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神殿の地下へと続く階段は鍵の掛かった扉の奥にあった。頼成が頼むと係の者がすぐに鍵を開け、中に通してくれる。「お気をつけて」という係の声を背に、頼成は無言で階段を下りていった。るうかも黙って後に続く。
るうかに神官と祝福について説明してくれた神官らしき青年は、地下に特殊な牢獄があると言った。そこに祝福を授けた神官を入れ、やがて“天敵”となったときには彼らを殺すのだと。おぞましい話だと感じた。しかし頼成にかけられた呪いも結局は同じことだろう。誰が犠牲になるか、の違いでしかない。そしてそれによって助かる誰かがいる限りはその仕組みがなくなることもない。
地下は聞いて想像していた雰囲気とは全く違う様子をしていた。白く清潔な壁と、歩きやすいようにと廊下の両側に設けられた手すり。四方に伸びる廊下の中央に監視室のような場所があり、常に4、5人の監視官がいるとのことだった。そしてその他にここにいる神官達の世話をするための介護係の人間が10人程働いているらしい。廊下の見通しはよく、見れば何人か廊下を歩いている人の姿があった。彼らはちょうど病院の患者衣のような着せやすそうな服を着て、介護係と思われる人と一緒にゆっくりと歩いていた。そう、そこは牢獄というよりは病院に近い雰囲気をしていた。
頼成は監視官に一声かけ、見学の許可を得る。そしてるうかを連れて廊下を歩きだした。廊下には左手側に一定の間隔でスライド式の扉が設けられており、大きな窓から中の様子が見えるようになっている。空室だという一室を覗いてみると、中も本当に病室のようだった。白い壁に白い床、白い清潔そうなベッドと私物を入れる棚がある。しかし病室と異なる点がひとつだけあった。それは外の見える窓がないということで、それだけがその空間を牢獄らしく見せていた。また、扉から少しだけ陰になった場所に半透明の衝立があり、その向こうはトイレになっているとのことだった。なるほど、確かに牢獄である。
しばらくそうして見学していると、介護係と共に歩いてきた神官のひとりとすれ違った。彼は20代半ばくらいに見える青年で、しかしあまりにも生気のない、沈んだ表情をしていた。すれ違うるうか達を見ようともせずに、ただゆっくりと一定のペースで足を前に進めている。彼が着ている患者衣の右袖からは人間の手ではないものが生えていた。指の形を失い、肉色にうごめくそれはまさに“天敵”であり、気付いたるうかは思わず青年を振り返る。介護係の女性がるうかの視線に気付いてわずかに頭を下げた。
「色々と手を尽くしてはいるらしい。少しでも“天敵”になる速度を遅らせようってな」
頼成がそう言って、立ち止まったるうかの手を引く。
「でもそのうち、いくら覚悟を決めた神官でも精神が耐えられなくなるそうだ。自分の身体が徐々に化け物になっていくんだからたまったもんじゃないでしょうよ。しかも人間を助けるために祝福を授けた自分が人間を食うものになろうっていうんだから。そのストレスで肉体より先に精神に限界が来ちまう神官も多いらしい」
説明をしながら、頼成はある扉の前で足を止めた。その部屋の中では神官が1人ベッドの上に仰向けに横たわっていて、その首から顎にかけてはすでに皮膚ではなく肉の色をしていた。形も歪で、時々うぞうぞとうごめく。それでもその神官は微動だにせずにただ天井を横たわっているのだった。
「あのくらいになると、もう話しかけても何も反応しないそうだ。当然、食事やトイレなんかも自分ではできないから介護係の人が全部を手伝う。もう少し“天敵”化が進むと今度は世話をした人間が食われる恐れが出てくるから、完全に放置される。そして人間の姿を失ったときが最後だ」
淡々と話す頼成だが、その目元には抑えきれないやりきれなさが滲んでいる。るうかの手を引く彼の手にも力がこもっており、るうかにしてみれば少々痛いほどだった。
「ずっと……“天敵”が出るようになってから、ずっとこういうものなんですか」
「神官による祝福の仕組みができてからはずっとこうだよ。神官のメンタルケアとか、それをする人間のケアとか、保障とか、そういうのは色々改正もされてきたけどな。基本的な仕組みはずっと、こう」
祝福を施し、その身に“天敵”となる細胞の異形化を引き受けた神官達の末路を安らかに守っていく場所。ここはそういう場所なのだった。そして間違いなく牢獄であり、死に至るための場所でもあるのだった。
