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第十三話 感情を押し殺し戦いに臨む罪

 到着した城は、静まり返っていた。人間が足を踏み入れたことのない霧の谷の奥深く、黒い森を抜けた先。そこに、荘厳な城は存在していた。こんなところ、事前に情報がなければ近づくことすらしなかっただろう。サンソンが教えておいてくれて助かった……いや、アーカルドが私を誘い込んだのか。

 ロアンソは正門を越え、ゆっくりと足を踏み入れる。扉は、すでに開かれていた。まるで最初から、彼女を迎え入れるために用意されていたかのように。

 警戒は──しない。もう、この城にロアンソを襲う吸血鬼はいない。最後の間に至るまで。廊下には誰もいない。気配もない。ただ、石の床に響く自分の足音だけが、やけに大きく聞こえた。心臓の鼓動と足音がリンクして、自然と足は早まる。

「……不気味だな。」

 小さく呟く。壁には古い装飾。ひび割れた鏡がいくつも掛けられ、そのどれもが歪んだ像を映している。その一つに、自分の姿が映った。血に濡れたコート。疲弊した顔。それでもなお、剣を握る手だけは、揺れていない。なぜ感情を見せようとしていないのだろう、この女は。何も感じていないというのか。

「……見たくもない。」

 視線を外す。自分と向き合うなど、まっぴらごめんだ。

 再び歩き出す。進むべき場所は、わかっている。この城の主がいる場所など、当たり前に玉座の間一つだろう。長い廊下の先。ひときわ豪奢な装飾の施された扉の前で、ロアンソは立ち止まる。一度、息を吐いた。到着したのだ。

 ──そして、押し開ける。意外なほど、それはあっけなく開いた。広間の奥。玉座。そこに、一人の男が座っていた。

「……来たか。」

 アーカルドが言う。その声音には驚きも緊張もない。ただ、わずかな愉快さだけが滲んでいた。ロアンソは歩み寄る。

「逃げなかったな。」

 頬杖をついたまま、アーカルドは答える。

「ここは私の城だ。───逃げる理由はない。」

 静寂が落ちる。広い空間に、二人だけ。それだけで──すでに戦いは始まっている。ロアンソは剣を抜く。銀の刃が、わずかに光を返した。

「……ここでやるのか、騎士よ。」

 アーカルドはわずかに視線を上げる。そして──ゆっくりと立ち上がった。

「いや。やはり、この場所で行うのは好ましくない。」

 わずかな間。

「外に出るぞ。」

 ロアンソの眉が動く。

「何?」

「ここを壊されるのは、あまり好ましくない。」

 それだけを言う。だが──それだけではないと、ロアンソは感じ取った。その声には自らの記憶を壊されたくない人間の思いが混じっていた。

「……最後の願いか。」

「どう取るかは任せる。」

 玉座から降りる。背を向ける。

「来い。」

 歩き出す。ロアンソは一瞬だけ迷い──その後を追った。卑劣な真似はしない。そう思い込める程度には、まだ、この男を信じていた。

 城を抜ける。夜風が頬を打つ。視界が開ける。広い草原。何もない空間。頭上には、赤く染まった月が静かに浮かんでいた。

「……血宴の夜か。」

「そうだ。」

 アーカルドはわずかに空を見上げる。

「血の色をしているだろう──今夜に相応しい。」

 二人は距離を取る。数歩ずつ、後退する。それだけで、十分だった。ロアンソは剣を構える。呼吸を整える。視線は逸らさない。

「……一つ、聞く。」

 アーカルドは興味を示そうとしない。ただ、立っている。

「君は──あの時、本気だったのか。」

 風が吹く。草が揺れる。

「吸血鬼の軍勢と、村で戦った時。」

 アーカルドはわずかに目を伏せた。

「どう思う。」

「……違うね。」

 即答だった。

「あの時の君は、こんな顔をしていなかった。」

 わずかに笑う、アーカルド。

「ふむ。では、どのような顔をしていたのか──聞かせてもらおうか。」

 ロアンソは息を吐いた。

「……また、いつかね。」

 言わない。言ってしまったら、折角の覚悟が揺らいでしまう。剣を握り直す。

「これで終わりだ、アーカルド。」

「ああ。」

 短い応答。そして、空気が変わる。重圧。見えない圧が草原を支配する。足が、わずかに沈む。血の匂いが満ちる。どこからともなく湧き出した血が、アーカルドの手中へと収束していく。

「……っ。」

 違う。今までとは。あの吸血鬼たちとは何もかもが違う。それでも──私は吸血鬼ハンターだ。

「上等だ!」

 踏み込む。地を蹴る。間合いを詰める。銀の刃が、一直線に振るわれる。迷いのない──首を断つための一撃。アーカルドは、わずかに体を傾けてそれを避けた。空を切る刃。しかし、振り抜いた刃をすぐさま返す。二撃、三撃。だが当たらない。すべて、紙一重で躱される。

「遅いな。」

 その一言と同時に──ロアンソの体が弾かれた。

「ぐっ……!」

 何をされたのか分からない。気づけば、数歩後ろへ押し戻されていた。だが、倒れない。踏みとどまる。アーカルドの手元を見れば、血のようなランスが───実際に血で作ったのか───握られていた。

「……はっ。」

 笑う。

「やっぱりな。」

 口元に血が滲む。

「君、化け物だ。」

「今さらだな。」

 それが当然であると、淡々と返す。ロアンソは構え直す。呼吸は荒い。それでも、目は死んでいない。

「じゃあ、倒されてくれ。」

 静かな宣言。アーカルドは、それを見て──ほんのわずかに目を細めた。嘲笑か、呆れか、それとも期待か。

「来い、騎士。」

 その言葉を合図に。ロアンソは、再び地を蹴った。赤い月の下。銀の刃と、血の鋒がぶつかる。──決戦が、幕を開けた。

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