モブと言うか設定背景の私の大正解!恋愛ホラー小説の黒幕が婚約者なので怖くて留学していたら、大丈夫そうなので帰って来ました。
誤字脱字報告ありがとうございます、とても助かります。
「君を愛す事は無い」
それは幼少期、私が九歳の頃に初めて会った婚約者から言われた言葉でした……
大人が決めた政略結婚に確かに恋愛の愛は無いと思っていたけれど、親愛やら友愛やら全てないと言われたら、正直ショックは大きく。それが原因かわからないが、その夜寝つき悪くなんとか見た夢は不可解な物だった。
悪夢では無い。しかしただの夢とは言い切れない鮮明な風景に目覚めた私は呆然とした。
ここ……もしかして小説の世界!?
俗にいう異世界転生してしまったらしい。
「うわぁー結構ホラーじゃん……」
なんて引きながら読んだ記憶が鮮明に蘇る。話題とは言わないまでも、界隈では名作と言われた恋愛ホラー小説。「マリア・ローブリーズの祭壇」というライトノベル。
そうとも知らずに綺麗な絵柄の表紙に惹かれて買ったこの小説は。たった一巻の短編小説ながらにドロっとした人間模様と過激な心理描写。そして鮮明に脳内で流れるホラーシーンに、一言で言うと衝撃だった。
日常的にネット小説やら、漫画やらを摂取している私は生きているうちでも何千、何万。
言いすぎたが、それぐらい読んでいる私の生涯心に残った作品だった。
まぁ、そこまで長生きは出来なかった人生ではあるが、悔いは余りない……
そんな私が転生し十歳の時に初めて顔合わせをした婚約者。カシュア・ガイサードは、幼い姿だが、漆黒の黒髪にアメジストの瞳、特にその名前からこの「マリア・ローブリーズの祭壇」に出てくる黒幕であると確信した。
「どうしよう……怖いんですけど」
キングのトランプカードの様にヒロインと並び表紙を飾るこの男を初めは皆ヒーローだと思っていたが、実際は起こる出来事全ての黒幕。
貴族学園に入学したヒロインは伯爵令嬢で聡明で信心深く、入学当初から学園で起きた困り事を解決し、一目置かれる存在になる。
そんなある日、ヒロインは学園の地下に隠し部屋がある事に気づき、そこで奇妙な祭壇を見つけその日からヒロインの身に不可解な出来事が起き、物語は呪いと恐怖の始まりを迎える……
カシュアは序章の話で、確か誰かに階段から突き落とされそうになったヒロインを助けたんだ。高い身分を保ちながら、分け隔て無く接する姿にまさに好青年と言う印象を与えた彼は実際…被虐趣味を持つ狂人で、自ら手を汚さず人を誘導し操る事に長けていた。
「そうだ……私は」
一通り小説の内容を思い出す中で、私は現実に戻る。
そう私は……そんな男の婚約者……そして、彼が唯一自分の手で殺した令嬢だ……
それは、確か最終章でわかる、小説のヒロインが序盤で見つけた祭壇。人の膝丈ほどの今まで見たことの無い素材で出来ており、ヒロインは初めは変わった素材と不気味さに特に触れずに地下を後にしたんだ。しかし自身の身が危険に苛まれる中で親しくなったカシュアの部屋に訪れた時、発見した物を見て気づく。
………………あれは人の骨で作られた祭壇だと……
それは博識なカシュアらしい部屋に同然と並ぶ本棚。そこに当たり前の様に本留めとして置かれいた。
カシュアの部屋にあったのは人間の頭部、そう頭蓋骨だ…………
「私、殺されちゃう……それも……」
そう私は、「マリア・ローブリーズの祭壇」その本編に一切のセリフも、人物像も出てこない、名前だけ出るモブ。いやモブと言うにはその悲劇的な名前だけは小説のファンなら忘れる事の無い……
「殺された、体を溶かされて、その骨さえ遊び道具にされる……」
私の名前はマリア・ローブリーズ。黒幕カシュア・ガイサードの狂気の一端を飾る、設定背景だ…………
「いやだ!死にたく無い!!」
「お嬢様⁈どうなさいましたか⁈」
早朝の時間、いつもならまだ寝ている私の叫びを聞き駆けつけた乳母のマーサが心配の声を上げて部屋に入ってきた。
「まぁまぁ、怖い夢を見たのですね」
マーサは頭を抱えて震える私を直ぐに抱きしめて背をさする。マーサのおかげで少し冷静になった私は、自分が時期がくれば殺される運命をどう回避するか考えた。
カシュア・ガイサード歪みの根源はその家系にある。
今は歴史の教科書にも載っていないが。私の生まれたこの国は、数百年前に一度内戦が起こり、王家交代がなされ今のルービオ王家が誕生したらしい。そして、倒された旧王家の子孫が遠い分家のガイサード公爵家だ。
