第一話:黒の王女と舞踏会場
宵の耽る中、王宮主催のパーティは滞りなく終わろうとしていた。
天井から下がる光のオブジェのような幾つものシャンデリアが、広い会場のあまねくを照らしていた。
真昼のような明るさの中、貴族と呼ばれる特権階級の紳士淑女が贅を凝らした極上のスーツやドレスに着飾り、王立楽団の奏でる音楽に合わせ、咲き誇る花のように舞っている。
王室の肥えた舌を日々満足させるお抱えのコックたちが自慢の腕を奮う飲食のコーナーには、見た目も鮮やかな料理やスイーツが並べられ、普段から美食に慣れたものたちをも魅了していた。
東方に広大な森林と山河を持ち、肥沃な耕作地で大陸でも有数の小麦と農作物、畜産と養蜂、そしてなにより花の一大産地として知られるソプラード公爵領。その領主フォルテ・アルタ・ソプラードの嫡子、テノール・アルタ・ソプラードもそんな花のひとりだった。
そのテノールの目が流れる音楽とドレスの光の波の中に潜む『異質』を見つけたのは、パーティの終了が告げられた直後のことだった。
ひとつの闇が目に止まった。
「あれは……」
どうして彼女がここにいるんだ。
「どうされましたの、テノール様」
「すまないカテラ、ちょっと失礼する。先に馬車に戻っていてくれないか」
共に会場を後にしようとしていた婚約者のカテラ・ティア・アーロン侯爵令嬢にそう告げると、彼は足早にその闇に向かって歩き出した。
「テノール様、待って」
その様子にただならぬものを感じてカテラが引き止めようと声を掛けるが、テノールの足は止まらない。
「もう、いつも勝手なんだから」
何を見つけたのかは知らないが、テノール様のこの〝正義〟にかこつけた直情は正して頂かないと。本当に困ったものですね。
しかしそのまま放ってもおけず、カテラもまたその後を追った。
その様子はどこか楽しそうにも見えた。
「テノール、どうしたんだ。顔が怖いぞ」
「アレックスか。別に大したことじゃない」
「そうかぁ? でも、お前の顔はそうは言ってないぜ」
歩みは止めず、声を掛けてきた幼馴染を振り返ることもなくテノールが答える。
陽気なよく通る声はそのまま何も聞かず横に並んで歩き始めた。
肩をすくめるテノールの緊張した顔が微かに緩んだ。
「まったく、おせっかいな奴だな、お前は」
「その通りだ。誰かさんのおかげだな、お前といると本当に退屈しないな。それより少しは後ろも気にしてやったらどうだ」
「後ろ?」
「ドレスでの移動は結構大変だと思うぞ」
振り返るテノールの目に薄紅色のドレスの裾を持ち上げ、追いかけてくる婚約者カテラの姿があった。
「テノール様」
「カテラ、どうして」
もう帰りの馬車に乗っているものだとばかり思っていた。
ようやく追いついたカテラが、縋り付くようにテノールの腕を取る。
「だって、そんな怖い顔で何処かに行こうとするものだから、わたくし心配で」
「カテラ、心配させて済まない」
「でしたら、わたくしをひとり置いて行くのはおやめください」
こんなにも自分を思ってくれる女性を悲しませてしまったことに、テノールが素直な謝罪の言葉を口にする。
「お前はいつも一言少ないからな」
「そういうお前はいつも一言多いんだよ。大体、セレス嬢はどうしたんだ」
からかってくるアレックスに救われた気になる。
お返しとばかりに掛けた言葉にテノールとカテラが呆れた。
「先に帰らせた」
「お前というやつは」
「アレックス様。テノール様の親友とはいえ、わたくしの大切な友人を悲しませるようなことがあれば容赦しませんよ」
微笑みながら、容赦のない声がアレックスにとぶ。
アーロン家の陰の生業を知っているアレックスにはカテラの言葉が半分冗談には聞こえなかった。
話しの端々に出てくる「セレス」はアレックスの婚約者の名前で、セレス・ラウストリア伯爵令嬢のことで、カテラの大親友でもある。
勿論、アレックスがどれだけセレスを大切にしているかはカテラもよく知っている。
「ははは、怖い怖い。テノール、助けてけれ。で、何があった」
