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同じ夜の夢は覚めない  作者: 雪山ユウグレ
第4話 鈍色のテリトリー
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 ガタついたアルミフレームの扉に、やけに重厚な木彫りの看板。そこに書かれた文字は“関係者以外立ち入り禁止”。そこに入っていいということは、今のるうかは関係者扱いだということだろうか。

 ここで頼成と初めて会ったのはつい一昨日のことだった。その時彼はるうかを追い返すようにしたのだ。それが昨日の夢で事情が変わった……そう考えるのが自然だろう。るうかがあの培養槽を出てしまったために。それはるうかにも何となく分かった。

 頼成がボロビルと表現した通り、建物は今にも崩れそうな程に傷んで見えた。アスファルトにめり込むような基礎ブロックにはワラジムシが何匹も這っているし、打ちっぱなしのコンクリート壁はひび割れて、そこから水の染み出したような跡が幾筋も残っている。中の鉄筋が錆びているのか、赤みがかった金屑のようなものが壁の下に溜まっていた。ビルそのものは5階建てだが、見えるどの窓にも内からベニヤ板が張り付けられていてとても使用されているようには見えない。傷んで危険であるために立ち入り禁止になったビルのようにも見えた。しかしそれにしては中に何かの気配がある。

 普通に人が働くビルの気配とは違う。もっと異質で、常識では測れない何かの気配だ。それが何なのか分からないまま、るうかは扉の前で立ちすくむ。

 看板の文字は無視していいと頼成は言った。だからるうかがこの扉を開けて中に入ったとして、もし咎められても責任は頼成にある。頼成がいいと言ったから入った。そう言えばいいだけのことだ。

 しかし、それでもるうかの足は動かない。手はドアノブに触れることができない。怖い、と感じた。

 そう、まるでこの扉そのものが悪夢へ通じる入口になっているような気がして。

「なかなか鋭いじゃないか」

 びん、と空気を震わせる声がした。まるで耳元で大声を出されたかのようにやたらと響く声だった。るうかはびくりと身を震わせて、それから左右を見る。誰もいない。

「ここだよ」

 人を食ったような、初めから馬鹿にしてかかるような声だった。そしてそれはるうかの目の前にある扉から聞こえた。そう思った次の瞬間、急に内側からドアが開いて中から伸びた2本の腕がるうかを建物の中へと引きずり込む。それは一瞬の出来事だった。

「ようこそ、我が秘密基地へ」

 ニヤニヤと笑いながらそう言ったのは先程からの声の主で間違いないだろう。るうかの両腕をがっちりと掴んで、やけに近い距離で笑顔を向けてくる。その口元からはきついミントの香りがした。それからその人はるうかの手を離し、扉に鍵を掛ける。見れば灰色の髪を随分長く伸ばした女性で、背はるうかと同じか少し小さいくらい、歳はるうかより一回り上かその少し下くらいに思えた。艶はあるがあまり手入れされていなさそうな灰色の髪を後ろでひとつにまとめた女性は、それを翻すようにして再びるうかの方を見る。彼女はだらりとした白衣を着ていたが、それも薄汚れてほとんど灰色に近くなっていた。顔色は白っぽく、まるで化粧っ気がない。それでも濃い灰色の眉はくっきりと凛々しく、その下にある吊り気味の目は眼鏡の奥にありながら青く煌めいていた。日本人ではないのだろうか。

「改めて、ようこそ我が秘密基地へ。歓迎するよ、勇者るうか」

「……」

 口紅も何も塗っていない、自然な赤色の唇がるうかの名を呼んだ。勿論るうかとしては初めて会った女性に気安く名前を呼ばれる覚えなどない。大体にしてるうかはこの女性の名前を知らない。すると女性はまるでるうかの心を読んだかのようなタイミングで再び口を開いた。

「おっと、こいつは失敬。まだ俺の名前を言っていなかったな。俺は柚木阿也乃(ゆきあやの)。ゆきさんとでも呼んでくれればいい。どうせつまらない女さ」

 ゆきさん、という呼び名には聞き覚えがあった。そう、確か昨夜の夢で佐羽がその名を口にしていたのだ。次はどこに行く、と尋ねた頼成に対して佐羽は「ゆきさんに聞いてから」と答えていた。つまりこの女性は佐羽の知り合いなのだろう。しかし、一体どういう知り合いなのだろうか。

 するとまたるうかの内心を見透かしたかのような調子で阿也乃が言う。

「佐羽は俺の可愛い弟子さ。黄の魔王は鈍色の大魔王が唯一直接の弟子として認めた優秀な魔王だ。おまけに眉目秀麗で性格もとても素敵にねじ曲がっている。可愛くて可愛くてたまらない。あれが嬉々として破壊に勤しむ姿は見ていてうっとりする程だ」

