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第六話 本来の己に立ち返った罪

 夜は深かった。月は雲に隠れ、星もまた遠い。まるで世界そのものが目を閉じたかのような暗さだった。その暗さは、狩りの時間には最適なものだった。光がないということは、罪もまた輪郭を失うということだ。闇はすべてを曖昧にする。正しさも、誤りも、それぞれの過去でさえも。

 城門が開く。軋む音が、冷えた空気を裂く。子供たちが並ぶ。背の低い影、細い腕、獣のように光る瞳。整然と、だが内側に熱を孕んだ隊列。血への渇望が、列の奥からじわじわと滲み出している。私はその先頭に立つ。始祖として。導く者として。子供たちを飢えさせぬために。飢えさせぬのは親としての責務、それは世の常識だ。

 行進が始まる。足音が揃う。石畳を叩く音が、夜に溶ける。闇は私たちを拒まない。むしろ迎え入れる。闇は優しい。闇は平等だ。怪物も、人間も、同じ色に染める。疎外感というものは一切感じないものだ。闇の中では、私は異物ではない。私はただの影だ。辺りを見渡しても、そうなっていないものはおるまい。

 遠くに村の灯が見えた。小さな灯り。揺れる橙色。人間の生活の証。温もりの証。あの灯りの下で、人間たちは眠っている。守られていると信じて。夜は静かだと信じて。愚かだとは思ったが、それもまた当たり前だと思った。今まで襲われてきたこともなかった村だ。古い習慣で神の加護のおかげとでも思っているのだろう。神は来ない。来るのは私だ。

 私は歩みを止めない。いや、止められない。これは義務であり不可欠であるから。私が選んだ道ではない。だが、私が背負った道だ。やがて村の外れに辿り着く。犬が一匹、吠えようとした。その喉は、次の瞬間には裂けていた。

 夜の静寂に、一際強い亀裂が音を立てた。そして、始まる。子供たちは散った。風のように。影のように。窓が割れる音。悲鳴。床板が軋む音。最初の叫びは短かった。二度目は長く、三度目は途切れた。迅速で無駄がない。美しいまでの食事。優美、という言葉がこれほど似つかわしい惨劇もない。

 私は村の中央に立っていた。赤い噴水、粘質な水たまり。月のない空を仰ぎながら、耳だけがすべてを拾う。肉が裂ける音。骨が砕ける音。血が溢れる音。子供たちは食らう。飢えを満たすために。生きるために。私が与えた呪いを、維持するために。扉を蹴破り、喉を噛み、温かい血を浴びる。小さな体に似合わぬ量を飲み干す。こぼれた血が床を染める。赤が広がる。広がる。広がる。人間は抵抗する。だが夜の中では遅い。遅すぎる。人は夜の闇を克服できてはいない。依然として、それは変わらない。

 私は一軒の家に入った。灯りがまだ揺れている。机の上には温かいスープ。湯気が立っている。生活の匂い。生の匂い。椅子の横に、震える男がいた。目が合う。その男の感情はありありと読み取ることができた。恐怖。理解。絶望。そして、諦念。

 男の首を切り裂き、温かい噴水に口をつける。血が流れ込む。生きている味。脈動する熱。だが、喉が拒む。変に固く感じられる。心の渇きを満たすはずの血が、ただの液体のように感じられた。胸の奥が満たされない。全身の渇きが癒やされず、残り続ける。まるで、この方法では、消し去ることはできないとでも言わんばかりに。私はすぐに口を離した。男は崩れ落ちる。今にも脳が活動を停止してもおかしくない状態だったが、まだ息があった。子供の一人が背後から現れ、その残りに齧り付く。躊躇いなく、貪欲に。私はそれを止めない。止める理由がない。渇きは癒せばいい、どんな方法だろうと。だが本当に、癒えているのか。………そんな問いは意味をなさないか。

 村は、やがて静かになった。泣き声も、叫びも、やがて消える。残るのは、咀嚼の音と、滴る音だけ。人間の息吹は根絶され、代わりに血を啜る音が残る。食らい尽くす。残さない。骨も、血も、温もりも。何もかも吸収して残さないと、そうしているかのように。存在そのものを否定するかのように。

