第十四話 自らを捧げて戦いに挑む罪
血のように赤い月の下、刃が交錯する。ぶつかり合い、衝突。打ち合いによる、火花。全ての音が遅れてやってくる。ロアンソの斬撃は鋭い。速い。迷いもない。だが──そrでも、目の前の男に届かない。すべてが、逸らされるかかわされるかされ、一筋の傷をつけることも叶わない。
「……っ!」
もう一度、前に踏み込む。さらにもう一歩。無謀なまでに間合いを詰める。そして切り返しの連撃。上段から振り下ろし、返す刃で薙ぐ。足を払うように低く切り込む。それらは木の葉が落ちるまで程のわずかな時間の中で行われた。
だが、そのすべてが空を切る。アーカルドは動かない。ただ、そこに立っているだけに見える。にもかかわらず、当たらない。──いや。当てさせない。何らかの力で、この剣撃全てを弾いている。
「遅いな。」
耳元で、声。ハッと気づく。あまりにも接近を許しすぎた。攻勢に出ようとするがあまり、下がる事を忘れていた。次の瞬間、衝撃が胴体を打ち付ける。
「ぐっ……!」
体が宙に浮いた。視界が揺れる。地面に叩きつけられる寸前、体勢をひねって受け身を取る。だが、勢いは殺しきれない。草を削りながら、数メートル滑る。肺から空気は漏れ出し、息が詰まる。呼吸をすることすら容易ではない。
「……はぁ、は……」
立ち上がる。剣は、まだ手の中にある。ならば、まだ倒れてはいけない。騎士というのは力尽きる最後の時まで立ち上がるものだから───サンソンが言っていたから。
視界の先、アーカルドは一歩も動いていない。その周囲に、血が漂っていた。宙に浮かぶ、無数の赤。液体でありながら、形を保ち、意志を持つかのように蠢いている。上位の吸血鬼を今まで相手にしてきたが、これ程までに操血術に長けたものはいなかった。
「……それが、お前の本気か。」
ロアンソは笑った。息は荒い。だが、声は震えていない。勇気を強く持ち、常に猛々しくいることが、せめてもの戦いだった。
「どうした。まだ余裕がありそうだが。」
アーカルドの声は、変わらない。感情の揺れが、ない。完全に優位に立っている事を確信している者の言葉。
「……言ってくれる。」
再び踏み込む。今度は速さを上げる。足の筋肉に無理をさせていることは承知の上、踏み込みを浅く、回数を増やす。連続の斬撃。今までと軌道を変え、フェイントを混ぜ、死角から刃を差し込む。
それでも───当たらない。血が動く。壁のように立ちはだかり、刃を逸らす。弾く。絡め取る。まるで、意思を持つ盾だ。
「……ちっ!」
舌打ち。距離を取る。だが、今の所アーカルドは私に有効な攻撃手段を持ち合わせていない。打撃ばかりなら、粘り勝ちもありうるか───そんな事を予測した次の瞬間、アーカルドを防衛していた血が飛んだ。矢のように、一直線に。
「っ!」
避ける。だが、使いすぎた足ではわずかに動くのが遅れる。血の矢は肩を掠める。焼けるような痛み、何かが混ぜられているのか。それとも、始祖の血液特有の人間に対する拒絶反応か。
背後の地面に刺さった血の氷柱がどうなったのか、振り返る暇もない。次が来る。三本、四本と、連続して射出される。
もう、足で回避するのは厳しい。体を低くし、転がるようにして回避をする。鋭い音を立てて地面に突き刺さった血が、遅れて弾ける。地面を伝わってやってくる衝撃。破裂の騒々しい音。草と土が舞い上がる。
「は、はは……!」
ロアンソは笑った。
「なるほど……これは、厄介だ。」
息を整える暇がない。アーカルドの攻撃が途切れない。できることは、防ぐ、避ける、凌ぐ。それだけで精一杯だ。攻めに転じる余裕など、ない。
視界の端で、また血が動く。集まる。形を変える。刃になる。槍になる。すべてが、アーカルドの意志のままに。変幻自在という言葉がこれほどまでに似合うものがあるだろうか。