 恐ろしいことを言っているが、どうにも本気らしい。青い瞳にうっすら涙さえ浮かべて、恍惚とした表情で阿也乃は佐羽の魔王としての魅力を語る。ということは、彼女も“同じ夢”の共有者なのだろう。佐羽が魔王であることを知っているならば。そして、“鈍色の大魔王”というのも昨夜確かに聞いた呼び名だ。佐羽がるうかを庇うため、勇者の血を狙った男に対して使った脅し文句の中にその単語が出てきた。

「あなたが、鈍色の大魔王なんですか」

 るうかはぽつりと呟くような声で尋ねた。正面切って声をかけるのがためらわれたのだ。どういうわけか、この女性はるうかの考えていることを見通しているようなのである。そうとしか思えないタイミングで言葉を発してくる。そんな得体の知れない相手に言葉を掛けるのは勇気の要ることだった。阿也乃はるうかの問いを聞いて「いかにも」と至極満足そうに頷いた。

「俺が夢世界の全ての魔王の頂点たる鈍色の大魔王だ。どんな呪いも思うがまま、どんな破壊もお手の物だぜ? なぁ、勇者るうか。たとえお前の拳でも俺を倒すことなんてできやしないのさ」

 青い瞳をるうかに寄せて、大魔王は不気味に囁く。私は女子高生です、とるうかは呟いた。阿也乃はニヤニヤと薄気味の悪い笑いを浮かべながら「果たしてそうかな?」とるうかに詰め寄る。

「今はそうとしか思えないだろうな。だがそのうちに境目が分からなくなる。夢も現実も目を閉じてしまえば一緒さ。どちらを、どちらと思い込むかだ。その選択が重要になる」

 よりリアルに感じる方を、人間の脳は現実と認識するだろう。不気味な笑顔で、厳かに阿也乃は言った。まるで神の託宣でも告げるかのような重々しさでそんなことを言ったのだ。るうかの腕に鳥肌が立つ。

 気付けばるうかは阿也乃によって壁際に追いつめられていた。建物の外観からは考えられないような綺麗な壁である。淡く落ち着いた色彩でまとめられた室内、品の良い壁紙、歩きやすいタイルカーペット。まるできちんとした会社のオフィスのような部屋で、薄汚れた白衣の女性よって壁に磔にされている。その状況がうまく飲み込めず、るうかはただただ混乱した。そう、まるで昨夜の悪夢の始まり、あのアクリルケースから外に放り出されたばかりの時のように。阿也乃が思い出したように囁く。

「そういえば、まだ理由を聞いていなかったな」

「理由?」

「ああ。何故、お前は自分から培養槽をぶち破って外に出るような真似をした? そんなことをしなくとも、時期がくれば俺が手ずから出してやったものを」

 俺から逃げ出したのは、何故だ。ミントの香りのする口元から白い歯と紅い舌を覗かせて、楽しげに、責め立てるように、阿也乃は尋ねた。そう、彼女が着ているのは研究者のような白衣だ。そしてるうかの入れられていたアクリルケースがあったのは近未来の研究所のようなところだった。彼女がそこの責任者だというのだろうか。るうかを“培養”していたというのだろうか。では、ここにいるるうかは? 女子高生としての毎日を送っているるうかは、現実なのか、それとも。

「よせ」

 短い声は外へ通じる扉の方から割って入った。見れば後ろ手に扉を閉めながら、頼成が中に入ってきたところだった。彼は阿也乃と同じように扉に鍵をかけ、そのままるうか達の方へと大股で近付いてくる。

「おかえり、頼成」

 阿也乃はるうかを壁に押し付けたまま、頼成を振り返って言う。頼成は「ただいま」とは返さずに阿也乃を睨みつけた。

「放せよ。素人の女子高生を虐めてんな」

「虐めていたつもりはないがな。頼成、随分と勇者にご執心のようじゃないか」

 そう言いながら阿也乃はるうかの肩を押さえていた手を離した。途端に頼成がるうかの手を引き、その大きな身体で彼女を阿也乃の視界から隠すようにする。

「こいつをあんたの好きにさせる気はねぇ」

「知っている。だがここに来させたということは、俺の知恵を借りに来たんだろ? 夢の世界を生き抜くために必要な知識をこの娘に与えてやろうって、大体そんなところだろうが」

 クク、と喉の奥で阿也乃は笑う。

「知っての通り、ここは俺の……鈍色の大魔王のテリトリーだ。無傷で帰れると思うなよ」

 舌なめずりをしながら、大魔王・阿也乃はそう言ってるうかと頼成を睨みつけた。

執筆日2013/10/27

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