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2 sideーケント

2 sideケント

 ヴォルグ王国の貧しい下級貴族の五男として生まれた僕は、四人の兄と三人の弟に囲まれて育った。父は謹厳実直を地で行く愛妻家であり、母は中堅程度の商家の出身で、明るくて大らか、母の実家の援助はあれど、父の給金だけで子供八人を育てるのは大変だったと思う。僕は兄弟の中で最も蒲柳の性質であり、幼い頃は家の中で過ごす事が多かったが、思春期になって剣術と馬術の稽古を始めて健康を得た。二十歳の時に長兄の推薦で騎士団に入団した僕は、騎士となって五年で金獅子騎士団の団長に抜擢された。たまたま団長職に適した年齢層が薄く、団長を武術大会で決定しようという陛下の気まぐれにより得た職だ。ちなみに優勝したのは長兄で、僕は準優勝であり、長兄は既に光獅子騎士団長に就いていた。

 僕が金獅子騎士団長に就任してから一年後に、隣国と戦争状態に突入した。斥候としての役目と補給線断絶の役目を終えた僕らは、合流途中潰走していた殿下と二名にまで減っていた近衛騎士をお助けする事になり、ついでにカラン共和国側で殿を務めていた主力部隊を壊滅状態に追い込めた事で、名を上げた。

「団長はいつも運が良かった、我々の策が良かったとおっしゃりますが、敵に囲まれた殿下の許へ単騎で駆けつけ、鬼神のごとき剣さばきで救出差し上げたのは団長ですし、被害を少なく撤退しようとしていた敵殿軍の将の首級を上げて敵主力部隊の戦力を削ぎ、ほぼ同等の条件で休戦に持ち込めたのも、団長の武勲です」

 副官の一人で父君が宰相を務める侯爵家次男のペリオドスは、真面目で謙虚な性格でいつも僕を立ててくれる。

「団長は天然なんだから、いちいち説明したって承知しやしねえよ。だいたい、この人、俺らが束になっても敵わないって言っても信じねえからね? そりゃまぁ、光獅子騎士団長に比べれば多少は劣るかもしれねえけどさ、そんなの俺らからすればどっちも雲の上だから一緒っつうか」

 王弟殿下の嫡子であり、齢十六にして天才と呼ばれるクリスハルトは時折長兄の事を持ち出して僕を窘めてくれる。僕は優秀で人格も優れた部下に支えられ、金獅子騎士団長を何とかこなしているのだ。



 休戦協定が結ばれて二年、国境では小競り合いが始まっている。上層部は再度の宣戦布告を決定しており、僕らの軍は戦場となる街周辺の調査も兼ねて、先発するよう命じられた。敵国に悟られないよう、自由都市フランベール経由で少しずつ国境の街へ入る予定だ。

「団長、今回はお一人で先発して下さい。我らは数名ずつ遅れてフランベールに入ります」

「俺が最後。多分十日後くらいになると思う。それまでは疑われないようのんびり食い道楽でも満たしてればいいんじゃないすか」

 副官二人に勧められ僕は一人でフランベールに入った。噂通りとても活気のある街だ。大家族で育ったせいか、僕は食に対しての執着が強く、美味しい物を食べ歩くのが唯一の趣味と言える。ちょうど昼市が立っている。空腹を抱えて屋台を見て回り、一番美味しそうなクレープサンドの露店の前で足を止めた。クレープサンドの事しか考えていなかったため、僕は店に近づいてはじめて先客に気づいた。僕が食べられるのは先客の次になってしまう、思わず恨みがましい気持ちで先客の背を睨む。

「美味しそう」

 長身なので男性かと思ったが、涼やかな女性の声だった。僕は声に導かれるよう彼女に近づく。

「ホント、美味しそうですね」

 同調すると振り返った彼女は、僕を見て爽やかな笑みを浮かべた。声同様、涼しげな顔立ちの美女だった。前から見たら間違えようがないくらい胸の部分が盛り上がっている。柔らかそうな黒髪を無造作に一つに括り、健康的に日焼けしていた。見惚れる僕に構わず、彼女は露店の女性にクレープサンドを注文している。鮮やかな手つきで鶏肉とキャベツを包む店主を見ながら僕も美女と同じクレープサンドを注文した。美女も気になるがクレープサンドも気になる。逸る気持ちを押さえて支払いを済ませようとしたが、金貨では釣りが出ないと言われてしまった。旅装を軽くするため小銭は宿に置いて来た。両替商を探さねば、もちもちと美味しそうなクレープサンドが食べられないと思った途端、泣きたい気持ちになる。