公爵家であるガイサード家の教育は苛烈な物で。言う事を聞かないと鞭打ちや絶食が当たり前。
綺麗な服を着させても。心は汚れていくばかりの幼少期を過ごしたカシュアは。愛情と言う物を知らなかった。
自身を守るすべは、全てを完璧にこなす事。
学問、体術、立ち居振る舞いに言動や仕草……一見すれば成功した様に見えるガイサード公爵家の教育だが、生み出したのは狂人だった。
まだ、十歳。過激な教育で歪んだカシュアの内面を正常にするにはまだ間にう可能性はある。しかし
「君を愛す事は無い」そう言ったカシュアの表情は能面の様にすっぽり感情も何もかも抜け去った顔で。その目に光は無かった。
……どう接するのが正解かわからない……もし間違った接し方をすれば殺され終わり……
作中にはカシュアがいつ私を殺すかなんて書かれていない。
ただ舞台となる学園が始まる前にはすでに死んでいた……そしてカシュア・ガイサードは、悲しい過去を背負ったヒーローとして登場した。
……私とカシュアは確か一つ違い……今の私は九歳でカシュアは十歳……学園入学は十五歳からでこれから五年……五年の間、気を付ければ……いや!日頃からボケっと生きて良く机やら棚やらの角にぶつかって年中アザ付けてる小娘には無理だ!
自覚している、私はドジだ……流石に何も無いとこで転びはしないが、障害物との衝突率はかなり高い。
「お嬢様、気分が優れないのであれば、朝食はお部屋にお持ちしましょうか?」
「マーサ……」
こちらを心配するマーサ、小説では描かれていないローブリーズ家の皆は優しく、穏やかな人ばかりだ。父も母もそして兄や姉も皆マリアを愛してくれている。そしてマリアも皆を愛している。
「大丈夫、少し怖い夢を見ただけだから……」
大切な家族に迷惑をかけたく無い。けれどこのままカシュアの婚約者でいれば、茶会やら、パーティーやらで会う機会がある上に、ある程度成長すれば、公爵夫人としての教育も兼ねてガイザード家に行かなければならないだろう。
……多分そこで殺されちゃう……公爵家内で殺されたら流石に大問題になってカシュアの家は何らかの罰を受けるだろう、けど小説にはそんな描写は一切無かった。
……私が死んだ後、ローブリーズ家はどうなったのだろう……
舞台は学園、その他の場所で描写されたのは、カシュアのガイサード家とヒロインの家と後はデートで訪れたジュエリー店やら雑貨店やら……
「お嬢様?」
ふと呼ばれ顔を上げれば、鏡越しに私の髪に櫛を通すマーサの心配気な瞳と目が合う。
「やはり、体調が……」
「違うの、考えごとをしてたの」
心配症なマーサにそう言うと不思議そうに首を傾げた。
「考えごとですか?」
「うん、ちょっと……」
曖昧に返答する私の表情から何かを読み取ったにのか。私の髪を撫でマーサは優しい声で言った。
「お嬢様、今日はどんな髪型になさいますか?お嬢様の髪は本当にお綺麗ですから、今日はお顔サイドの髪を軽く編み込んで後でまとめてましょうか?」
マーサは浮かない顔の私に気を明るくするためか、いつものおさげヘアーとは別の髪型を提案した。
「綺麗かな……すごく地味な色だし……」
茶髪、茶色目の私。顔立ちはまだ幼いが、特別容姿を褒められた事は家族や屋敷の皆んな以外に無い。
この世界の人々の髪は多種多様だが、やはり派手な色目が好まれる。金髪碧眼はその最たるものだが、カシュアのアメジスト色の瞳は特に小説でも特別な描写をされる事が多かった。
そう思い出しているとマーサがクスクスと笑った。
「お嬢様もお年頃になられたのですねぇ、ご婚約者の影響ですか?」
「え、違うよ」
「ご心配しなくとも、お嬢様は十分可愛らしいですよ、髪は艶やかでお目々は猫を思わせるほど真ん丸」
「猫って……可愛いけど」
いつもの様に褒め倒すマーサに、頬を膨らませると、マーサは手際良く髪をまとめた。
この毎日を、後五年以内で終わらせたくは無い。私は、身支度してもらいながら考えそしてある事を思いついた。
「留学?」
「はい、もし公爵家に嫁いだら夫人としての務めで好きな事ができないと思うんです」
私が思いついた答えは、物理的に距離をとるだ。それも、簡単に会うことが出来ない距離。
「私……絵の勉強がしたいんです!お父様!」
朝食の時間突然そう言った私に。父だけではなく、母も兄も姉も驚いた顔をした。
「留学って、まだ九歳だろう?」
兄がそう言うと。
「何言っているの?公爵家は教育熱心だと聞くわ、もしかしたら早々に花嫁修行が始まるかもしれないでしょう?」
