第十話 子供達を見殺しにし、動かなかった罪
ロアンソと話しているうちに、外はすっかり暗くなっていた。気がつけば、窓の外には夜が降りている。夕焼けの気配はすでに消え、空は深い藍色に染まっていた。ロアンソはそれを見て、しまった、という顔をした。
「もうこんな時間か……」
そう言うと、彼女は立ち上がり、突然着替えを始めた。汚れたツナギを脱ぎ、乱れていた髪を後ろで結び直す。そして───やはり、これ以上詳しく語るのはモラル的にいけないから、やめておこう───そして、壁に掛けてあった黒いコートを羽織った。背面には、吸血鬼ハンターの証である盃の紋章が縫い付けられている。ロアンソは一通り身支度を終えると、壁に立てかけてあった剣を手に取った。銀の業物だ。前一度触らせてもらったことがあるが、やはりいい感じはしない。月光を浴びれば淡く光る、吸血鬼にとっては毒の塊のような武器であるから。彼女はそれを腰に差した。今から戦場へ向かう騎士のような装いだった。
彼女が着替えをしている途中、私はふと不思議におもって質問をした。
「……何をするんだ?」
私が聞くと、ロアンソは当然のように答えた。また、焦りと不安も混じったような声で。
「吸血鬼狩り。」
それだけでは何もわからない。だがまあ、吸血鬼ハンターが夜にすることなど、それぐらいだろう。
「ふうん。」
私は納得し、ロアンソの準備を黙って見守っていた。すると途中で、彼女が振り返った。
「……こっち見るな。」
「なぜだ?」
「着替えてるんだよ!」
どうやら、私に見られたくなかったらしい。当然か。年頃の人間の娘なのだから。私も少し配慮が足りなかったようだ。反省をしなければな。
外へ出ると、村はすっかり夜の顔になっていた。昼間とはまるで別の場所のように静まり返っている。灯りはほとんど消え、家々の窓は固く閉ざされていた。通りには人影もない。犬の鳴き声すら聞こえない。生き物の気配が、どこにもないのだ。ロアンソは村の外れに立ち、周囲を見回していた。
「……静かすぎるな。」
「そうであるな、普通、まだこんな時間でも夜空を見上げに外に出たりするものではないか?」
ロアンソは頷いた。
「でも、最近は毎晩こんな感じだよ。みんな怖がって外に出ない。」
それも無理はないだろう。この夜には、確かに異様な気配があった。人間の恐怖の匂い。それは、私がよく知っている匂いだった。この村には、それが蔓延している。最初は、よそ者である私に対する警戒かと思っていた。だがそれは違う。一人の人間に対して、ここまでの恐怖が広がることはない。人間は基本的に傲慢だ。数で優っていれば、自分たちが上だと思う生き物だからだ。
その時だった。私の鼻が、別の匂いを捉えた。風に乗って運ばれてくる匂い。本能に刻み込まれた匂い。血の匂いだ。それも、誰かが指を切った程度のものではない。明らかに多い。そしてそれは、人間の血ではなかった。同族の匂い。吸血鬼の血だ。そして───嗅いだことのある匂い。
私は森の奥を見つめた。数が多い。妙だな。吸血鬼がこれほど集まることなど、私が知っている限りでは本来ありえない。あれこれ思考を巡らせていると、ロアンソが小さく言った。
「……聞こえる?」
私は耳を澄ました。最初は風の音かと思った。木々の揺れる音。枝が折れる音。だが違う。それは足音だった。規則正しい足音。ひとつ。ふたつ。まるで軍隊の行進のように、歩幅が揃えられている。やがてそれは、無数の音となって闇の奥から近づいてきた。ロアンソが剣を抜く。表情が変わった。先ほどまでの軽い雰囲気は消え、鋭い戦士の顔になっている。
「───来る。」