話の方向を変えようとアレックスがテノールに振った。
その歩みがようやく止まり「あれだ」と言った視線の先には、この国の第三王子オリハミス・シンフォニーのとその婚約者のシャーロット・カルテナ伯爵令嬢、そして問題の女がいた。
その全身「黒」のドレス姿に誰もが最初にこう思ったことだろう。
「魔女」と。
「王子がなにか」
「問題はその横の黒いドレスの王女だ」
カテラの問いにテノールが答えた。
その中の以外な言葉にアレックスが聞き返した。
「横の王女? おいおい王女なんか出席していたのか。だったらもう少し騒ぎになってもーーーー」
「見慣れないお姿ですね。でもあれは、あの出立ちは……まさかですが」
「カテラ嬢も知ってたか。アレックスも思い当たる噂があるだろう」
その姿にカテラも目を見張る。そして、その様子は思い当たる誰かと一致したようだった。
「バルレティオン王国のペニーヴェガ王女殿下、ではありませんか」
「ペニーヴェガ王女殿下って、帝国の、あのミネルバ・プレアデス皇太后の掌中の玉ーー」
確かめるようにアレックスがテノールを振り返る。
阿吽の呼吸でテノールが前を見たまま頷いた。
「ああアレックス、皇太后の『黒真珠』だ」
「まるで絵本に出てくる魔女みたい」
不敬とも取られかねないカテラの言葉に他の二人も一様に「正に」と思う。
競い合うような色彩とデザインのドレスの花園の中にあって、その長く光沢のある黒髪と時折り虹色を放つ黒いドレスは闇のような異界だった。
噂では生まれながらに病弱であったため、社交界デビューは遅く、出席は稀であるため、その姿を知らない者も多い。事実、アレックスとカテラもそんな多数のひとりだった。
「カテラ嬢のそれはもう一つの異名だな」
「異名?」
「黒髪の魔女だよ」
不吉ですこと、カテラは飛び出しそうだったそれをすんでのところで飲み込んだ。
黒を好み、主に黒の衣装を纏うことから『魔女姫』『喪服の王女』『カラス姫(女)』とも陰で揶揄されているのはカテラでも知っている。
その扱いはまるで幻獣を見たというような物言いをされているとも聞く。
このような催しにあの喪服のようなドレスは場違いであり、主催者である王国にも不敬だと憤る者もいるだろう。
でもーーとカテラは思う。
その素材の正体を知っても同じことが言えるかしら。あれが『絹の金剛石』『妖精の絹』とまで賞賛される『昴絹』だとしてもと。
ペニーヴェガ王女の祖母であるミネルバ皇太后陛下は東方の島国の出身だと聞いたことがある。そこでは複数の形の文字が使用されていて、その中の文字のひとつに〝カンジ〟と呼ばれる絵のような文字があるのだという。
帝国の名であるプレアデスをカンジでは『昴』と書き、この絹はそれを頭に頂いている。
皇太后がバルレティオン王国に嫁ぐ皇女のために自ら生み出したものだといい、纏うことが出来るのは帝国の皇族、皇太后の血筋のみに限られる。
品質は五つのランクに分けられ、その最低ランクの品ですら見かけることは稀で、帝国からは門外不出、端切れ一片でも首が飛ぶとまで言われ、帝国内でも滅多に見ることはない。
そしてそこにはもうひとつの噂が風聴されることがある。
最高級を越える六つ目のランクが存在すると言われる。
それは『幻』と呼ばれ、一反で小国が買えるという馬鹿げた噂話ばかりが聞こえてくる。別名『漆黒』と呼ばれ、紡がれた生糸は何故か黒色にしかならないのだという。包まれるような手触りと光を受けると艶やかな美しい虹色を放つとわれる。
そう、あの目の前の王女が纏うドレスのように。
「オリハミス王子殿下」
普段はお互いの黒歴史を知り尽くす親友として名前のみで呼び合うことを許されているテノールとアレックスだが、さすがに公式の場ではそうもいかない。
その声にオリハミスとその婚約者シャーロット伯爵令嬢が、少し遅れて黒色のドレスが振り向いた。
シャンデリアの明かりを受けたさらさらと音が聞こえてきそうな黒髪の光が柔らかに崩れ、黒い闇をかき分けるように現れた小顔の大きな瞳が三人を見た。