圧倒的だった。これまでの戦いが、すべて前座だったかのように思えるほどに。
「どうした、騎士。」
アーカルドが言う。
「その程度か。」
「……っ、言ってくれるな……!」
踏み込む。だが、先ほどまでの軽やかさはない。足が、言うことを聞かない。疲労。出血。蓄積したダメージが、確実に動きを鈍らせている。
それでも、剣を振るう。届かないと分かっていても、やめる理由にはならない。騎士というのは諦めてはいけないものだから。
刃が走る。弾かれる。返す。逸らされる。そして──また、弾かれる。
「ぐっ……!」
今度は耐えきれない。弾き返された衝撃に、膝をつく。呼吸が荒い。気管支系統に痛みがある。視界が滲む。終わりか、と。一瞬だけ、思った。だが。
「……いや。」
顔を上げる。アーカルドを見るために。その姿を───よく、見る。観察は重要だと、如何なる相手でも見極めれば倒せると、サンソンは言っていた。そして、その言葉通り、違和感に気づいた。
「……?」
アーカルドの息が、荒い。ほんの僅かだが、確かに。動きは変わらない。速さも、精度も、それらに変化はない。だが。──呼吸が上がっている。これは、酸欠、いや、貧血か?
「……おい。」
ロアンソは立ち上がり、剣を正面に構える。
「お前……」
視線を落とす。宙に漂う血。その色。その質。そして──地面に落ちた、わずかな滴。黒ずんだ赤。時間の経っていない、生の色。何故気づいていなかったんだ、目先の戦いに気を取られすぎていたか。
「……そういうことか。」
ロアンソは、笑った。
「はは……なるほどな……!」
アーカルドは何も言わない。だが、その沈黙が、答えだった。
「お前……それ、自分の血か。」
風が吹く。血が揺れる。アーカルドは、わずかに目を細めた。
「……今さら気づいたか。」
「気づくさ。」
ロアンソは息を吐く。
「こんな量、外から持ってこれるわけがない。」
周囲にあるのは、ただの草原だ。人も、獣もいない。血液の供給源は、今この場には二人しかいない。そして、ロアンソは出血をしていない。ならば──
「全部、お前の中から出してるってことだ。」
沈黙。肯定だった。
「はは……馬鹿だな。」
ロアンソは笑う。
「そんな使い方、長く持つわけがない。」
「……そうだな。」
アーカルドは、あっさりと認めた。
「だが。」
一歩、踏み出す。
「それまでに殺せば、問題はない。」
血が動く。先ほどよりも速く。鋭く。数が増える。
「……来るか。」
ロアンソは構える。だが、今度は違う。震えが見えている。わずかな、制御の乱れ。ほんの一瞬の、遅れ。それがあるだけで、十分だった。
血の槍を避ける。踏み込む。かろうじて動く足で、距離を詰める。初めて──血の護衛がない状態での斬撃を行える。
「っ!」
銀の刃を振るう。一瞬の判断の後、アーカルドが避ける。だが、血を失い始めた吸血鬼は身体能力が大幅に低下する。だから、今までより遅れる。
刃が、頬を掠めた。赤い線。そこから、血が滲む。初めての──有効打。
「……なるほど。」
ロアンソは笑った。
「見えてきた。」
アーカルドは、何も言わない。ただ、立っている。だが、その周囲の血は──明らかに減っていた。
「削れるな。」
ロアンソは剣を構え直す。
「お前は、無限じゃない。」
静かな宣言。それは、勝利の確信ではない。ただの事実だ。そして、勝てるという見込みが───糸ほどに細いが───見えてきたことへの歓喜だった。だが、それで十分だった。
「……来い。」
アーカルドが言う。声は変わらない。だが、その体は、確実に消耗していた。
「言われなくても。」
ロアンソは踏み込む。もう、止まらない。止まる理由もない。削る、削りきって、血を全て消耗する前に───。それしかない。赤い月の下で、血は減り続ける。そして、怪物は、確実に───終わりへと近づいていた。




