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るうかの友人、清隆静稀の兄は3年前にるうかと同じように続き物の夢を見ていたらしい。そしてそのことを妹である静稀に少しだけ話していたそうだ。彼は妹に忠告していた。「もしも毎晩続く夢を見るようだったら、俺に相談してくれ」と。そんなことがあった数日後の朝、彼は突然ベッドから起き上がることができなくなったという。慌てて救急車を呼んですぐに入院して検査をしたが、彼の身体には何も異常はなかった。彼は半分眠ったように目を閉じていたが意識ははっきりしており、口を動かすことも難しかったが意思の疎通は何とかできていた。誰もが彼の容体を不思議がって、そして心配した。
中学生だった静稀は当時から友人だったるうかにそのことを話したという。するとやはり中学生だったるうかは少し考えた後で、「分かった」と言ったらしい。「私が何とかするから」と。
そして翌日、静稀の兄は突然、何の前触れもなく回復した。医者も家族も不思議がったが、静稀だけはるうかに感謝した。きっとるうかが言葉通りに何とかしてくれたのだと思ったのだという。彼女の兄は何も語らなかったが、その時から静稀はずっとるうかを恩人だと思っていたのだった。
だからもし悩みがあるなら力になりたい、話してほしい。静稀はるうかにそう言ってくれた。るうかは友人の心遣いに感謝し、それでも夢のことを詳しく話すことはしなかった。何故なら、るうか自身がその3年前の出来事を全く覚えていなかったからである。それが不思議で、不気味で、るうかは静稀に対して何も話すことができなかった。そして、何事もなく数日が過ぎた。
アッシュナークの都、郊外の草原。
るうかは鈍色の大魔王、柚木阿也乃からもらったカタールを手に“天敵”と対峙している。イアシーチの町で戦ったものよりいくらか小型で動きも遅いそれの弱点を探すことはたやすかった。地面を蹴ってダッシュ。“天敵”の肉の胴体の斜め後ろに回り込んで、そこにあった青い布らしきものを目掛けて思い切りカタールを突き出す。赤い刃が青い布に飲み込まれると同時に“天敵”の身体はその場で四散した。お見事、と近くで見ていた佐羽が手を叩く。
「動きが良くなったね。大分慣れてきたんじゃない?」
「はい」
少しだけ息を乱しながら、るうかは頷く。アッシュナークに来てから数日、たまに郊外に出現する“天敵”をこうして佐羽と共に倒している。“天敵”の出現情報は随時広場に張り出され、腕に覚えのある者が狩りにいく仕組みになっているそうだ。おかげで都の中にまで“天敵”が侵入してくることはまずないという。
それにしても、とるうかは思う。どういうわけかアッシュナークで相手にする“天敵”は小さくて弱いものが多い。言葉は悪いが、戦闘の練習としては手頃な相手ばかりである。イアシーチで戦った“天敵”を思えばいっそ可愛いほどだ。だからこそ不思議なのだ。どうしてアッシュナークの周辺には揃って弱い“天敵”が出るのだろうか、と。
理由などどうでもいいのかもしれない。この世界でるうかができることは勇者として“天敵”を倒すことで、それによって“天敵”による被害を防ぐことである。たとえそれが元人間でも、生きたいと願った結果として生まれた化け物だとしても、人を食らう敵であることに変わりはない。やらなければやられる。それはイアシーチの町で“天敵”が人間を食らう姿を見て嫌というほど分かっていた。
「今日はこのくらいかな。そんなに頻繁に“天敵”も出てこないしね。何せここにいる治癒術師のほとんどは神殿で祝福を受けているから」
佐羽が言って、草の上にぽんと腰を下ろす。魔王として治癒術師達に呪いをかける役割の彼は、神官による祝福の仕組みについてどのように考えているのだろうか。るうかは彼の隣に座り、思い切って尋ねてみた。すると佐羽は少しだけ呆れたように肩をすくめた。
「俺に、彼らをどうこういう権利はないよ」
「そうですか?」
「だって俺は何のリスクも負わずに、治癒術師達にそれを押し付ける呪いをかける立場だもの。自らリスクを冒して治癒術師をも救う神官達のすることに口を出してはいけないと思うよ」
佐羽の答えを聞いて、るうかは考える。果たしてそうだろうか? 佐羽は何のリスクも負っていないと言えるのだろうか?