「どうしたんだ、テノール。それにカテラ嬢、アレックスまで。もう城を出たと思っていたぞ」
「そのつもりだったが」
髪の色と同じ黒曜石の瞳が初対面の三人を興味深く見つめ、キラキラと輝いている。
テノールが小声ではあったが鋭く「目を合わせるな」と二人に呟いた。しかし、その助言はわずかに遅く、七人の女神の名を持つ帝国の孫の瞳は、アレックスとカテナの脳裏にしっかりと焼き付いた。
その闇がテノールを見て、ふふふと笑い、声を掛けてきた。
「あら、テノール様。お久しぶりでございます」
「テノール、さま? お久しぶり?」
「テノール様、〝お久しぶり〟とは、どういうことでしょうか」
アレックスが王女の言葉をおうむ返しし、カテラが合点のいかない表情でテノールを見る。
「そ、それはだな」
どう説明したらいいのか思案しているような歯切れの悪い返事にカテラの機嫌がまさかまさかの憶測にどんどん悪くなっていく。
暗黒に染まっていくカテラの気配にテノールの顔色が青くなる。対して、その様子をおくびにもださず、表情、仕草も平常通りに振る舞う彼女の姿にアレックスが感嘆する。
(さすがアーロン家のお嬢様、大したもんだ)
テノールがペニーヴェガ王女を見る。
それを見て、ペニーヴェガの淡い紅の口角が「うふ」っと悪戯っぽく上がった。
その顔は「見る方向が違うのではないかしら」と言っている。しかも実に楽しそうに。
王子の横に立つシャーロットが意外そうに訊いた。
「ペニーヴェガ王女殿下、テノール様とお知り合いなのですか」
「そうなのよ」とペニーヴェガが鈴のようにコロコロと笑った。
その言葉にカテラが食いつく。
「ペニーヴェガ王女殿下。その経緯、詳しくお聞かせいただいてよろしいでしょうか」
「あなた、テノール様とお知り合いなの」
テノールの横に立つカテラがただの知り合いなはずがない。ペニーヴェガはわかりながら訊いている。
その様子にシャーロットがあわてて助け舟を出す。
「ペニーヴェガ王女殿下、彼女は私の友人で、テノール様の婚約者です」
その言葉にペニーヴェガが大仰に驚いてみせた。
その白々しさにカテラが一瞬、苦虫を噛み潰したような表情になり、瞬時に消した。
それを見たペニーヴェガが満足したように続けた。
「まぁシャーロット様のご友人。しかもテノール様の婚約者なんて。お名前を聞いてもいいかしら」
「アーロン侯爵家のカテラ・ティア・アーロンと申します。ペニーヴェガ・バルレティオン王女殿下」
アーロンの名を聞いた王女がなにかを思い出すように視線をはずすその様子を、カテラは見逃さなかった。そして確信する。
この王女はアーロン家の影の顔を知っていると。
「そんなかしこまらなくても大丈夫よ、カテラ様。シャーロット様のご友人なら私の友人も同様です。どうぞ、これからは気軽に〝ペニー〟と呼んでください」
「ありがとうございます、ペニー王女殿下。それで先ほどのテノール様のお話なのですが」
「カテラ、そのことについては後で僕から改めて説明させてくれないか。かまいませんか、ペニーヴェガ王女殿下。」
「テノール様のよろしいように」
「ありがとうございます。ペニーヴェガ殿下」
「テノール様、あとでキチン話していただきますよ」
とりあえずの危機を脱したテノールが一呼吸おいて、ペニーヴェガ王女に向き直った。
「ペニーヴェガ王女殿下、あなたが主席しているとは思いませんでしたよ。しかしパーティ会場ではお見かけしないように思われましたが」
「城に着いてすぐに気分が悪くなり、さっきまで用意して頂いた別室で休ませて頂いておりました」
「馬車も見当たりませんが、こちらには何で参られましたか」
「わたし、尋問されてますの」
「こいつ、王女殿下と踊れなかったことが残念で不貞腐れてるんですよ」
「アレックス、よくもカテラの前で」
「あら、それは済まないことを致しました。では次の機会には真っ先にお誘いを受けさせていただきますわ、テノール様。それであなた何処のどなたかしら」
