチの町で最初に戦ったものもそうだった。るうかは改めて残る弱点を探す。“天敵”はしばらくその場でもぞもぞと動いていたが、やがてもう一度るうか達を捕食しようと身体を広げた。るうかは頼成の身体を支えて一旦後ろへと飛びすさる。左腿からの出血が目についた。しかしそれよりも深刻なのは右肩から鼓動に合わせて噴き出す鮮血で、すでにるうかは貧血による頭痛を感じ始めている。気付いた頼成がその傷に左手を当てた。

「ちょっとじっとしててくれよ」

「っ、槍昔さん」

「大丈夫だ、これくらいなら石化は進まない」

 るうかの心配していることが何なのか、彼はすぐに分かったらしい。その気遣いすらるうかの胸には痛く感じられる。

 横目に先程の少女を見た。彼女は目の前で繰り広げられる死闘に放心気味で、最早動くこともできないようだった。“天敵”にしてみれば格好の餌だろう。ここまできて彼女を食べさせるわけにもいかない。

 るうかのこめかみを汗が伝った。右肩の出血が治まったおかげで少しずつ身体全体も回復してきている気がする。しかしまだ頭痛は続いており、ほんの少しではあるが眩暈もする。万全には程遠い。この状況で一体どんな風に動けば“天敵”の弱点を見付け出してそれを破壊できるのだろうか。実戦経験の乏しいるうかにはもうどうしていいか分からなくなっていた。それゆえに、動くこともできない。

 “天敵”は狙いを少女に定めたらしく石の床に赤い痕跡を引きずりながらゆっくりと前進してくる。るうかはまだ動かなかった。少女は気付いてわずかに後ずさり、しかしその背中はすぐに近くのソファに触れて止まった。彼女の膝が崩れて唇がわななく。確実に近付いてきている捕食者がいるにも関わらず、死の恐怖が彼女をその場に縫い止めていた。るうかはそれをじっと息を殺して見つめる。

 正面から見た限りではあの“天敵”に他の弱点は見当たらなかった。では別の角度から見るしかない。“天敵”が少女に近付き、わずかに身体の向きを変えた。そのときるうかの目には肉塊の背中から生える一房の髪の毛が映った。人間であった頃の名残を生々しく残しているその一房が一瞬だけるうかの心にためらいを生じさせる。

 その瞬間が仇となった。出遅れたるうかがそれでも駆け出した先で“天敵”が肉の身体を広げて少女を包み込む。頼成が何かを叫んで、るうかが加速する。強化の魔法だ。それでも“天敵”が少女を包み込む方が早い。少女は目を閉じていた。唇を噛み締め、恐怖に耐えながら最後の瞬間を待っていた。それは彼女が彼女なりの思想に殉ずる意思の表れであったのかもしれない。それでもるうかはその瞬間を見たくなかった。

 足が引き千切れてもいいから間に合え。そう念じながら突き出した右手のカタールは肉塊には届かず。

 目の前で大きく広がった肉の膜がぼこりぼこりとうごめきながら少女の姿を覆い隠した。

 そして、それは唐突に四散した。

執筆日2013/11/04

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