「いや、まだ九歳だろ?」
兄が疑問を言い、姉が擁護の声を上げる。そしていつものように父と母より多く、妹の教育方針の話し合いがはじまった。
そんな二人を置いて、父と母は困惑顔でマリアに尋ねた。
「確かに公爵家に嫁いだら、向こうの意向通りマリアの夫人教育が早くから開始するだろう。でも何で留学なんだ?こちらで学ぶではダメなのか?」
父の言葉に母も頷く。
「隣国では、こちらでも有名な画家様がいらっしゃいますでしょう?ほら、応接室に飾られたあの花畑の絵、私!あの方に教わりたいんです!」
熱を込めてお願いすると父と母は口角を上げた。
「そんなに、絵を学びたいのね」
「では、呼び寄せよう、そうすればわざわざ留学をしなくてもいいだろう」
それでは意味が無い。
「私、あの絵の風景を実際に見てみたいです!画家様の作品は全て故郷の風景なのでしょう?それにガイサード家は外交を担って無いから、外国に行く機会なんてないでしょうし……」
饒舌に喋る私に父と母は驚いた顔をした。
「良く、その事を知っているね」
……しまった九歳の子供に「外交」と言う言葉は早すぎたかも……
「そんなに慌てなくても、ガイサード家のご子息との顔合わせては一度目だし…婚約もこのまま確定になるかは」
「ガイサード家も相性を気にするだろう。王家が用意した婚姻とはいえ、中立派の貴族は多い」
ローブリーズ公爵家とガイサード公爵家との婚姻それは王家が用意したものだ。王国の貴族には王太子派と第二王子派の派閥、それと王の意思に従う中立派があり。ガイサード公爵は第二王子派その筆頭で、王は分裂を避けるために中立派の貴族から公爵家嫡男カシュアとの婚姻を用意した。
小説ではガイサード家は第二王子を持ち上げ、再び数百年前に消えた旧王家を復活させたいと目論んでいたという描写がある。
父の言う通り最終的なカシュアの婚約者はマリアでは無い。がそれはマリアの死を持って無くなった話だ。
「おねがいお父様、お母様。私…隣国で絵を学びたいの」
渾身の可愛らしい顔で手を組んでいお願いすると父は靡いた顔をした。
「うーむ、早いうちから学ぶ事は良い事だしな」
「あなた……」
母は心配なのか、父の言葉に反対の声を上げた。
「まだ幼いですし、留学なら学園に入ってからで良いでしょう」
私に困った顔でそう提案した母、しかしそれでは遅い。
「少なくとも……十一、十二歳程から!始めたい!」
流石に早いと母は目を見開く。いつ殺されるかわからないがカシュア入学がこれから五年後、私が十四の時だ、その前の十三歳か十二歳で程殺される可能性は高いだろう。前世の感覚で言えば小学高学年から中学生に入ったばかりの感覚だが。こちらは成人も早いし、その頃には公爵家の教育もかねて徐々に交流も多くなる。
真剣な顔でそう言う私に父も母もどう説得すればと顔を見合わせてると。こちらとは別に話合いをしていた兄と姉が同時に声を上げた。
「「良い考えがあります!」」
二人は兄から交互に話始めた。
「お父様とお母様がご心配されているのは、マリアの安全や身の回りの事でしょう?」
「しかし、お父様はお仕事、お母様も夫人の務めがおありですから、一緒に行く事は出来かねる」
「そして早くからマリアと離れることに寂しさと不安を感じているのでしょう?」
「ならば、姉である私が一緒に隣国に向かいます。私は絵に興味がありますし、丁度私の学園入学の時期に入りますから、私が留学し、マリアは見解を広げるため共について行ったと言う事にすれば良いです」
「いえ、僕が留学します、何なら来年に僕は学園へ入学ですから!」
一言いっておくが、兄と姉は双子では無い。年も二つ離れている。
いつもより長めの朝食は終わり。私の留学の話は一時保留となったが、あれからすぐ父と母は話あったのか。夕食時穏やかな笑みで私の留学を許可した。
期間は十三歳から、姉が出した案で行く事になった。私が十二歳の時姉が学園入学で、流石に入学直ぐの留学こちらの社交にも影響が出るだろうと言う事だ。
兄の案は単純にたった一人の嫡男であるため、この国の他の貴族家との縁を深める事がまずは先だから、らしい。
期間は一年ほどで勘弁してくれと言われたが私の計算ではギリギリ回避できるだろう。
物理的な距離の確保に成功した私はひとまず安心したのだが……
「今日は良い天気ですね」
「…………」
「あのお花の名前は何と言うのですか?カシュア様」