「じゃ、おばちゃん、これでこの人にもう一つ」

 落ち込む僕の隣で、美女が女神に昇格した。何と彼女は見ず知らずの僕に気前良くクレープサンドをご馳走してくれたのだ。感動に浸っているうちに、彼女は姿を消していた。僕は店主の女性からクレープサンドを受け取り、食べる前に彼女を探した。お礼を述べなくてはならないという気持ちと、もう少し彼女と話してみたいという気持ちが混在している。クリスハルトが空間認識と彼が呼ぶ勘で俯瞰的に周辺の雑踏を探索した僕は、何とか彼女を探し出す事に成功した。



 ジーナと名乗った長身の彼女は、飾らない気さくな人だった。食に関する話だとつい熱くなって話し過ぎてしまうのだが、彼女は僕に負けないくらい安くて美味い食事に興味があり、僕達の味覚は驚く程似ていた。彼女の身のこなしはすっきりとしていて無駄がなく、どこか武に優れた長兄を彷彿とさせる。フランベールに滞在する数日、彼女と過ごせたら楽しいかもしれない。彼女も僕を旅の暇つぶし相手として認めてくれたらしく、一昨日は買い物、昨日は朝まで酒に付き合ってくれた。今日は市街から馬車を三十分程走らせた場所にある湖に来ている。

 金獅子騎士団長に就任して僕にも縁談が多数舞い込み、多くのお嬢さんとお見合いをしたが、ジーナさんのように話が弾んだ人はいなかった。僕は女性を楽しませる才能も知識もないし、彼女たちに好ましく思って貰えるような容貌も持っていない。偶然転がりこんだ騎士団長の職は婿としての評価は高いのだろうが、数多お会いした令嬢の中で、僕を夫にと望んでくれる人はいなかった。

「ですからジーナさん、あなたは僕の人生の中で、母の次にたくさん僕と話してくれた女性です」

 借りたボートを漕ぎながら、長い脚を投げ出して湖面を眺めるジーナさんに、僕はジーナさんへの感謝を語った。

「男ってのはさ、かっこつけて大したことない事も大げさに吹聴するもんだと思ってた。ケント、アンタは違うんだね」

 琥珀に似た色の瞳を細め、ジーナさんは優しく微笑う。

「つまらない男に連日付き合ってくれてありがとうございます」

 笑顔で礼を言うとジーナさんは眦を吊り上げた。

「つまらないと思ったら、毎日会ったりしない。アンタと私は……そうだね、気が合うし趣味も合うんだ。お互い楽しいってのは良い事だろ」

「ジーナさんも楽しんでくれているなら、僕、すごく嬉しいです」

 興奮して勢い込む僕に、ジーナさんは目を瞬かせた後に、涼しげな笑い声を上げた。ほっこりと温かな気持ちが全身を巡る。ボートを戻した後、釣り竿を借りて魚釣りをする事になった。実家で暮らしていた頃は、食卓のおかずを増やすために釣りに勤しんだため、好きではないが経験はある。彼女の背後から竿の持ち方を教えている間、僕の心臓は酷く煩く鳴っていた。ジーナさんの髪からは、僕が一昨日お礼にあげた爽やかな香油の匂いがする。

「あの香油、使ってくれてるんですね」

 耳近くで問いかけるとジーナさんは耳を赤く染めながら振り返る。

「近いって、ケント」

「あ、すみません」

 半歩ほど下がり、僕は少し怒った顔になる彼女に謝罪した。

「あー、別に怒った訳じゃなくて」

 情けない表情をしたのだろうか、ジーナさんは困った顔で優しくフォローしてくれる。

「香油だけじゃなくて、ジーナさん自身も素敵な香りがしますね」

 怒らせた訳ではないと安心したら、彼女に近づいた感想が口から零れ出た。

「何言ってんの、もう」

 苦笑して前を向き、釣り竿を放る彼女の耳は赤いままで、何故だか僕にはその事が嬉しい。その後並んで釣りをして、釣った魚をジーナさんが泊まる宿の料理人に調理して貰って夕食とした。

