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るうかと佐羽は近くの家の屋根に登った。るうかは初めそんなことは無理だと言ったのだが、家の脇に並べられていた水の入った樽を足掛かりにするりと屋根まで上がることができた。不思議な程に身体がよく動く。屋根の上に立つと、るうかの赤いケープが風になびいて本当に羽のようだった。やっぱりよく似合うね、と佐羽がこの場に似つかわしくない呑気なことを言う。
「弱点って、どんな感じなんですか」
るうかは直面している問題について尋ねた。佐羽は少し考えてから答える。
「肉の色をしていない部分、だね。それは布だったり、金属だったり、皮膚だったりする」
「……皮膚?」
「大きさも様々だ。下手をすると針の先くらいしかないこともある。それは“天敵”の大きさにはよらず、あくまで個体差だ。だからあれの弱点がどれくらいの大きさかは全く分からない。どこにあるかもね」
「夜にそれを探せって、結構無茶じゃないですか」
「でも君の目にこの夜はそれ程暗く見えてはいないでしょ?」
見えるよ。そう言って佐羽はるうかを安心させるように微笑んだ。君なら見えるし、あれを倒せる。
そう言われてるうかは近付いてくる“天敵”へと目をやった。心なしか先程見た時より大きくなっている気がする。いや、どう見ても大きくなっている。石畳についた血の跡の幅がどんどん大きくなってきている。
見れば見るほど気味の悪い、グロテスクな魔物だった。しかしるうかはそれを見て何か悲しいような気持ちを覚える。何故だろう。“天敵”が時折上げる声がまるで泣き声であるかのように聞こえる。それは親を探す迷子の声にも似ていた。だからだろうか? どちらかといえば臆病な部類に入るだろうるうかの心中に恐怖心は薄い。あれは、敵というには何か自分に近いもののような気がした。
きらり、と。
“天敵”の頭のてっぺんに禿のようなものが見えた。それは町のわずかな明かりを集め、反射していた。
「……眼鏡のレンズ?」
のようにるうかには見えた。そこだ、と佐羽が言う。るうかは屋根の端から“天敵”目掛けてジャンプした。
身体は自然に動いた。まるでそれが本能であるかのように彼女の足は屋根を蹴り、宙に身を躍らせ、気付いた“天敵”が彼女を見上げるより早くその頭頂部にあった禿のようなレンズのような部分に鉄拳を叩き込んだ。
ばん、と弾けるような音と共にレンズの一部が割れる。そして“天敵”の頭部周辺の肉が面白いように周囲に飛び散った。もっとも、それが本当に頭なのかどうかはよく分からない。ただ身体の一番高いところにあって、少し丸みを帯びていたので頭と呼んだだけだ。その部分が綺麗に吹き飛んで、辺りに肉片を散らした。お見事、と佐羽の声がする。
るうかは“天敵”の少し後ろに危なげなく着地した。そこへ飛んでくる“天敵”の肉の腕。どこまでも伸びそうな、鞭のようなそれをるうかは少し身をひねっただけでかわす。そこへ佐羽が得意の衝撃波を叩き込む。
「弱点を突かれて吹っ飛ばされて、まだそんなに動けるのかい? しぶといやつだね」
ニヤリと笑いながら“天敵”と対峙し、魔王はさらに喉の奥でクックッと笑う。
「まさか自分が優位だなんて思っていないよね? “天敵”。お前は所詮ただの肉塊だよ。その全身を二度と再生できないくらいに吹っ飛ばしてあげるから、覚悟して」
“天敵”はじっと佐羽の言葉を聞いていた。そしてわずかに身体を震わせていた。まるで怒りを表現するかのように。そしてるうかはその震える身体の側面にもうひとつの禿……いや眼鏡のレンズを見付ける。
弱点は2箇所あったのだ。佐羽は1箇所の弱点を破壊されても倒れない“天敵”を見てその可能性に気付き、わざと挑発するようなことを言って時間を稼いだのだ。そうと分かればるうかのとるべき行動はひとつである。もうひとつの弱点を、叩く。
