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町を見下ろす丘の上でしばらく待っていると、佐羽が荷物を持ってやってきた。荷物といっても大したものはない。せいぜい頼成の財布と、あとはさほど大きくない布袋がひとつである。保存食が入っているらしい。
「これじゃあ3日ももたないねぇ」
そう言って佐羽は苦笑した。次はどこ行く、と頼成が問う。
「あんまり情報もないから、ゆきさんに聞いてから考えようかな。とりあえず今夜はここで野宿だね」
「俺は構わねぇが」
言いながら、頼成はちらりとるうかを見た。るうかは一度町の明かりを見て、それから頷く。
「私も大丈夫です。キャンプはしたことあります」
「テントもない、本物の野宿だぞ? 動物除けの結界くらいは張るけど、それくらいしかないぞ?」
「それに男2人に囲まれて眠ることになるけど、本当に構わない?」
気遣っているのか茶化しているのか分からない佐羽がそんなことを言ったので、るうかは軽く拳を固めて殴る仕草をしてみせた。佐羽はわずかに身を引く。
「お前も懲りないな」
頼成が呆れ返ったように友人を見やった。
それからるうかは佐羽の案内で近くの小川に行き、手袋とケープに付いた血を洗い落とした。夜目にも澄んでいることが分かる川の水が茶色がかった血で濁り、またすぐに元の清浄な流れへと戻る。一応は綺麗になった装備を絞り、いつも洗濯の後そうするようにぱんと音を立てて伸ばすと、もう血の臭いはしなかった。きっとうっすらと残ってはいるのだろうが、るうかの鼻がそれに慣れてしまっているために分からないのだろう。
丘の上に戻ると、頼成が野営の支度をして待っていた。幸いなことに寒くはないので暖を取るための火は焚かず、先程言っていた動物除けの結界を張るための魔法の印のようなものを書いた紙をいくつか地面に置いている。風に飛ばされたりしないのかと思ったが、見ればそれらは太い釘で地面にしっかりと固定されていた。力技だ。明かりはなくても大丈夫そうだった。
「この世界の夜は明るいんですね」
真上に見える星明かりを見ながらるうかが言うと、月はないけどな、と頼成が答えた。そういう晩なのかと思っていたら、そもそもこの世界の夜空に月はないらしい。
「この世界がそもそも地球みたいな惑星なのかどうかすら怪しいしね」
佐羽がそう言って満天の星空に手を伸ばす。夜光をまとった星々の明かりは、まるで現実世界の街の夜景のように鮮やかで眩しかった。
「ここはあくまで夢の世界だから」
自分に言い聞かせるように、佐羽が言う。現実じゃないんだよ。
「現実世界で同じ夜にこの夢を共有している人は、現実でもこの世界でも同じように存在していることになる。でも現実世界でこの世界の夢を見ない人もいるし、この世界にいて現実世界を知らない人もいる。重なっている部分はあるけど、別の世界なんだ」
地面に一部が重なり合う2つの円を描きながら、佐羽が説明した。そしてこの世界には現実世界ではまずお目にかかれないような奇跡の力……魔法があると。
「俺の破壊や呪いも、頼成の治癒やその他色々便利なものも、それに君のその怪力も、魔法の一種といえる。身体能力だけで説明できる力じゃないからね」
るうかを示して佐羽は言った。るうかは頷く。
「そしてその力で“天敵”を倒すことのできる君みたいな人は“勇者”と呼ばれる。そんな勇者が町にいると知れたらどんな扱いを受けるか……昼間の頼成の仕事ぶりを見ていたら何となく分からないかな?」
「頼まれるんですか。また“天敵”を倒してくれって」
「そうだね。そうして町に留まってほしいって言われる。町専属の勇者になってほしいって。でもね、それはまだいいんだ」
そこまで言って、佐羽は一度ふうと息を吐いた。そしてちらりと頼成を見る。頼成は少しだけ肩をすくめながら後を引き受けた。
「勇者にはもうひとつ意味がある。言ってみりゃ、他から欲しがられるような“価値”がある。それはその“血”だ」
るうかを遠慮なく指差し、頼成は強い口調で言う。親が子どもによく言い聞かせる時のように。