「落石さんは、槍昔さんのことをすごく心配しているじゃないですか」
「……」
「本当は槍昔さんに高度な治癒術を使ってほしくないんでしょう。石化してほしくないんでしょう」
「まぁね。でも、それは頼成が決めることだから。そしてその呪いをかけたのは俺だから」
「槍昔さんを守ろうとしてかけた呪いだったんじゃないんですか」
しばらくの沈黙の後、佐羽は「ねぇ」とるうかに呼びかける。その視線は前を向いていて、るうかには彼の横顔しか見えない。
「ねぇ、るうかちゃんはさ。もしも俺や頼成が“天敵”になったら、それを殺せる?」
「え」
「“天敵”になった俺や頼成は人間を食べるよ。町を滅ぼすまで人間を食べ続けるよ。そして自分が移動できる範囲に人間が全くいなくなったときに餓死するんだ。そんな“天敵”になった俺達を殺せる? さっきの小さい奴みたいに、その剣で」
ひどい質問だった。“天敵”を倒すことしかできないるうかに、その質問は酷だった。そして佐羽はるうかの答えなど初めから期待していない様子でこう続ける。
「俺にはできない。もしも頼成や……るうかちゃんが“天敵”になったら、俺は君達を殺せない。殺さない。だからそのまま黙って君達に食べられて、それでおしまい。後がどうなろうと知ったことじゃない。いつか君達が餓死するまで……その肉の一部として一緒にいるよ」
「破滅的な考え方ですね……」
「俺ってそういう奴だから。でもね、それでもできればそんなことは避けたいんだ。たとえ……頼成がいつか完全に石になるとしても。生きて一緒にいられる方がいいから……」
そう言って佐羽はわずかに目を伏せた。そして突然るうかの方に身体を向けると、両腕を伸ばして彼女の身体をかき抱いた。あまりに唐突なその動作に、るうかは間抜けにも口を半開きにした状態で固まる。佐羽はるうかの首元に顔を埋め、小さな声で言う。
「どうすればいいのかなんて、俺にも分からないよ。頼成も君も、守りたい。君が俺なんかに守られなければならないような弱い存在だとは思っていないよ。でも、でも大切なんだ。本当に、大切なんだ……」
「……どうしてですか?」
るうかは佐羽に抱きしめられながら呟くように尋ねる。
「落石さんや槍昔さんに大切にしてもらう理由なんて、私にあるようには思えません」
「それでいいんだよ」
佐羽は静かな声で言う。その声音は大分落ち着いてきていて、彼は顔を上げてるうかの目を見つめて笑う。
「君はそれでいい。でもお願い、大切にさせて。そして俺達と一緒にいてほしい」
綺麗な鳶色の大きな瞳が微笑んでいる。るうかは不思議な気持ちでそれを見ながら、ただ頷くことしかできなかった。
それから佐羽は何事もなかったかのようにるうかから身体を離すと、「ごめんね」と軽く笑って都の方へと歩き出す。頼成が待ってるよ、と言われてるうかも立ち上がり、彼の後を追った。彼はそれから宿屋に着くまで一度もるうかの方を見ようとしなかった。
宿屋の部屋に戻ると頼成がベッドに横になっていた。部屋のテーブルの上には覚えのないいくらかの紙幣が置かれている。頼成の息は荒く、気付いた佐羽がすぐに彼に駆け寄った。
「ちょっと、頼成!」
すると頼成は重たそうに左手を上げて「よお」と返す。その声は案外しっかりしていたが、佐羽はわなわなと震えて絞り出すようにして彼に言う。
「どうして。この都には祝福を受けた治癒術師がたくさんいるじゃない。君が治療する必要なんて」
「何言ってんだよ、魔王」
言葉の割に優しい声で言って、頼成は笑う。
「俺がこの都に来ているって知った連中が何人か来てな。断るわけにもいかねぇだろ。それに、身内に神官がいるんだとさ」
「……」
「だから祝福を受けた治癒術師には頼めないって。身内を“天敵”にしてしまうのは恐ろしいって」
「他人の君なら石になってもいいって?」
「そこまで言っちゃいなかったがな」
「ははっ……」
佐羽は吐き出すように笑い声を立てて、それからよろよろと壁に向かい、そこに寄りかかる。
「大したものだよ賢者頼成。俺の呪いをものともせずに、よくそれだけ他人のために尽くせるね」
「他人のためにやってるつもりはねぇがな。……佐羽、落ち着けって。お前と同じ、これも俺の自己満足だよ」
そう言って頼成は左手を高く上げる。素手のはずのそれは、ほとんどが灰色に染まっていた。
「正しいとか、正しくないとか。報われるとか、報われないとか。どうでもいいんだそんなこと」
彼は遠くを見つめる目で語る。その目は先程草原でるうかに語りかけていた佐羽とよく似ていた。
「できることをしなくちゃならない」
頼成はそう呟いてくすりと笑う。
「ずっとそう思ってる。そっちの方がよっぽど呪いみたいなもんだ」
「拷問だよ」
「悪いな」
頼成は上げていた腕を下ろす。どすん、という重い音にるうかの身が震えた。誰も何も言わない時間がしばらく過ぎて、それから彼女は黙って部屋を出た。とてもではないが、その部屋に居続けることはできなかった。
執筆日2013/11/01