「…………………ムスカリ」
気まずい事この上無い。現在月に一度の強制顔合わせを迎えた私達。もうかれこれ、十回目になるのだが、カシュアとの距離は縮まらないどころか、会話も進まない状態だ。何か話しても返答は無く。完全な質問口調でないと回答はない。
……ムスカリ、確か花言葉に鎮魂の意味がなかったなかたっけ……嫌な暗示を引いてしまったわ……
そうして月に一回の顔合わせを色々な方法で彼の心が少しでも良くなるようにあらゆる小説を参考して接してみたが、効果は芳しく無く。
話せば、話すほど、距離ができているように感じた。
……物理的な距離作戦は良かったのかも、カシュアの内面を正常に、俗に言う光落ちにするのは無理そうだ。
そうして、距離の縮まぬまま私は十三、カシュアは十四になった時、私と姉は隣国に留学した。
私が絵の勉強を希望したのは、単純に絵が好きだからだけでは無い。これは私個人の夢の話だ。前世ではいつか絵師になってイラストを描いて生きて生きたいな、そう思っていたが、結局は叶わなかった。
自由に書くのが好きで、習いに行く事をせず独学でイラストばかりを描いていたが、今回の人生は名のある画家に習う選択がせっかく取れるのだから、本格的な絵画を習うのも良いだろう……油絵なんかも習えるかななんて、内心はウキウキだ。
私がお願いした通り。絵の先生は隣国でも有名な画家、サルバー先生が勤めてくれた。
意外にも若く二十前半らしい、それもかなりの美男子だった。
私もだが姉はもう頬を赤めて、当初は私だけだった絵の指導を姉もする事になった。
サルバー先生は元は伯爵家の次男で騎士をしていたが、足を怪我して退団したらしくその後は絵が得意なのも合ってか騎士団の団長のツテで指名手配の犯の似顔絵だったり、教会で絵を教えていたらしい。
「個人で生徒を持つのは初めてだよ、お互い楽しみながら学ぼう」
サルバー先生の教えは優しく、何かとイラストチックな私の絵を褒めてくれた。
私が子供なのも合ってか、とにかく楽しみながらに芯を置いて学ばせてくれた。
そうそう、私が留学するにあたってガイサード家の反応は意外にも軽かった。
私が十二歳になった時、私の予想通りガイサード家は夫人教育もかねた教育を開始したいようだったが、父が娘は留学するからとまだ先にしたいと断りを入れたら、そうですかみたいな程度で返答があったらしい。
カシュアの反応はもちろん無いが、一応婚約者のため定期的に文のやり取りはする様に父から言われたため、せっかく絵を習っている私は絵手紙や絵葉書を描いて文通をした。
カシュアも返事をくれるが、毎回同じ様な文で短い。
…………このまま、帰ってきたら婚約解消にならないだろうか…………
時折現実を思い出しながらも前世の記憶も合ってか物覚えが良い私は、一年のうちで三度、絵の評論会に出品した。
今をときめくサルバー先生の教え子の絵とあってか意外にも評判は良く、買いたいと言ってくれる人もいた。
どれもB5サイズ程の小さな絵で、動物や花などがほとんどだが、可愛らしいタッチが癒されるらしく。ご婦人や若い女性に何度かファンだと言われた。
そうして隣国でそれなりに画家の道を辿っていた私は、一年経ち帰国する事になった、その際にダメ元でもう一年とお願いすれば、流石に渋がられたが、サルバー先生がわざわざローブリーズ家まで訪れ私の絵の才能を語り、口添えをしてくださったのと、丁度学園を卒業した兄が今度は自分が私の側にいるため留学すると言い、両親はこれも教育かと了承してくれた。
理解とお金のある家に生まれて良かったと思ったが、そもそも政略結婚しなければならないのは、この地位のおかげでもある。
一度の帰国の際にカシュアにも会ったのだが、一切目どころこちらに顔を向けなかった……
そこまで避けるかというほど彼はこちらを向かず。一言二言、言葉を交わして終わった。
ガイサード家は、また留学かと言う感じだった。強気に出られ無いのはこちらも公爵家、そして中立派と王の意向をもっとも尊重している派閥だからだろう。
この婚約は強制だが、意外に力の均衡が取れた考えられたものなのかもしれないと、私関連でほとんどこちらの意見を受け入れているガイサード家をよそ目にそう思った。
…………これ、向こうがキレてあわよくば、婚約は別の中立派にってならないかな……
二年目の留学でそう思った私はどこまで許されるか、試してみたくなった。何より考えれば、結婚後の方が危険では無いか。