「勇者の血には治癒魔法でも癒せない病気を治す力があると信じられている。実際にどうかなんてことはこの際重要じゃない。それが広く知れ渡って信じられていることが問題だ。勇者の血を欲しがる人間は多い。それを集めて高く売りつけて儲けようなんていう輩も多い。さっきのオヤジみたいな、な」
「……」
「“天敵”がいるうちは勇者はその力をあてにされて生かされる。でも“天敵”がいなくなれば今度はその血を狙われて殺される。いくら怪力があっても、毒でも盛られりゃたまらねぇ。宴だなんて最高に怪しいじゃねぇか」
そう言って頼成は両の掌を上に向けた。
「こっちが知らないとでも思っていやがったのかね、あのオヤジ」
「俺達が若いと思って甘く見たんじゃない? どちらにしてもイアシーチにはしばらく近付かない方がいいね。向こうはまだるうかちゃんを諦めていないかも」
「……だな」
言い合う2人の会話を横目に、るうかは自分の掌を見つめる。手袋に包まれていたそこには血の跡はない。アクリルの破片で切った傷も頼成のおかげで跡形もなく消えている。それでも薄い皮膚の下には無数の血管が走っていて、そこには留まることなく血が流れている。
現実世界であれば、それはただるうかの全身に酸素と栄養を送るためのものだ。あとは免疫機能がどうのという話も習ったが、とにかくるうかの身体のためだけにあるものだ。
しかしこの夢の世界では違うらしい。“天敵”は人間を食らうし、勇者の血は人間にすら狙われる。自分の身体やそこに流れるものの意味が、現実とはまるで違う。
なにそれ、とるうかは思った。夢の世界なのだから理不尽もある意味当たり前のことなのかもしれない。しかし受け入れられるかというと話は別だ。るうかの頭の中には現実世界の常識があり、それに則ってしかこの夢の世界を見ることができない。
頼成はこの世界が続き物の夢だと言っていた。目が覚めれば自分の部屋だが、また夜になって眠りに落ちれば同じようにこの世界で目を覚ますのだと。だからある意味、これは覚めない夢なのだと。それが本当なら恐ろしいことだと、るうかは思った。
「ハードな世界なんですね」
確認するように呟いたるうかに、そう思う? と佐羽が問い掛ける。
「現実だって充分ハードだと、俺は思うけどね。だって現実の俺達には何の力もない。それでいてお金を稼いで、生きていかなきゃならない。面白くもない勉強をしてさ」
「魔王の力があると、夢の世界の方が楽なんですか」
「どうかな。そうとも言い切れないけど」
うーんと首を傾げて、佐羽は困ったように笑う。そして佐羽は頼成を見た。どう? とその視線が問う。
「とりあえず、こっちの世界には入試はないよな。それは楽だ」
「あの時は大変だったもんねぇ」
「夢なんて見ている暇もなかったわ。けど、現実では力がなくても生きていける。みんながそうやって生きている。おまけに“天敵”もいねぇ」
少なくとも食われる心配はないわな。そう言って頼成はるうかを見た。るうかはなるほどと頷く。
どちらもどちらで厄介なことがある。しかし少なくともるうかにとっては、これまで生きてきた現実の方が慣れている分まだ楽であるように感じられた。夢の世界では“天敵”と戦い、おまけにその血のために命まで狙われるというのだからそうそう慣れられるものではない。この夢はいつまで続くのだろうか、とるうかはひとり溜め息をついた。
そろそろ寝るか、と頼成が言う。彼は草の上にごろりと横になって、ふうと深い息を吐いた。身体は決して楽ではないのだろう。その顔には疲労の色が濃い。佐羽がその向こうにころんと転がって、頼成に背を向けた。るうかは少し考えて、佐羽とは反対側の頼成の隣に寝転がる。ふんわりとした草の寝床は意外と心地が良かった。緊張が緩んできたのか、とろとろと眠気が押し寄せてくる。半分閉じた瞼の向こうに明るい星空が滲んでいる。
ごそ、と隣で身じろぎする気配があった。半分眠りに落ちていたるうかはそちらに顔を向けることはせず、ただ何か柔らかくしなやかで、それでいてがっしりとした棒状のものが頭の下に差し込まれた感覚を感じていた。そして身体の上には柔らかく大きな布が被せられる。温かいな、とるうかは思った。
頭の後ろと身体の上から伝わる温もりに安堵するように、るうかは深く息を吐いて眠りについた。
執筆日2013/10/24




