裏切りの剣、救いの刃 ~中立の村を守るため、英雄は王都軍に刃を向けた~
王都軍の女兵士、ジャンヌは“剣聖”と恐れられた。鍛え抜かれた肉体と戦場を見抜く冷徹な眼――だが彼女がその異名を誇ることはなかった。名誉や称賛より、仲間を守るために剣を振るう。それがジャンヌだった。
魔王軍との決戦の最中、仲間の盾となって彼女は深い谷底へと落下した。
命は尽きたと思った。だが、目覚めると粗末な寝台の上。体中に包帯を巻かれ、知らぬ天井を見上げていた。
「……ここは……」
扉が軋み、ひとりの少女が入ってくる。角と尻尾を持つ――魔族だった。
「目が覚めたのね。良かった……」
ジャンヌは反射的に身構えたが、動けない。少女は椀を差し出す。
「これを飲んで。体が温まるから」
「……魔族の作ったものなど飲めるか。毒でも入ってるかもしれん」
少女はくすりと笑った。
「あなたを殺す気なら、谷底から運んだりしないわよ」
そう言って自らスープを啜る。ジャンヌは無言で椀を見つめた。腹が鳴る。やがて、一口……その温かさに思わず目を細めた。
少女の名はゾラ。この村は中立地帯で、戦争には関与していない。村の人々も皆、ジャンヌに優しかった。驚くことに、彼らの多くは人間だった。魔族と人間が共に暮らしていたのだ。
歩けるようになると、ジャンヌは松葉杖で村を見て回った。子どもたちに人間の剣舞を見せ、農夫に怪我の治し方を教え、ゾラには「塩加減ってのはな……」と人間の味付けを伝えた。
少しずつ、魔族という存在への嫌悪が溶けていく。戦争が見せていたのは一部でしかなかったのだ。
――それでもジャンヌは軍に戻った。
「ジャンヌ! 生きていたのか!」
仲間たちの歓声。指揮官の安堵。戻ったのは戦友の世界。だが、宴の中、彼女は耳を疑った。
「明日、魔族の村を焼き払う。中立とは名ばかり。あの谷を拠点にすれば戦況は大きく動く」
「待ってください! 村には兵はいない、戦力にもならない。ただの暮らしの場だ!」
ジャンヌの声は届かなかった。
「命令だ。村人もろとも殲滅せよ――と宰相からの通達だ」
その夜、ジャンヌは鎧を脱ぎ、ひとり軍を抜けた。炎に包まれる未来を止めるため。
「ゾラ! 起きろ! 今すぐに村を出ろ!」
「え……? な、なに?」
村人たちが集まり、混乱の中、歩哨が叫ぶ。
「王都軍が……もう谷を越えてくる!」
ジャンヌは剣を抜いた。王都の紋章が掲げられた旗が、夜明け前の空に揺れていた。
「私が止める。ひとりでも多く逃がしてくれ」
「待って! 死ぬつもりなの!?」ゾラが叫ぶ。
「お前に命を救われた。今度は私が――守る番だ!」
戦場に立ったジャンヌは、かつての仲間と刃を交えた。かつての戦友が怒鳴る。
「裏切り者ッ!」
「それでも、私には――守りたい命があるんだ!」
剣戟の音が谷に響く。ジャンヌは血にまみれ、盾となり、矢を受け、倒れてはまた立ち上がった。
そして夜明け。谷に太陽が差す頃、戦が止んだ。
王都軍は撤退していた。
後に残されたのは、倒れ伏すジャンヌ。彼女の体には数十の矢が突き刺さり、剣は折れ、血で地が濡れていた。
ゾラが駆け寄る。
「……ジャンヌ……!」
彼女の息は浅く、瞳は空を見つめていた。
「ゾラ……みんな……逃げたか?」
「ええ、みんな無事よ。あなたが、時間を稼いでくれたから……!」
ジャンヌは微かに笑った。
「そうか……よかった……」
そして、そのまま目を閉じた。
――数日後。
王都では、ジャンヌの死が「戦死」として報告された。
だが真実を知る者は、谷の村にいた。ジャンヌを葬った丘には一本の剣が突き立てられ、その墓には村の者たちが花を手向けていた。
「この剣が、彼女の想い……この村を守ってくれた、英雄の剣なんだ」
ゾラはその墓の前で静かに祈る。
「……あなたのこと、忘れない」
【終】