 私は広場に戻る。足元に血が広がっている。だが月がないせいで黒く見えた。赤ではなく、黒。黒い血。黒い夜。黒い私。闇の中ではそれら全てを同一のものと見做せる───後ろを振り向かずに。振り向けば、それは白昼の下にいるのと同じだ。

 帰路は軽い。子供たちは満たされている。口元に赤を残し、目を輝かせている。満腹の獣は従順だ。大人しく、夢見心地になる。城門が再び開く。行進は終わった。終わって良かった。

 玉座の間に戻り、私は一人になる。喉に残る血の感触を確かめる。足りない。いや、足りている。どちらなのだろう。以前ならば、もっと欲した。どれだけ飲んでも、体が受け付けなくなることはなかった。血の匂いに酔い、温もりに溺れた。だが今夜は違う。飲めなかった。飲み干せなかった。飲み干したいと、思えなかった。

 脳裏に浮かぶのは、赤い絨毯。拍手の音。金の勲章。血の匂いのしないもの。血を伴わぬ称賛。私は舌打ちをした。何を考えている。何を比べている。怪物が、人間の光と自らの闇を並べてどうする。私にそれらを並べる資格があるのか。無いに決まっている。無いはずだ。

 玉座の背に寄りかかる。喉は渇いていない。だが、何かが欠けている。満たされぬのは、血ではない。では何だ。

 玉座の間の大扉が規則正しくノックされた。

「入れ。」

 ノストラが現れる。黄金の瞳は、静かに私を射抜いた。

「……本日は、お飲みになられる量が少なかった。」

 事実だけを言う声。だが、その奥に疑念がある。言葉の裏には私を疑い、また、心配するような気持ちが隠れている。

「問題はない。」

「いいえ、ございます。」

 即答だった。

「ここ数日のご様子。行進を控えたこと。血への反応。すべて、以前のあなた様と違いになられすぎる。」

 私は沈黙する。玉座の肘掛けを指で叩く。規則的に。規則的に。その音は私の心臓の鼓動とよく似ていた。

「何が言いたい。」

「始祖が揺らげば、群れは崩れます。」

 真っ直ぐな言葉。忠誠から来る刃。そのような事実を私が知らないとでも思っているのだろうか、いや、そんなことはない。………再確認か、忠告か。あるいは懇願か。

「あなたは、血を欲していない。」

 その指摘は、夜より冷たい。

「……馬鹿な。」

「今夜、最後まで飲まれなかった。以前の貴方様なら、あの村全てを干上がらせていた。」

 図星だった。この変わりよう、私自身が一番気づいている。だが認めない。

「気分だ。」

「それで抑えることができぬのは貴方様が一番よくご存知でしょう。」

 沈黙が落ちる。重い。濃い。ノストラは一歩近づく。

「人間の世界で、何を見たのですか。」

 拍手。勲章。そして一際強く残る、ロアンソの笑み。光の中で笑っていた顔。それは答えない。答えられない。

「私は、あなたの変化を恐れています。」

 その声は、わずかに震えていた。忠誠か。恐怖か。あるいは両方か。

「あなたは吸血鬼の始祖だ。我々の父君だ。導く者だ。──それ以外になってはならない。」

 それ以外。それ以外とは何だ。怪物でない私か。光に立つ私か。私は立ち上がる。影が長く伸びる。床を這い、柱を登り、天井へ届く。

「私はこの領地を統べる最長老だ。」

 自らに言い聞かせるように。確認するように。眷属の首にかけた鎖を握り直すように。

「………ええ、それでこそ私たちの父君です。」

 ノストラはしばらく私を見つめ、やがて深く頭を下げた。

「私めが出しゃばるなどもってのほか、非礼をお許しください。」

 二つ返事でそれを了解した。扉が閉まる。再び静寂が城を包む。

 私は一人、玉座に座っている。喉に触れる。血の味は、もう残っていない。代わりに残るのは、あの友人との会話。あの光景。あの音。鎖は、確かに繋がっている。外れはしない。だが、その鎖の材質が、少しだけ変わり始めている気がした。鉄ではない。もっと、柔らかい何かに。そうであってほしいという願いでもあったかもしれない。

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