ピクニック
「きれい」
それ以外の言葉が出てこない。
レオさんの手を借りてドロテアから降りると、花の甘い香りに包まれた。
「子供の頃、母に花をプレゼントしたくて、ここまで来て、怒られたことがある」
レオさんの小さい頃を想像する。笑顔が可愛くて、お花をいっぱい抱えて。お母さんは嬉しかっただろうな。
「なぜ、怒られたんですか」
「この近くは魔獣が現れることがある。それなのに一人で来たから」
「魔獣?」
「大した魔獣じゃない。ドロテアでも勝てるような弱い小さな魔獣」
ドロテアが当たり前だというように嘶いた。
「その頃は小さかったから」
想像の中のレオさんを小さくする。
「見てみたかったな。小さなレオさん」
「俺も見たかったな。小さなマリア」
なんだか、恥ずかしくなる。
「湖のそばまで行こう。ドロテアは好きにしていいぞ」
レオさんがドロテアから荷物をおろして、その背中を軽く叩くと、ドロテアはすぐに足元の花を食べ始めた。
「あ、もったいない」
せっかく、きれいな花なのに。
「ドロテアでも食べきれないさ。それに蜜が甘い」
レオさんが花を二つ摘むと、一つを私に渡し、もう一つをチュッと吸った。
懐かしい。幼稚園とか、小学校ぐらいの時にしたことがある。
私もチュッと吸った。青臭さはなく、さっぱりした甘さだった。
「おいしい。ドロテアが食べるのがわかる」
「ニオイハツカソウという花だ」
そういえば、名前を聞くのを忘れていた。そういえば、お店に飾ってある花の名前もほとんど知らない。
この世界に来てから、必死に生きてきた。早く自分の店を持ちたくて、働いて、勉強して、考えて。休みの日に自然と触れ合うなんて発想もなかった。余裕が無さすぎたかもしれない。
レオさんが手を差し出したので、その大きな手を握った。エスコートよりもこの方が恋人って感じがする。
「マリアの手は小さいな」
「あ、あの、ガサガサですみません」
ヘアメイクの仕事はシャンプーや手を洗うことが多いから、どうしても荒れてしまう。この世界ではパーマがない分、荒れはましになるかと思ったけど、ハンドクリームのいいのがないので、荒れ具合は同じぐらいだ。
「仕事で荒れるのは仕方ないさ。可愛い手だな。俺の手にすっぽり入ってしまう」
しみじみと言われて、顔が熱くなる。
「レオさんの手が大きいから」
レオさんの手はたこができて、少しゴツゴツしている。ずっと鍛えているからだろう。
「レオさんって、剣だけじゃなく、魔法も使えるんですよね」
「ああ、大した魔法じゃないが、剣に炎をまとわせると魔獣と戦いやすい」
「見てみたいな」
「危ないから無理だ」
「わかってるけど、かっこいいだろうなと思って」
「練習を見に来ればいい」
「見に行っていいの?」
「若い騎士を見に女性の見物客は多いぞ」
「そうなんだ」
レオさんを好きな子が増えたら嫌だなあ。
「俺はモテないからな」
そう言いながら、レオさんはニコニコしている。
「なんだか、嬉しそう」
「マリアが嫉妬してくれたのかと思って」
「う、うん、まあ、そうだけど」
「俺はモテない。そして、マリアしか目に入らない」
「それがおかしいと思う。私の国だったら、レオさん、絶対、モテるのに」
湖のそばまで行くと、レオさんは荷物を置いた。
湖の水は透明で魚が泳いでるのが見える。
「きれい」
「深いから気をつけて」
湖をのぞき込むと後ろからウエストを抱えられてしまった。
「だ、大丈夫です」
恋人では当たり前の距離が恥ずかしい。恋愛経験の無さがバレてしまいそうだ。
「こう見えても、泳ぎは得意で」
「そうなんだ。どこで泳いでたの?」
「プールっていう人工の水泳場で。信じられないだろうけど、水着っていう肌がほとんど見える服で泳ぐの」
棒を拾って、ガリガリと地面に絵を描いた。
「マリアも着たの?」
レオさんの眉間に皺がよる。
「うん。学校で習うし」
はしたないと思われそうだ。ビキニの絵はやめておいてよかった。
「見た人がいるんだ」
「う、うん」
レオさんがハーッと息を吐いた。
「もしかして、嫉妬してる?」
さっきのレオさんの気持ちがわかった。嬉しい。
「ああ。これからはそんな姿を男には見せないで」
「うん」
「でも、俺も見てみたいな」
と言ったレオさんがしまったという顔になった。
「ごめん」
「ううん」
よく考えたら、二人っきりでまわりに人がいないのって初めてだ。家ではいつも、ミルルがいるし、食事に行く時はカジュアルなところなので個室を選ばないし。
「マリア」
レオさんの顔が近づいてくるから、私は目を閉じた。
思っていたより柔らかい唇。クラクラする。
ヒヒーン。
嘶きと共にドロテアが間に割り込んだ。
「おい、別に悪いことをしていたわけじゃないから」
さんざん、ドロテアに押しのけられるレオさんに私は笑いが止まらなかった。