問われてアレックスが姿勢を正し、恭しく膝を折り一礼する。
「このような場であれば略式で失礼致します、ペニーヴェガ王女殿下。アレックス・ノルマンデアと申します。以後、お見知りおきを。もし機会がありましたら、私とも一踊り、お相手いただけますか」
「初対面の女性に大胆な方ね。では機会がありましたら、ね。それでテノール様、わたしに何かご用意かしら」
「私は親友の危機に参上したまでですよ」
「私の危機?」
「気をつけろ、オリハミス。そいつはーーうぐっ、アレックス、何を」
「まったく、テノール、お前ってやつは」
アレックスが後ろから羽交締めにして口を手で塞ぐ。
それを剥がそうとする手をカテラが掴み、会場出入り口に向かって回れ右する。
「すいませんね、王女殿下。こいつ少し酔ってまして、夜風で覚醒させてきますので。失礼します。ほらテノール、行くぞ」
「僕は酔ってなんかーーアレックス、何をーー」
「テノール様、行きますよ」
両脇をアレックスとカテラにガッチリ固められて退場していくテノールを見送りながら、シャーロットが首を捻った。
「どうしたんでしょう、テノール様は」
「さあ、な」
オリハミスも「わからない」と首を振る。
その横でペニーヴェガだけが面白そうに笑っていた。その顔が何かに気付いたように「あら」とつぶやいた。
「オリハミス王子殿下、シャーロット伯爵御令嬢、ご歓談中に声を掛けるご無礼をお許しください」
「姫様、お迎えに上がりました」
燕尾服の男とメイド姿の女。二つの姿が忽然と音もなく三人の前に現れ、深く身体を屈めて一礼する。
その声にシャーロットが驚き、オリハミスが守るように前に出る。
「あらあら、いけない人たち。私の大切な友だちを驚かせるなんて。わたしの従者が失礼いたしました。二人には後でよく言って聞かせますので、それでお許しください、シャーロット様」
「い、いいえ」といいながら、オリハミスの後ろから動こうとしないシャーロットの横を、ペニーヴェガが二人に向かって歩き出す。
その足が何か思いついたように止まり、後ろの二人に振り向いた。
「ねえシャーロット様。このお詫びに今度、ご一緒にお茶でもどうかしら。あなたとはこれからも仲良くしたいの」
「ペニーヴェガ王女殿下からのお茶のお誘い……」
どうしましょう、と聞くようにシャーロットがオリハミスを見上げる。
オリハミスが優しくうなずき、シャーロットの代わりに答えた。
「そのお茶会ですが、私も同席させていただいてよろしいでしょうか」
「勿論、大歓迎よ。オリハミス様。では、後ほどご連絡差し上げますね」
会場出入り口の奥に消えるペニーヴェガを見送りながら、シャーロットがホッとしたようにため息をつく。
「大丈夫か、シャーロット」
「ありがとうございます、殿下。少し驚いてしまいました」
「それは私も同じだ、シャーロット。まるで最初からそこにいたように立っていた」
あの執事とメイドは不気味としかいいようがなかった。
何か恐ろしい、見てはいけないものを見たような気がして、オリハミスはそっと神に祈りを捧げた。
「わたしは最初に王女に会った時、なんて素敵な方と思いました。けれど、今は怖くてしかたありません」
「大丈夫だ、シャーロット。私が君を守る。絶対に」
その言葉にシャーロットの頬に赤みが差した。
「オリハミス殿下……お慕いしております、どこまでも」
でも、とシャーロットは思う。
怖いと思う反面、わたしもあんな風になりたい、王女のように。
私もあんな風に、いえあの半分でも堂々と出来れば。
さっきのこともそうだ。あれしきのことで動揺して。また、オリハミス殿下に迷惑をかけてしまった。
強くなりたい。オリハミスの後ろに隠れてばかりの自分から、婚約者として隣に堂々と立てる自分にシャーロットはなりたかった。
「ところでどうだろう、パーティは終わってしまったが、私ともうひと踊りお相手いただけませんか、シャーロット」
「勿論です、オリハミス殿下」