「なんで」
るうかは堪え切れずに呟く。
「なんでそんな道しかないんですか。呪いも祝福も同じじゃないですか。結局誰かが助かるためには別の誰かが犠牲になるんじゃないですか。なんでそんな」
「それでも、現実の世界じゃ助からない人々がこの夢の世界では助かるんだ」
頼成はきっぱりと言って、それからるうかを真っ直ぐな瞳で見据えた。
「その希望を誰が否定できる? 誰かの犠牲の上にしか保てない命なら失っていい、そんな綺麗事を死にかけた病人やその家族に押し付けられるか? 勿論、この仕組みを知っているから諦めるっていう患者もいる。それはそれでいいさ。でもそれでも生きたいっていうなら、それはそれで覚悟だ。生きている限り、生きることのできる希望がある限り、生きたいと願って何が悪い。それが叶えられる世界で誰がその希望を潰す権利を持つっていうんだ」
頼成の口調には鬼気迫るものがあった。彼自身、身体の石化が進行していくことを日々感じながら生きているはずだ。それでも死病に苦しむ人々を助けようとする強い覚悟が、彼を支えているのだろう。本当に辛いのは彼だと、るうかにだって分かっている。分かっていても気持ちの整理ができない。
「私には、そこまで納得できません」
「……別に、無理に納得しろとは言ってねぇよ。ただ……ここにこうしている神官達の覚悟とか、生き方とか、そういうのを否定はしないでくれ。それしかなかったからそうしたわけじゃない。悩んで、悩んで、それが自分にできることだと決心したから彼らは神官になったんだ。そして誰かを救うために祝福を授けたんだ。それだけは、できれば受け止めてやってほしい」
そう言うと頼成はフッと目元を和ませた。何か遠くを見ているような眼差しでるうかの目を見て、それから彼は「出ようか」と告げる。
「もう充分だろ。佐羽をあんまり待たせても悪いしな」
彼はそう言って、るうかの手を引きながらゆっくりと地上への階段を上っていった。
いつの間にか日が傾いていた。周囲の建物の影が落ちる広場ではそろそろ店じまいをしている露店もある。昼間と比べると人も少ない。るうかと頼成はその中で佐羽を探して歩いていた。
「どこ行ったんだ、あいつ。暇持て余してどっかで飲んでんのか?」
「ちょっと時間かかっちゃいましたもんね」
「ま、そのうち戻ってくるだろうが。……舞場さん、疲れてたらその辺で待っててもいいんだぞ。俺が一回りして探してくるから」
「いえ、大丈夫です」
頼成の気遣いに対してそう答えたるうかだったが、内心は少し違うことを考えていた。身体も頭も確かに疲れていて、できれば座って休みたいというのが本音である。しかしここで頼成と離れてしまうことは恐ろしい。何しろ勇者はその血を目当てに狙われるという話を昨日聞いたばかりなのである。ここアッシュナークの人々はるうかが勇者であることなど知らないだろうが、それでも1人で取り残されるのは不安だった。
頼成はるうかの内心に気付いたのかそうでないのか、ただ「そうか」と頷いて再び歩き出す。彼は途中、冷たい飲み物を売る屋台の前で足を止めて水筒に1杯のジュースを買った。そしてそれをるうかに差し出す。
「ちょっと休もう。俺も結構疲れた」
ニッと笑いながらそんなことを言う頼成に神妙に頭を下げて、るうかは水筒の中身を一口飲む。それはよく冷えたレモンスカッシュだった。この世界にもそんな飲み物があることに驚きながらもう一口飲み、るうかは水筒を頼成に返す。
「ありがとうございました。美味しかったです」
「もっと飲んでいいよ。あ、それとも炭酸苦手だったか?」
「いえ、そんなことないです。好きです」
「じゃ、もう少し飲んでくれよ。俺はそんなに喉乾いてないから」
夕日に透ける短い黒髪の下で、あまり目つきのよろしくない灰色の瞳が細められる。それはとても優しい表情で、るうかは大人しく水筒のジュースを飲んだ。爽やかな酸味と甘み、そして喉を刺激する炭酸が心地良い。半分程飲んだところで頼成に水筒を返すと、彼は「もういいの?」と言いながら自分も水筒に口をつけた。るうかがほんの少しだけ赤くなっていることには気付く様子もない。夕日のせいだろうか。
「……し、じゃあまた佐羽捜しに戻りますか」
水筒を空にした頼成はそう言って歩き出す。るうかは何も言わず、ただ彼の後についていった。
執筆日2013/10/30