たん、と石畳を蹴ったるうかを迎えるように“天敵”がぐるりと後ろを向きながら手を広げた。そこへ上から佐羽が衝撃波を叩き込む。“天敵”はそれを自分に届く前に握り潰した。どうも魔法はあまり効かないようだ。しかし一瞬の間にるうかは“天敵”へと肉薄していた。側面に見える弱点は煌めいて、いい的に思えた。拳を叩き込もうと身構えたその時、反対側から回り込んだ“天敵”の腕がるうかの脇腹を殴り飛ばした。
全く見えていなかった。防御を考えに入れていなかった。るうかの身体は面白いように弾き飛ばされ、あっという佐羽の声が遠くに聞こえた。随分長いことそうやって宙を舞っていた気がする。そうしてるうかはそこにあった煉瓦造りの壁に身体を叩きつけられ……。
なかった。
がしゃん、という硬い音がして、音とは反対に軟らかくしなやかな何かがるうかの身体をしっかりと受け止めた。ずるり、とるうかの身体は地面に落ちる。そして後ろからどさりという重い音が。
「っ、槍昔さん!?」
そこにいたのは鎧とマントを隙なく着込んだ頼成だった。浅く荒い息をして、それでも手に持った長い武器で身体を支え、口元にわずかに笑みを浮かべる。
「おう」
「大丈夫ですか」
「平気だ。あんたは」
「大丈夫です」
よし、と頼成は頷いた。向こうから佐羽が叫ぶ声がする。
「頼成! どうして来たの!?」
「馬鹿野郎、舞場さんにいきなり実戦やらせる奴があるか! 何かあったらどう責任取るつもりだったんだ、あァ!?」
佐羽の倍の声で怒鳴り返し、頼成は憤然と立ち上がる。“天敵”はぬるりと動いてるうか達を襲うべくその身体を広げていた。側面の弱点は肉に隠れてよく見えない。
「いいか、舞場さん。俺がサポートする。隙を作るから、その間に奴の弱点を叩いてくれ」
「言っていることは落石さんとそう変わらないです」
「分かってる。でも俺じゃあれに致命傷は与えられない。佐羽の魔法をどんぴしゃで食わせりゃ勝てるが、向こう側にいるあいつとそこまでうまく連携できるかは分からねぇ。すまないが、あんたに頼むしかねぇんだ」
頼成は本当にすまなそうに、やるせなさそうにそう言った。まだ身体は本調子ではないのだろう。顔色は悪く、足元もやや覚束ない。石になった踵は彼の体重をうまく支えきれていないのかもしれない。るうかは頼成の厳しい目元を見ながら、頷く。
「分かりました、やります」
「……頼んだ。その代わり、あんたのことは死んでも守る」
さらりと言って、頼成は長い武器を構えた。それは夜光に煌めく蝶の翅の形をした斧槍だった。彼の高い身長よりなお長いそれを携え、頼成は小さく息を吐く。それから叫んだ。
「 !」
るうかには聞き取ることのできない音だった。それを引き金に辺りが突然眩しく輝く。音が消える。視覚と聴覚が当てにならなくなった一瞬、研ぎ澄まされたるうかの感覚に触れる気配があった。るうかは避ける。すぐに視界は回復し、一瞬前までるうかのいた場所に肉の腕があった。その先は壁にめり込んでいた。腕の向こう側で頼成が斧槍を振るう。煌めく蝶と共に発せられる、るうかには聞こえない呪文。
「 !」
“天敵”の、先程るうかによって吹き飛ばされた頭のあった辺りの断面に火が点いた。他と比べて柔らかかったらしいそこの肉はよく焼けて、香ばしくも胸の悪くなる臭いを辺りにふりまく。“天敵”はもがき、火を消そうと肉を広げて頭のあった辺りを包み込もうとした。そこへ再び頼成が目くらましの魔法を使う。今度はるうかも驚かず、すぐに彼の意図を理解した。見えない聞こえない一瞬の世界で気配だけを頼りに“天敵”の方へと回り込む。視界が回復する。
すると目の前に“天敵”の側面があった。すぐそこに、頭へと伸ばされた肉に引っ張られるように露わになった、眼鏡のレンズの姿をした弱点があった。るうかは一瞬のためらいもなく、そこに全力の拳を叩き込んだ。
“天敵”の全身が激しい破裂音と共に爆散し、四方の壁という壁に血の色の染みを作った。
執筆日2013/10/24