カシュアの一年振りの再会の様子。手紙のやり取りをしていたとはいえ、彼との距離は縮むわけ無く。むしろ、顔すら見せてないと完全拒否を受けたのだ。
目標は婚約解消これが良い。何より私はすっかり画家気分で、私の描いた絵葉書を見たサルバー先生が是非これを仕事にしてみないかと声をかけてくれた。
そうして、お小遣いを稼ぎながら着実に名を広めた私は、なんと四年目の留学期間に入っていた。
学園入学の時には流石に帰るべきだろうかと思っていたが、姉が学園の卒業と共に隣国に嫁ぐ事になったためか、割とすんなり我儘が通った。お相手は、サルバー・ダイアート子爵そうサルバー先生だ。元は伯爵の次男のため継ぐ爵位はなかったが、私の三年目の留学の際に王宮専属の画家に任命され子爵を賜った。
一年目の留学の際に、すっかりサルバー先生に恋した姉は、順調にアタックして一度目の帰国の際には激戦を経て婚約者になっていた。
サルバー先生は美男子だ。それも元騎士ともあって姿も綺麗だから、姉の敵は多かった。
教会を利用する女性達、先生のファンの貴族子女、そして一番厄介だったのが、先生のパトロンになりたがった、貴族のご婦人方々らしい。
パトロンなら別に気にする事では無いのではと思ったが、実際はパトロンを評して画家や彫刻家と愛人契約を結ぶ事がよくあるらしい。
公爵家であっても隣国には影響力がほとんど無い姉は、客人の様な扱いで恋愛争奪戦の蚊帳の外に何度かされそうになったが、事実的な二人目の教え子である姉の方が他の人に比べてとても距離が近かったように感じたし、結果サルバー先生は騎士団のツテの仕事と評判会やオークション以外で絵を売る事は無くパトロン契約をすることは無かった。
「確かにパトロンがいれば絵を描く環境良くなるだろうね、でもそれ以上に今持ち得ているものを無くしてしまうのは嫌なんだ。騎士団との繋がりは何よりも大切だからね」
そう言ったサルバー先生を姉はうっとりと眺めていたのを覚えている。
そうして帰国間近に告白した姉は無事サルバー先生とお付き合いを始めた、私達の帰国にサルバー先生が同行したのも、その報告を姉と共にするためだった。つまり私の件は次いでである。
そうそう、兄は絵の才能が全く無く。代わりに隣国の大学で貴族や商人の息子達との縁をかなり深めたらしい。二年程の留学で帰国した兄を見送る際に、兄の友人と話したのだが、兄はかなりのたらしらしく。多くの友人に惜しまれて帰っていった。
ガイサード家の反応は年々悪くなっていった。元々教育命の家だ、思い通りの夫人教育ができず業を煮やしているらしい。
父には申し訳ないと伝えたが、父や母は私の絵がパーティーやお茶会で目にする様になり、それが嬉しいらしく。頑張りなさいと手紙や帰国する度に言われた。
カシュアは年々手紙の内容が文句がましい、文章になっていった。
…………これはそろそろ婚約解消になるのでは?
ガイサード家は教育を受けていない夫人など嫌だろう。幼いうちから叩き込んで完璧にしたい人達だ。
四年目、私が帰国を選択したのは、姉夫婦に子供が出来たのもあるが、この我儘を終わらせて、自分で蹴りをつけるためだ。後単純に、気になるのだ。向こうの学園はどうなったのか…………
「マリア・ローブリーズの祭壇」は恋愛ホラー小説だ、学園内で起きる事件や事故は多くそして人が死ぬ。その黒幕はカシュア・ガイサード。私の婚約者で、私は物語が始まる前に死ぬ設定背景の令嬢。
その小説の私の死ぬ予定だった現実は実質三年も前に過ぎ去った。
…………私は生きて、カシュアは人を殺してはいない、多分……
カシュアが在学中、殺人を間接的だが起こしていないのか。ヒロインには出会っているのか、どうなったのか、気になった。
一つ上のカシュアは今年卒業だ。ヒロインは私と同い年、安全に状況確認ができるはずだし、向こうも婚約を解消したいはず。
罵倒なら浴びようそのぐらいの我儘をした。
そうして私は十七歳になった時帰国を選択した。先生や姉、私の絵のファンの人達に惜しまれながら四年間お世話になった国を出た。
「マリア……」
久々に訪れたガイサード家、久々に会ったカシュアは当然だが大人の男性だった。
成長期を終えた私とカシュアの身長差は頭一つとちょっと。あんなに小さかったのにどうしてここまで成長できるのだろうと、人体の不思議を感じていた私をカシュアは抱きしめた。
「ふぇ?」
間抜けな声を出す私に構わず、鼻先を私の首元に寄せて嗅ぐ。
…………えっ匂い嗅がれている?
