8話 落選の午後、涙の理由
夏休みが終わりに近づいた頃、美術室にはいつもより緊張した空気が漂っていた。
コンクールの結果が、今日発表される。
遠峰奏斗は、筆を洗いながら落ち着かない気持ちで時計を見た。
白石澪は、いつも通り静かにスケッチブックを開いている。
けれど、その指先はわずかに震えていた。
「……白石さん、緊張してる?」
「え? あ、ううん。そんなことないよ」
嘘だ、と奏斗は思った。
澪は絵に対していつも真剣だ。
だからこそ、結果を気にしないはずがない。
*
しばらくして、顧問の先生が部室に入ってきた。
「コンクールの結果、貼り出されたぞ。見に行くか?」
部員たちがざわつきながら廊下へ出ていく。
澪も立ち上がったが、どこかぎこちない。
掲示板の前には人だかりができていた。
奏斗は澪の後ろに立ち、そっと様子を見守る。
澪の名前は――なかった。
その瞬間、澪の肩がわずかに沈んだ。
「……そっか」
小さく呟いた声は、雨粒のように弱かった。
周囲の部員たちは自分の結果に一喜一憂している。
誰も澪の表情には気づかない。
奏斗は声をかけようとしたが、言葉が出なかった。
澪は無言で美術室へ戻っていった。
*
部室に戻ると、澪はスケッチブックを開いたまま、じっと動かずに座っていた。
窓から差し込む光が、彼女の横顔を淡く照らす。
「白石さん……」
「……悔しいとかじゃないんだよ」
澪はゆっくりと口を開いた。
「ただ……私の絵、届かなかったんだなって思って」
声が震えていた。
「私、色は得意だけど……構図とか、表現とか、まだまだで……」
「そんなこと……」
「分かってるよ。でも、分かってても……やっぱり、ちょっとだけ、しんどい」
澪は笑おうとしたが、その笑顔は崩れた。
そして、ぽつりと涙が落ちた。
「……ごめん。泣くつもりじゃなかったのに」
奏斗は胸が締めつけられた。
澪が泣く姿を見るのは初めてだった。
「白石さんの絵……俺、好きだよ」
気づけば、言葉が勝手に出ていた。
「光が綺麗で……優しくて……俺には描けない世界で」
「……遠峰くん」
「俺の写真、白石さんが描いてくれたとき……すごく嬉しかった。白石さんの絵だから、嬉しかった」
澪は涙を拭いながら、奏斗を見た。
「……ありがとう。遠峰くんの言葉、すごく……救われる」
その声は、涙で濡れていたが、確かに温かかった。
*
部活が終わる頃、澪は少しだけ笑顔を取り戻していた。
「ねえ、遠峰くん」
「うん」
「今日……話してくれてありがとう」
「……うん」
澪はスケッチブックを抱えながら、静かに続けた。
「私、もっと描きたい。悔しいけど……やっぱり描くの好きだから」
「白石さんなら、もっと上手くなるよ」
「ふふ、そうだといいな」
澪は窓の外の夕陽を見つめた。
「ねえ、また遠峰くんの写真、描かせてね」
「……もちろん」
その返事は、自然に出た。
澪の涙は、もう乾いていた。
でも、その涙が二人の距離をまた少しだけ近づけたことを、奏斗は感じていた。




