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エピローグ 血によって繋がれた鎖と罪

 夜は、終わりを迎えた。遠くから朝日が顔を出し、視界に映る草原は黄緑に色づいていく。だが──あの赤い月だけは、まだ瞼の裏に残っている。ノストラは、遠くからその光景を見ていた。最後の決戦、騎士と、吸血鬼の一騎打ち。

 ノストラは動かなかった。動く必要がなかった。───終わりは、アーカルド様が既に決めていたからだ。どうこうするつもりはない。

 暖かな風が吹く。草原の土の匂いに混じって、古い血の気配が流れてくる。懐かしい匂いだった。いつも、玉座のまで感じていた匂い。絶対的であった主の出す、厳格な気配。生命力の意味。

 だが、今は違う。それは──終わりの匂いだった。視線の先で、一人の騎士が、膝をついている。その腕の中には、もう動かない、吸血鬼の亡骸。彼女はそれを抱きしめたまま、離さない。何度も、何度も呼びかけている。声にならない声で。涙を零しながら。

 ノストラは、それをただ見ていた。主の亡骸を前にして、何も感じていないわけではない。だが、足は動かなかった。動かそうとも、思わなかった。

 怒りはあった。憎しみも、あった。ただ、理解していた。───ああ、そうか。そういうことだったのか、と。

 アーカルド様は死んだ。だがそれは、無念にも殺された結末ではない。全く逆だ、選んだのだ。自ら、その終わりを。あの騎士に、ロアンソに託すように。

 視線を落とす。かつての主。永遠に続くはずだった存在。退屈を嫌い、血に飽き、物語に縋った男。その最期は、あまりにも輝いていた。もう一人の、主人公。その言葉が似合っていた。

 ノストラは、ゆっくりと踵を返した。背後では、まだ泣き声が続いている。振り返らない。振り返る理由が、なかった。あの場所は、もう自分の立つ場所ではない。あれは、一人の人間と、それに愛された一人の男の終わりの場所だった。

 そして、自分は、その外にいる。ただの邪魔者でしかない。割って入るなど不躾だ。草を踏む音が、静かに続く。城へと戻る道は、やけに長く感じられた。だが、不思議と足取りは軽い。胸の奥に、ぽっかりと空いた何か。それが、痛みなのか、解放なのか、ノストラには、まだ分からなかった。いずれ満たされるのかも、もう戻らないのかも、知りようがない。

 ただ、一つだけ。確かなことがある。アーカルド様は、あの騎士に、恋をしていた。それが人間のそれと同じかどうかは、分からない。だが、少なくとも血を啜るための執着ではなかった。殺すための執念でもなかった。

 もっと──歪で、脆くて、滑稽でどうしようもなく、人間らしい何かだった。だから、殺せなかったのだろう。最後までできなかった。その喉を、裂くことが。それに、あの物語小説が、全ての転換点だっただろうから、それに反することはできなかったのだろう。

 頭の中であれこれ考えているうちに、ふと、自らの頬が濡れていることに気づいた。ノストラは、小さく息を吐いた。

「……らしくない。」

 誰に向けた言葉でもない。そして、誰に向けていないというわけでもない。だが、その声音は、どこか柔らかかった。

 城の門が見える。重く、閉ざされた扉。だが、そこに主はいない。もう、戻る意味もない。それでも、ノストラは中へと入った。いつもと同じように。何も変わらないかのように。ただ一つ違うのは。玉座が、空になっていることだけだった。



 ───時は、流れる。

 昼。空は高く、青く広がっている。海の匂いが、風に乗って運ばれてくる。波の音。人の声。荷を運ぶ音。活気に満ちた港町。だがその場所は、北の大地の中でも、特に危険とされる漁港だった。荒れる海。戻らぬ船。それでも、人は集まる。それでも、人は進む。

 岸に、一人の少女が立っている。血のように赤い髪。光を宿した、黄金の眼。年若く見えるその姿には、不釣り合いなほどの静けさがあった。

 その手には、小さな荷物だけ。小さなカバンの中に入っているのは、一冊の冒険小説と、勲章。持ち出したものは、ほとんどない。必要なものもないが、それで十分だ。

 目の前には、一隻の船。荒波を越えるために作られた、頑丈な船体。それでも、絶対ではない。だが、それが良い。冒険というのは困難がつきものだ。船員たちが声を張り上げる。

「早くしろ、新入り!トロトロしてると鯨の餌にしちまうぞ!」

 すみません、と一言断りを入れて、急いで乗船する。そして、空を見上げる。そこには、もう赤い月はない。ただの、青い空。あの時の全てが何も残っていないようで、それでも、確かに、何かが残っている。胸の奥に。消えない形で。

「……さて。」

 小さく、呟く。誰に聞かせるでもなく。ただ、自分に言い聞かせるように。

「行くとしましょう。」

 一歩、踏み出す。足取りは、迷いがない。振り返らない。もう、戻る場所はない。だが、進む理由は、ある。父上様が、最後に見ていたもの。父上様が、最後に選んだもの。それが、どんなものだったのか、確かめるために。

 船の上で、潮の匂いを感じ取る。甲板に立ち、風を受ける。海の匂いが、強くなる。帆が張られる。みしりと材木が軋む音。

 やがて、船は、ゆっくりと岸を離れる。港が遠ざかる。陸が、小さくなっていく。ノストラは、それを黙って見ていた。何も言わない。ただ、ほんのわずかに、口元が緩む。それは笑みか、それとも───。

 いやはや、まだ自分でも分からない。だが、確かなことがある。これは、終わりではない。始まりだ。血によって繋がれた鎖。父上様が苦しめられていたもの。断ち切ることも、捨てることもできないもの。

 ならば──背負って、進めばいい。それが、罪だとしても、それでも。進むしかないのだから。

 船は、進む。荒れる海へと。未知の先へと。その先にあるものが、冒険かどうかは──まだ、誰にも分からない。

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