月明かりの下、森の中から影が現れた。一人。また一人。さらに、その後ろから、次々と。彼らは吸血鬼だった。私と同じ、吸血鬼。だが奇妙な光景だった。彼らは襲いかかってこない。本能のまま血を求めることもしない。ただ静かに歩いている。まるで───行進する兵士のように。
私は息を止めた。しばしの間呼吸すら忘れてしまった。その行進の先頭に、見覚えのある姿があったからだ。
「……また来たか。吸血鬼の王女。」
ロアンソが呟いた。月光に照らされ、紅い髪が淡く輝いている。小さな体。だが、行進全体の指揮を取っている存在、族長代理、有力な吸血鬼の少女。私はその姿をよく知っている。とてもよく知っている。ノストラ。私の娘だ。
彼女は村を静かに見ていた。黄金の瞳が、獲物を定めるように細められる。その視線の先には、人間たちの集落。そして、ゆっくりと手を上げた。そして、吸血鬼たちが一斉に動いた。
「狩りを開始する!」
ロアンソが叫んだ。吸血鬼たちは通りへ流れ込んでくる。家々の扉を叩き、窓を破り、獲物を探す。悲鳴が上がる。木が砕ける音、ガラスが割れる音。静かな村の夜は、一瞬で崩れ去った。ロアンソは躊躇なく飛び出した。剣が閃く。一体、また一体、吸血鬼の首が落ちる。さすがは吸血鬼ハンターだ。私と共に戦った、最高の友。今、その剣で私の子供たちを切り裂いている。やがてロアンソは周囲の敵を片付け、視線をノストラへ向けた。
「あいつか。」
彼女は一直線に駆け出した。ノストラは動かない。いや、動けない。実力差がありすぎるのだ。目で動きを捉えられず、感覚のみで行動することしかできない。剣が振るわれる。ノストラは間一髪で避けた。だが戦闘経験の差は歴然だった。ロアンソの剣は速く、重い。ノストラは次第に押されていく。そしてついに、足を滑らせた。ロアンソの剣が振り上げられる。その刃は、真っ直ぐノストラの胸へ向かっていた。獲物を一撃で仕留める方法、吸血鬼にとっての特攻。それを見て、私は動いていた。ロアンソの背後から飛び出して、そして、剣を掴んだ。銀の刃。吸血鬼にとって致命の金属。掌が焼けるように痛む。
「サンソン!?」
ロアンソの叫び声。
「何してるんだ!」
私は剣を押さえたまま言った。
「……その子に剣を向けるな。」
ロアンソの目が見開かれる。
「どうしたんだ!?」
私は答えない。代わりにノストラの前に立った。彼女は静かに私の背に隠れた。
「……サンソン?」
沈黙。そして私は言った。
「その子は殺されてはならない。私が守るべき存在だ。」
「守る?吸血鬼を?」
「そうだ。」
ロアンソの顔が歪む。
「……なんでだ。」
私は答えた。
「当然だろう。───その子は、私の娘だからだ。」
沈黙。私は小さく息を吐いた。覚悟は十分だと思っていたが、いざ目の前にしてみると、なかなか勇気が出てこない。やっとのことで絞り出すように言った。夜風が通りを吹き抜ける。私は続けた。
「親の責務というのは重要なんだ。そう、真実を告げよう、私は──吸血鬼の始祖だ。」
ロアンソは動かない。ただ、私を見ている。理解できないという顔で。嘘であってほしいと、こんなの悪い夢だろうと、そんな表情だった。その時だった。背後から声がした。
「……人間よ。」
ノストラだった。彼女は私の服を掴みながら立ち上がった。足元もおぼつかない状況だが、ロアンソを睨みつける。
「知りたいか。」
小さな体から、威圧的な声が響く。
「父上様が何者かを。」
ロアンソの表情が凍りついた。ノストラは誇らしげに言った。
「ここ全てを支配する吸血鬼の王。三千戴天の長、アーカルド様であられるぞ!」
村の夜は、完全に静まり返っていた。その沈黙の中、剣が地に落ちる音だけがはっきりとこだました。