「マリア」
……えっめっちゃ下の名前呼ばれてる
「カ、カシュア様⁉︎」
動揺を隠せ無い、あんなに冷たかった男がどうしたらこうなるのだろうか。
疑問に思う私を抱き上げそのまま膝に座らされた。
「お、お、おります」
「ダーメ」
……ダーメ?
私がガイサード家を訪れたのは、勿論婚約の話をするためだ。一度実家に帰った私は父にガイサード家から婚約解消の話は来ているかと尋ねたが、父は首を横に振った。父もこちらの我儘に突き合わせるわけにはいかないと婚約の解消を提案し別の中立派との縁組を王にこちらが提案すると言ったらしいが、他ではなくカシュアがそれを拒否したらしい……
何故と思った私、父は私に後は任せると今までの我儘をそれで許してくれた。
久々に帰った屋敷には前より私の絵が飾られており、思わずニヤけてしまった私の頬を母はツンツンと突きながら長い留学の文句を言った。
そう言うわけで、訪れたガイサード家、罵倒覚悟とそして終わらせる期待を込めて来た屋敷で始めに驚いたのは、前ガイサード公爵閣下が逝去されていた事だ。
父やカシュアの手紙には一切書かれておらず。驚いた私に、カシュアは自分が私の父に口止めをしたと言った。
「君の作家活動に支障をきたしたく無かったんだ」
学園卒業と共に公爵家を継いだカシュアは出迎えた矢先にそう言った。
………………手紙では、留学が長いことに文句を書いていなかったっけ?
案内されたのは、中庭のガゼボで美しい沢山の花が咲いていた。
…………あれ、確か小説ではガイサード家の中庭は、薔薇一色だった様な……
あれから四年、細かい部分が曖昧になってしまったのだろうか、私が首を傾げていると、カシュアは笑みを浮かべ……笑みを浮かべた⁈
「君の絵を参考に作り変えたんだ」
「作り変えた?」
「あぁ、綺麗だろ」
「はい」
「良かった」
…………笑っている、あのカシュアが一切の笑みも顔すら向ける事が無かった子が。
何故か、感動を覚えた私はその後、抱きしめ、クンクンされて現在膝の上である。
「あのーカシュア様?普通に座りたいのですが」
「……冷たい」
…………え、普通のことを言ったよね、あなたよりは冷たくありませんが⁈
「久々に婚約者に会ったのに、イチャイチャもさせてくれないなんて」
「…………」
反応に困る。そうだ、婚約解消だその話だ。しかしカシュアのこの状態、この反応は…………
しっかり婚約者と言った。彼は四年も放置されたのに婚約を続ける気らしい。
「怒らないのですか……その、ガイサード家の夫人教育も受けずに好きな事ばかりしていたのに」
「怒られたい?」
…………何故聞くんだろうか……
「責任は果たさなければいけないと思っています。罵倒も仕方ありませんし婚約の解消を仕方ないと」
「婚約解消はしないよ」
…………食い気味で言われた。
カシュアの手がそっと私の手を握り、指先をフニフニと揉み出した。
……何をしているの?この方……
「この手、この指先が素晴らしい絵を生み出しているんだね」
「絵……」
「そう、君の絵だ!」
カシュアは突然立ち上がり私を抱えたまま歩き始めた。
「カシュア様、自分で歩きます」
「ダーメ」
……またダーメ
進むカシュアの足取りは軽やかで、盗み見たアメジスト色の瞳はあの頃より随分輝いて見えた。
「これは……」
「君の絵だよ」
カシュアに抱えられ連れられた部屋には見覚えのある絵が沢山飾られていた。
「絵葉書……」
中には四年間交わした手紙も綺麗に額縁に飾られていた。
「初めて君の絵を見た時、感動した…」
「えっ……」
「すごく綺麗で優しくて、今まで感じた事の無い気持ちになって困惑したんだ」
カシュアは私を部屋の中央に一つだけ置かれたソファーに座らせて、膝をついて私の手を取った。
「君に感動を伝えたくって、でも何て言えば良いのかわからず、君が一時帰国するたびの逢瀬の時間を無駄にした事を今でも悔いるよ」
カシュアはそう言って、私の手に唇を落とした。
…………
頭はもう真っ白である。
……感動?、綺麗?、困惑?……
つまり彼は……
「カシュア様は……私のファンって事で良いですか……」
カシュアは顔を上げてアメジスト色の目を私に向けた。
「そうだ、君の絵が、マリアが大好きだ」
……小説のカシュアは確かに元好青年として描かれていたが、その実、物事に関する興味が薄く。自分の世界に閉じこもっていた。その最たる行動が、他人を支配し猟奇的な行動に導く行為だろう。
