トマソンドア編
トマソンがある。
トマソンと言うのは、町中に突如として現れる無意味な……と言うよりは、本来あったはずの意味を失った建造物の名残りだ。
どこにも繋がっていない階段とか、ただそこにあるだけのドア。
そう、おれが見たのはドアだった。
「空き地にさ、変なドアあったよな」
晩めしの魚をつつきながら妻に聞いてみたが、「え、そんなのあった?」と興味が無さそうに答えるだけだった。
「あったんだよ、ピンク色のドアでさ。トマソンみたいでね」
妻は「ふぅーん」と言って缶チューハイをごくりと飲み込むと、おれを見て「え?ごめん。なんの話だっけ?」と笑った。
次の土曜、おれは空き地でピンク色のドアを探した。
しかしドアはどこにもなかった。
土管の裏にも、近くのゴミ捨て場にも無い。地面にはドアが置かれたような跡も無い。
──気のせいか?
妻の言うように、本当は何も無かったのかも知れない。
──帰ろう。
勘違いか。疲れていたんだろうか。
空き地を出るとき、独り言を漏らすメガネの子どもとすれ違った。
「いいな、スネ夫のやつ。また3人で遊んでさ。あーあ、ぼくもどこか行きたいなぁ」
いじめられっ子と言う感じだ。
「ぼくもどこか自慢できるところに行きたいなぁ。そうだ、帰ったらドラえもんに何か出してもらおう」
大きな声でそう言うと、メガネの子どもは足早に去って行った。
──どら……?
古風と言うか、仰々しい名前だ。老人か?それにしては親しげと言うか、雑さすら感じる関係性に聞こえた。
──それにしても。
どこか、行きたいところ。
──無い、なぁ。
学生の頃に通った喫茶店は、いま行ったところで当時みたいに寛げないだろう。
海外はもとより国内旅行だって、行く楽しみよりその労力が先んじてしまう。
──寝ていたい。
義務と言う義務、日常の全てを投げ出してしまいたい。
あぁ、それでも自宅トイレのドアを開けるみたいに人気のない浜辺に出て本を読んだり、洗面所に行く感じで大草原の真ん中に出られるなら……。
──どこにでも行けるドア、か。
空き地で見たあのトマソンドアが、どこにでも行けるドアだったら楽しいかも知れない。
──ハハッ
やはりドアなんて無かったよ、おれの勘違いだった。
妻にそう連絡をして、ご機嫌取りのケーキを買って帰ることにしよう。
ドアを開けた時、彼女はどんな顔をしているだろうか。