「今日も楽しかったね。じゃあ、お休み」

 部屋まで送り届けた後、僕は彼女が振り返るのをぼんやり眺めて挨拶をした。

「はい、お休みなさい、ジーナ」

「アハハ、やっと呼び捨てで呼んだね」

 優しげな笑顔に見惚れてしまう。彼女が扉の中に消えた後も、僕はそのまま暫く動けずにいた。



「早く着きました。どうです、フランベールを満喫してますか」

 宿に戻ると着いたばかりなのだろう、旅装のままのペリオドスがいた。

「うん」

「団長は舌が肥えていらっしゃる。明日は私も美味しい食事の店へ案内して頂けますか」

 旅装を解きながら問われ、僕は答えに詰まった。明日もジーナと会いたい。明日どころか今すぐ取って返して彼女に会いたい。彼女を……腕の中に抱きしめたい。

「団長?」

「すまないが、ペリオドス、明日は約束が……いや、会いたい人がいるんだ」

 誤魔化そうと思ったが、信頼する副官に隠す事でもない。僕の台詞に、彼は空色の目を見開く。

「フランベールに、ですか」

「うん、数日前に会った人なんだけれど」

「もしかして、女性、ですか」

 頷くとペリオドスは更に目を見開く。

「目が飛び出そうだよ、ペリオドス」

「これは、失礼いたしました。団長、女性に興味がおありだったんですね」

「三十も過ぎているんだから、興味がなかったら異常だと思うけれど」

「しかし、就任直後にあった縁談は全て断ってらっしゃいますし、寄って来る女性を近づけた事もないので、てっきり……いえ、その、女性が煩わしいのかと」

「縁談を僕から断ったのは、ご令嬢が僕を嫌っている様子だったから、女性からは断りにくいだろうと先手を打ったまでだよ。どのご令嬢も僕とは食事もしたくないようで、少ししか召し上がらなかったんだ。僕の作法に品がないのが原因だろうけど」

「見合いの席で食事に熱中するご令嬢はいらっしゃらないと思いますが」

「そうなのかい? でも、食事を残す程嫌いな相手と結婚させられるのはかわいそうだろう」

 僕の言葉にペリオドスは肩を落として首を左右に振った。

「あの団長、もしかして今まで女性と食事をして、その方が食事を残した時、ご自分が嫌われたとか、食事が楽しくなかったからだと思ってらっしゃいますか」

「当然だろう、ペリオドス。楽しかったら出された皿の中身は残らず平らげて、更に追加でどんどん注文するはずだ。僕は美味しい店でしか食事をしないのだから」

 昨日のジーナを思い出して答える僕の肩を、ペリオドスが叩く。

「団長、ご令嬢は男性の前で、食べたい物を好きなだけ食べたりはしないのです」

「そうなのか、でも彼女は僕と同じくらいの量を食べていたしとても楽しそうにしてくれていた」

 ペリオドスはため息を吐いた。

「あなたが会いたい方というのは、フランベールの町娘ですか」

「いや、旅人……だと思う。帝国出身だそうだ」

「歓楽街の女性ではないのですね?」

「彼女は確かに美しいけれど、春を売る女性の香りはしなかった」

 女性に縁のない僕だが、三番目の兄の手助けで、歓楽街の春を売る花娘を何人か抱いた事はある。彼女たちの白粉には独特の香りがある。

「団長は嗅覚も優れてらっしゃいますから、そうおっしゃるなら、違うのでしょう」

「僕が会いたい人が花娘だと問題があるのかい?」

「金獅子騎士団長の伴侶としては外聞が悪いと思われます」

「彼女を僕の伴侶に!?」

 驚く僕に、ペリオドスは淡々と続ける。

「マイク殿から団長がもし女性に興味を持ったら、伴侶に出来るよう尽力するようにと命じられております」

 マイクというのは長兄の名だ。長兄が僕の結婚について心配しているのは知っていたが、副官に言い含める程とは思わなかった。

「そうか、けれどペリオドス。伴侶になってくれるかどうかはまだわからない」

「旅先での火遊びという事でしょうか」

 眉間に皺を寄せる副官に、僕は苦笑して首を横に振る。

「僕は気持ちを伝えていない。受け入れてくれるかわからないんだ」

 ペリオドスは逡巡した後、口を開いた。

「では団長、その女性がお気持ちを受け入れたら、伴侶になさるおつもりですか?」

「うん、そうだね。彼女が僕の奥さんになってくれたら素晴らしいだろうね。兄上も心配しているようだし」

「では、団長、その女性が求婚を受け入れたら、私にお知らせ下さい。貴族としての身分を用意して、クリスハルトに後見させます」

 金獅子騎士団長となると、伴侶になる人は貴族でなくてはならず、王族の後見が必要となるのかと驚く。自分の無知を恥じ入る僕に少々疲れたような笑顔を見せ、ペリオドスは隣の寝室へ去って行った。