だが今、カシュアは絵に興味を持ち、そして作品のファンになっている。輝きの無かった幼い目は変わり、アメジストよりも輝いて見える。
…………光落ちでは、実質……つまり、私の物理的な距離を置こう作戦は……大正解だった⁉︎
「ねぇ、マリア、これからは僕のために絵を描いて」
カシュアは懇願する様にそう言った。私は考える、確かに四年好きな事をしてきた。
元は死から逃れるためで、その心配が無くなった今。私は今までの自由の責任を取らなければならない。
「マリア、責任は取ってくれるのだろう」
「はい、カシュア様のための絵を描きます」
私が真剣な目でそう問えばカシュアは喜び私を抱きしめた。
逃げの選択を通した私。まさかそれが、カシュアの心を知らず変えていた何て思いもよらなかった。
前世も今世の世界も、好きな物を見つけると人生は明るくなる。
距離はありながらもカシュアにそれを届けられたことに本当に良かったと心の底から思った。
「カシュア様、何を描きましょうか」
「まずは、僕と君を」
「私、自画像は自信がなくって」
「そうかい、君は人物がも得意な様に思うけど……心配なら僕が君の特徴を伝よう。そうすれば君も描き安いだろう?」
「恥ずかしいですけど、はい」
「君は、この世で最も清らかで美しい…………
この世でもっとも清らかで美しい者に出会った。
「マリア・ローブリーズです」
初めての顔合わせ、婚約者だと言われ連れてこられたその人は、緊張で手を握り締め、柔らかな頬を赤く染めていた。
優しく良く櫛を通された綺麗な髪。淀も無い瞳。何もかも鏡で見る自分とは違い、愛されているとわかった。
ガイサード家は第二王子派その筆頭を務めている。これは一見二人の王子を競わせる事で、より切磋した方を王にすべきと言う行動のもとなされた派閥争いに見えるが、ガイサード家はそんな青々しいことなど考えてはいない。
実際は旧王家の復活、数百年も前に滅んだ自分達の血の繋がりの薄い本家のためと綺麗事を言い、支配したいだけの強欲な行為だ。
血を繋ぐのもその行為の一端でしかなく。自分は道具であると、父に蹴り倒された瞬間わかった。
綺麗な服を着てもその実アザだらけの体は、美しさの欠片も無い。
ガイサード家は自分達が掲げた、清らかで美しい家紋を自分達で汚している滑稽な家だった。
そんな家と王家が結ばせた婚約はローブリーズ家の次女、歳が近く、自身よりも年下の扱い易そうな娘が選ばれ父は内心ほっとしただろう。ただ見た目に関して文句を言っていたが、中立派に第二王子派の心情を悪く思われ無いためにそれを受け入れた。
そうして、狂った家に差し出された哀れな子は、マリア。
彼女に冷たい態度を取ったのは最低限の償いの気持ちも会ったのだが。その実は、綺麗な彼女を見る度、壊したくなる衝動が襲ってきたからだ。
破壊衝動の自覚はある。地面に咲く花を見ると引きちぎって踏み荒らしてしまうし。呑気に歩いている小鳥や犬猫を見るとレンガで殴り殺したこともある。
だから……ガイサード家は棘のついた薔薇しかないし。犬猫や小鳥避けがされている。
この衝動を抑えさせるために父と母は抑圧した教育をしたし。人との交流も避けさせた。
その結果、衝動は酷くなっていくばかりだと知らず。
そんな時、訪れた幸運はマリアが絵を習うため留学すると言ったことだろう。これで、あの衝動で彼女を殺してしまう事は無いと内心安堵した。父と母は怒り心頭だったが、同じ公爵家、それも中立派はどちらかにも傾くため、おいそれとと怒鳴り散らす事はできないのだろう。
その代わり彼女の心を射止められなかった自身に矛先が向いたが。学園の入学を控えた体を殴る事はできない様で、聞き飽きた罵倒だけで済んだ。
その頃流石に社交の場が増えたのも理由だろう。
だけど……本当の幸運はそこからだった。
…………義務で始まった文通、その手紙に添えて書かれた花に、今まで感じた事のないものが芽生えた。
困惑した。この感情はなんなのか……破壊衝動ではない、でも確かな興奮に胸の奥がむず痒くなった。
これは、成長とともに訪れたただのまぐれかもしれないと、興奮のまま中庭の薔薇を見に行った。
結果、気がつくと薔薇の棘が刺さり赤く染まった手と、無罪に引きちぎられた薔薇が撒き散らされていた。途方も無いほど怒鳴り声を浴びせられたが、どうでもよかった。
その感覚を何度か味わう内にわかった。……これは好意だ。
彼女の描く絵を愛してしまった。
