7話 夏の光と、二人だけの制作時間
夏休みの美術室は、静かだった。
窓から差し込む強い光が、机の上の水彩紙を白く照らしている。
扇風機の音だけが、ゆっくりと空気をかき混ぜていた。
遠峰奏斗は、筆を持ったまま動けずにいた。
水彩は相変わらず苦手だ。
色を置くたびに紙がざらつき、思ったようにいかない。
「遠峰くん、今日も来てたんだ」
振り返ると、白石澪がスケッチブックを抱えて立っていた。
夏の日差しを受けて、髪が少しだけ明るく見える。
「……うん。練習しようと思って」
「えらいね。私も描くよ」
澪は奏斗の隣に座り、パレットに水を落とした。
その動きは、いつも通り迷いがない。
「遠峰くん、今日は何描くの?」
「……海、描こうと思って」
「いいね。遠峰くんの海、好きだよ」
胸が少しだけ熱くなる。
澪は何気なく言っているのだろう。
でも、その言葉はいつも奏斗の心を揺らした。
*
しばらくして、澪がふと顔を上げた。
「ねえ、遠峰くんの写真、見てもいい?」
「……いいよ」
奏斗はスマホを渡した。
澪は画面をスクロールしながら、ひとつひとつ丁寧に見ていく。
「やっぱり、光の入り方が綺麗だね」
「光……」
「うん。遠峰くんの写真って、光が“触れない距離”にある感じがする」
その言葉は、以前も聞いた。
でも、今日は少し違って聞こえた。
「ねえ、この写真、描いてみてもいい?」
「え……?」
「遠峰くんの視点を、私の色で描いてみたいの」
胸が跳ねた。
自分の写真を、澪が絵にする。
それは、想像以上に嬉しかった。
「……いいよ。描いて」
「ありがとう」
澪はスケッチブックを開き、写真を見ながら筆を動かし始めた。
色が重なり、光が生まれる。
奏斗の写真が、澪の手で“絵”になっていく。
その光景を見ているだけで、胸が熱くなった。
「……すごい」
「なにが?」
「俺の写真じゃないみたい。白石さんの絵になってる」
澪は少し照れたように笑った。
「ふふ、当たり前だよ。でもね、遠峰くんの“目”があるから描けるんだよ」
その言葉は、夏の光よりも強く胸に刺さった。
*
しばらくして、澪が筆を置いた。
「ねえ、遠峰くん」
「うん」
「私、遠峰くんと一緒に描くの、好きだよ」
その言葉は、恋ではない。
でも、確かに特別だった。
「……俺も。白石さんと描くの、好き」
「そっか。よかった」
澪はスケッチブックを閉じ、窓の外の強い光を見つめた。
「ねえ、夏ってさ……光が強いのに、影も濃いよね」
「……うん」
「遠峰くんの写真みたいだなって思う。優しい光と、静かな影」
胸がまた熱くなる。
言葉が出ない。
「だからね、遠峰くん」
澪は少しだけ笑った。
「これからも、写真見せてね。私、遠峰くんの光が好きだから」
その言葉は、夏の午後の空気に溶けていった。
奏斗はただ、小さく頷いた。
――この時間が、ずっと続けばいい。
そう思ってしまった自分に、気づかないふりをした。