「シャーロット、二人っきりの時は呼び捨てで」
「オ、オリハミス……殿下。あ、あの今はまだ、これでお許しください」
どこからともなく音楽が流れ始める。
差し出されるオリハミスの手をシャーロットが取り、引き寄せる。
二人の息の合ったステップに、会場を片付けていた召使やメイドも思わず手を止め見入っている。
それを物陰からグラスを片手に眺める姿があった。
「相変わらず仲がいいね」
そう呟いて、二人を見つめたままグラスの中身を一息に飲み干す。
だからこそ奪いたくなる。
この国の第二王子シリウス・シンフォニーが踊るオルハミスに呟く。
「そろそろ大人の時間だぜ、坊や」
王太子の兄が王位継承の暁月には次期宰相にとの呼び声も高かったが、女性関係が派手で幾つもの浮き名を流す遊び人でもあった。
側近からの度々の苦言にも耳を貸すことはなく、父である国王も匙を投げていると聞く。
その様子を更に窓の外から箒に乗ったペニーがみている。
高度な遮断魔法が掛かっている。
両脇に執事とメイド、三人とも浮いている。
「魔女が箒に乗る。ベタですね、ペニーヴェガ魔女姫殿下」
その声にセロとヴィオラの片眉が僅かに上がる。
「あら、アンブローズ・マーリン先生。お久しぶりです」
「先生はやめてください。アンブローズと呼び捨てください。ペニーヴェガ魔女姫殿下」
黒いローブに腰に届く金髪を夜風に揺らしたメガネの顔がペニーヴェガの後ろに立つ。
この国の魔法ギルドマスター、シンフォニー王国第一席筆頭魔術師アンブローズ・マーリンが苦笑いを浮かべたまま、うやうやしく一礼した。
彼女はペニーヴェガの魔法の師となっているが、それは形だけのことだった。
プレアデス皇太后からペニーヴェガの師にと推薦された時、ペニーヴェガに彼女が教えることは何もなかった。
すでに彼女を溺愛、いや崇拝する最高水準の〝魔神〟二人を両脇に従えていた。
底の見えない深淵のような魔力量に圧倒され、自分の無力さを思い知らされた。
今はこのシンフォニー王国で魔法ギルドマスターをするかたわらで、宮廷魔術師第一席として城に入り情報収集する。
ペニーヴェガの従者、彼女の配下として動いていた。
「我が主人を魔女呼ばわりなど、無礼にも程がありますよ。アンブローズ」
「セロ、先生はいいのよ。私が許したのだから」
「一応、私も魔女姫殿下の配下、あなた方と同席なんですがね。殿下、あなたのその二匹の魔獣の手綱、少し抑えてもらえませんか」
対峙しているだけで、灼かれて蒸発しそうな魔力のフレアを感じる。
この二人は皇太后の話によれば古い神だというが、これをはべらす王女はなんなんだと問いてみたい。
「ほう、塵が私たちを獣扱いとは、その命知らずな無謀さは褒めて差し上げますよ」
「心臓を、いっそ魂を握り潰して上げる。身の程を知りなさい、魔術師風情が」
「その魔術師風情が毎回、あなた方の後始末に奔走しているんですがね」
「姫様のおこないに微力ながら関われるのです、名誉なことだと思いなさい」
「出来ればもっと別の栄誉にしていただきたいものですね」
「セロ、ヴィオラ、アンブローズも、いい加減よしなさい」
「しかし主人様、この塵風情が」
「こいつ、いっつも目障りなんですよ」
「塵って、私はこれでもこの国の筆頭魔術師なんですけどね」
「塵が! 主人様の前で無礼が過ぎますよ」
「おしおきが必要かしら」
「もう! わたしはよしなさいって言ったのよ。あーあ、興がさめちゃった。あなたたちのせいよ」
むくれるペニーヴェガに三人が慌て始める。
ポーズだけで本気で怒ってはいないことは百も承知しているが、少しでも彼女の気分を掻き回したことが三人にはかなりの罪悪感となっていた。
なんだかんだで三人共、三者三様にペニーヴェガを溺愛していた。
「お許しください、我が崇高なる魔女姫殿下」
「ごめんなさい、姫様。機嫌なおして」
「お心を察することが出来ず、執事として恥ずかしい限りです。どうかご機嫌をお直しください、我が主人様。
それで今後どのように進めるおつもりですか」