花も犬猫も他の動物も彼女の絵を通せば人並みに愛でることができた。
十四歳にして初めて得た感情を持て遊ぶ日が、その日から四年続いた。
一年目。ようやく帰ってきたマリアは、もう一年留学したいと言った。
自身は初めて意識した彼女の姿に破壊とは違う衝動を抑えるので必死だったため、その報告は冷水の役割を与えた。
ある意味良かったのだろう。まだ完全にコントロールできない感情だ。物理的に距離を離していた方がよい。
そうして、彼女の絵を通して彼女に慣れれば良い。
彼女が帰った後、その飲み終わったカップに紅茶を注いで口をつけた自分の行為にそう判断した。
そうして再び始まった文通。その絵はある日、学園で見ることになった。
「ねぇ、知っていましてこの絵」
「その絵葉書、マリア・ローブリーズ様の絵ですか」
「そうなの、隣国にいるお兄様が送ってくださったの」
「私、実はファンでしてマリア様の絵をこの間お父様に頼んでオークションで買いましたの」
「まぁ、ぜひ私も拝見させてくださいませ」
「えぇ、今度のお茶会でお見せできますわ」
手紙では絵葉書の仕事をしていると描いてあった。
彼女の絵はパーティーに呼ばれた際にもたまに目にし。外で彼女の絵に出会える事は、破壊衝動を抑える事もできるため幸せな事だが、それと同時にまた別の感情が湧き上がってきた。
その正体にはすぐに気がついた。
……嫉妬……
それ以降、今まであたりさわりのない事を描いていた手紙の内容に、気がつけば自身の心内を書き連ねていた。
いつ帰ってくるのか、婚約する気はあるのか、このまま画家になるのか、自分とは他人になるのか。
いつのまにか、愛していたのは彼女の描く絵ではなく、彼女自身になっていた。
その気持ちを本格的に自覚したのは。父の言葉だった。
「ローブリーズ家との婚約は解消する」
初めて破壊衝動ではない、理由を持った殺意を感じた。
その日から父をどう殺すか考えた。
悩んだ挙句、馬車の事故死が一番やりやすい事に気がついた。
父を遠出させるため、領地資金に嘘の数字を書き直した。
あれは、自ら出向き自分の手で、制裁を与えなければ気が済まないため扱い安い。
側から見れば、真摯に向き合う領主だが、それが圧政なら迷惑極まりないだろう。
流石に現地に行けば嘘だとわかるのでその前に、崖から落とした。
御者は一度停泊した町で入れ替わらせ、そのまま通行止めとー言って危険な道をを進ませた。
父はせっかちだから、思い通りの行動をした。
ワザと馬にストレスを与え、不安定な道で横転、崖から落る。簡単で単調な子供が思いつくだろう死は、けれども何の隔たりもなく迎え。帰って来た父は遺体だった。
そうそう、犯行をした御者役も殺した。
シナリオは、「身代金目当てに攫った馬車が運悪く崖に落ちた」だ。
人攫いになれば、人通りのない崖道を選んだ理由もつく。全ては運の悪さが原因だ。
だけど、母は何か察したのか。それとも公爵家の当主が息子に移ることで、自分の立場に不安を覚えたのか。病的なまでに息子である自身を恐怖した。だから遠い領地に療養もかねて送った。丁度父が向かっていた町だ。あの執念深い魂は死ぬ原因になった町に取り憑いているかもしれない。
そうして、綺麗になった屋敷に彼女は帰って来た。
マリアは昔と変わらず、清く、美しいままだった。
緊張の面持ちで、櫛をよく通した髪と淀みのない瞳。
全ての感情を理解、コントロールできる今、彼女に触れる恐怖はなく。只々、四年分の思いを伝えた。
結果……彼女は自分のファンか?と言った。それも事実のためそうだと言った。
彼女のために用意した。全てを見せて全てを受け入れてくれるまで。その事実だけを理解すれば良い。
待たせた責任を取ると言った彼女に「僕のためだけに絵を描いて欲しい」という願いは、覚悟をこめた透き通る目で了承を得ることができた。初めては君と自身の絵が良い。そう言うと彼女は照れた様に笑い幼い頃と同じ様に頬を赤らめた。
マリア・ローブリーズ。
彼女の瞳は優しさと温もりを捉え、その白い指先は愛を描く。
彼女が何の憂いもなく絵を描ける場所を作ろう。
そして絵を描く彼女の側にいつまでも居よう。
もし彼女が絵を描く事が出来なくなっても……
そうだな……その時は、彼女の全てで祭壇を作り。
僕の愛を形にしよう。
「マリア・ローブリーズの祭壇」完
読んで下さり、ありがとうございます。
高評価、ブックマーク登録ありがとうございます。
初ランキング入り、とても励みになります☺️