 翌朝、予定より早くクリスハルトがフランベールに入った。カラン共和国側が動いているという情報を得たらしい。明後日には出国しなくてはならなくなった。

「準備は全て我々が致します。団長は女性とお過ごし下さい」

「女の素性聞いて、フランベールにとどまるように言っとけよ。後で何とかしてやるから」

 副官二人に背を押され、僕はジーナを呼び出した。彼女は相変わらず涼やかで美しく、優しかった。

「僕はあなたが好きです」

 出会った日に奢って貰った分の金を返し、告白した。ジーナは僕にキスをして応えてくれた。その後の事は断片的にしか覚えていない。気づけば彼女の一糸まとわぬ姿に見惚れて酷く興奮した。ジーナ相手だったら、何度でも出来そうだった。花娘と異なり鍛え抜かれた身体だった。

「ジーナ、必ず迎えに来ます。待っていて、貰えませんか」

 彼女のような素晴らし人には、僕ではなくとも求婚者が連なっているだろう。けれど、この手に抱いた後となっては、もう手放す事は出来ない。快楽にけぶった眼差しにドキリとしながら、僕は彼女を見つめる。ジーナは微笑んで、頷いてくれた。


 ジーナとの再会は思ったよりも早く、予想外の形で叶った。ジーナはカラン共和国の傭兵団を率いる暗黒の戦乙女だった。クリスハルトが奏上した右翼奇襲案が認められ、調査済みの抜け道を行く途中の遭遇だった。ジーナの剣技と統率力は素晴らしく、部下数名は戦線離脱を余儀なくされる深い傷を負った。ジーナの部隊が奇襲を狙っているだろうと予想出来たため、僕は単騎で本軍へ駆け戻り、対峙出来るよう進言した。彼女の部隊は僕の姿を認めた途端、奇襲を諦め本軍に合流する。鮮やかな切り替えに感心した。

「膠着している」

「だな。どうにか打開しねえとな」

 天幕に戻ると、副官二人が勝利のための戦術を捻り出そうと知恵を絞っている。僕は手甲を外し、彼らの前に腰を下ろす。

「団長?」

「暗黒の乙女を殺さないで」

「は?」

 珍しく間抜けな顔になる二人に、僕は思わず笑ってしまった。有能な人が見せる崩れた表情は気持ちを和ませるようだ。

「何のためにそんな事」

「僕の伴侶になる人だから」

「はああ!?」

「まさか、フランベールで毎日会っていた女性というのは」

「ジーナなんだ」

 僕の台詞にペリオドスは頭を抱えた。

「吟遊詩人の語るサーガじゃねえんだからよ」

 クリスハルトは呆れた声で呟く。

「諦めるという選択肢は?」

「ないよ」

 僕の返答に、ペリオドスは悲壮な顔になりフラフラと天幕を出て行った。敵国の将を伴侶するのは確かに難しいだろう。ぼんくらな僕でもさすがに分かる。だが、ジーナを諦めるくらいならば、騎士団長の職を辞して亡命しても構わない。

「祖国を裏切るつもりっすか」

 鋭い目で問いかけるクリスハルトに、僕は首を横に振る。

「そんなつもりはないよ。ジーナを生かして、更にヴォルグが有利になるようこの戦いを終える、それが理想かな」

「無茶苦茶だな、おい」

「無理かな? 天才な君なら、国を有利に戦争を終わらせて、ジーナも生かしてくれるような良策を示してくれるんじゃないかと思ったんだけれど」

「あーあ、また、そういう事言って。分かった。何とかする」

 クリスハルトの目がキラリと光る。集中し始めた合図だ。僕は満足して、黙って剣の手入れを始めた。

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