6話 すれ違う影、届かない言葉
六月の風は湿っていて、校舎の廊下に貼りつくようだった。
遠峰奏斗は、美術室へ向かう階段を上りながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
――白石さん、今日はなんだか元気がなかった。
昼休み、澪は女子グループに囲まれていた。
何を話していたのかは聞こえなかったが、澪の表情は硬かった。
そのあと、男子の一人が澪に声をかけていた。
「白石さん、好きです。付き合ってください」
その言葉だけは、はっきり聞こえた。
澪は驚いた顔をして、すぐに首を振った。
「ごめん。そういうの、興味ないから」
それだけだった。
でも、奏斗の胸は妙にざわついた。
――興味ない、か。
その言葉が、なぜか自分に向けられたように感じてしまった。
*
美術室に入ると、澪はいつも通り席に座っていた。
けれど、どこか疲れたような顔をしている。
「……遠峰くん、お疲れ」
「……うん」
返事がぎこちなくなる。
澪は首をかしげた。
「どうしたの?」
「……別に」
言葉がうまく出ない。
胸のざわつきが、喉を塞いでいた。
澪は少しだけ寂しそうに笑った。
「そっか。なんか、今日の遠峰くん、ちょっと冷たいね」
その言葉が、胸に刺さった。
でも、どう返せばいいのか分からない。
「……ごめん」
「謝らなくていいよ。でも、なんかあった?」
澪の声は優しい。
だからこそ、余計に言えなかった。
「……なんでもないよ」
澪はそれ以上追及しなかった。
ただ、少しだけ距離を置くように席に戻った。
その距離が、痛かった。
*
部活が終わる頃、雨が降り始めた。
奏斗は傘を差しながら、丘へ向かった。
海は灰色で、風が強い。
スマホを構えるが、手が震えてうまく撮れない。
――なんで、こんな気持ちになるんだろう。
澪が誰かに告白されたから?
澪が断ったから?
それとも、自分が勝手に期待していたから?
分からない。
ただ、胸が苦しかった。
「……遠峰くん?」
振り返ると、澪が立っていた。
傘も差さず、少し濡れた髪を耳にかけながら。
「ここにいると思った」
奏斗は言葉を失った。
「今日、なんか変だったよね。私、何かした?」
「……してないよ」
「じゃあ、なんで避けるの?」
澪の声は静かだった。
責めるような響きはない。
ただ、真っ直ぐだった。
「……避けてない」
「嘘。遠峰くん、分かりやすいもん」
胸が痛む。
逃げたい気持ちと、話したい気持ちがぶつかる。
「……白石さん、告白されてたから」
「え?」
澪は目を瞬いた。
「……なんか、気になって」
「気になって……?」
澪は少し考えてから、ふっと笑った。
「遠峰くん、変なとこで真面目だね」
「……え?」
「私、ほんとに恋愛興味ないんだよ。誰に言われても、同じ」
その言葉は、雨よりも静かに胸に落ちた。
「それにね」
澪は少しだけ視線を落とした。
「遠峰くんが避けるほうが、私にはずっと嫌だよ」
その一言で、胸のざわつきがほどけていくのを感じた。
「……ごめん」
「ううん。言ってくれてよかった」
澪は雨の向こうを見つめながら、続けた。
「ねえ、また写真見せてね。遠峰くんの写真、好きだから」
その言葉は、今日一番の光だった。
奏斗は小さく頷いた。
「……うん。見せるよ」
雨はまだ降っていたが、胸の中の影は少しだけ晴れていた。