最後にセロがペニーヴェガにこれからどのような計画を進めようとするのかを聞く。
そのセロにあっけらかんとペニーヴェガが言った。
「どうもしないわ」
「つまらないですねー」
「あら、かわいいじゃない」
ぶーたれるヴィオラの声をかわして、再び二人だけのダンス会場に目を移し、思い出すように目を細める。
「お祖母様のところに飾ってあったオルゴールみたいで」
スイッチを入れると音楽と共に小さな銀盤の上をダンスするカップルの人形。
いつまでも幸せそうに。
まだ婚約者だった頃のお祖母様の初めての誕生日に亡くなったお祖父様から手ずから頂いたという、お祖母様の大事な思い出の品。
「あの玩具ですか」
「ああやって幸せそうに踊ってて、いつか突然壊れるの。素敵じゃない」
「壊させてくれるのですか」
ヴィオラはせっかちね。
「まだだめよ。幸せのまま壊れてもらうんだから」
「何か良いアイデアでも思いつきましたか」
「さあ、どうかしら」
セロの問いかけにペニーヴェガは楽しそうに足をパタパタと動かした。
「今回は魔眼を〝魅了〟を使われなかったのですね」
「わたしの魔眼を知っている人がいたの。幼い頃の元婚約者」
「ソプラード公爵の若君ですか」
「それもあるけど、つまらないかなーって思ったの」
「後片付けのことも考えてくださいね、姫殿下」
「それではさっきの罰にはならないでしょう、先生」
ふふふと少し顔をうつむかせながらペニーが笑った。
「ずっと欲しかったのよね、お祖母様のあのオルゴール。でも、あれは亡くなったお祖父様との大事な思い出の宝物。だからかわりを探していたの。そしてようやく見つけた。ふふふ、楽しみだわ。
それとあのお兄様方も愉快で素敵方たちね。
そんなに大事な弟ならガラスのケースにでも閉じ込めておけばいいのに。
そう思わない?
ねえ、セロ、ヴィオラ、アンブローズ、
あの自分を狼だと勘違いしている二匹の王子ちゃんたち、どんな風に動かしたら面白くなるかしら」
まだ夜は更け始めたばかり、
どんな夜明けをわたしに見せてくれるの。
手のひらで転がるシナリオを見ながら、黒衣のお嬢様がまた笑った。
護衛の騎士に囲まれた帰りの馬車の中、テノール、カテラ、アレックスが話をしていた。
「アレックス、すまない。助かった」
「まったくだ、テノール。オリハミスと何度も忠告したと思うがな、その暴走癖、矯正しとかないといつか足許を掬われるぞ」
「そんなことはこの私がさせません」
「カテラ」
「おうおうお熱いことで。で?」
からかうなアレックス。覚えてろ。
「で、とはなんだ、アレックス」
「あの王女様のことだよ。訳ありなんだろ。お前があんだけ取り乱したんだ、只事じゃないことはわかる。だが、あれは下手すりゃ国際問題だぞ。しかも相手は、かの『黒真珠』だ」
「言っている意味はわかっている」
「ならばお話し下さい、テノール様。私たちはあなたの味方です」
「ありがとうカテラ。君が婚約者で本当に良かった。アレックスも。君には何時も危ないところを救われている」
「ダチなんだから当たり前だろ。いつからの付き合いだと思ってんだ」
「まったくお前ってやつは」
カテラはこんな二人の関係を羨ましく思う。
友情? いいえ盟友ですね、アレックス様は。
「あのペニーヴェガ王女は〝魅了の魔眼〟の持ち主だ」
「〝魔眼〟だと」
「まさか、本当なのですか」
「本当だ」
「だとして、テノール、何故、お前が知ってるんだ。〝魔眼〟はどこの国も国家機密だ。実際に確認されている例だって三十例もない」
「それは、だな」
言い淀むテノール、そしてカテラを上目遣いに見つめる。
「テノール様、何か」
「カテラ、怒らずに聞いてほしいんだ。実は……」
「えー、元婚約者ぁああ!」
「アレックス、大声を出すな」
「だ、だってよー、初耳だぞ。あのお姫さまがお前の元とはいえ婚約者ーーって、カテラ嬢?」
「か、カテラ」
「こ、婚約者。あ、あのカラス女が、テノール様の、婚約者」
「カテラ嬢、『元』を付けよう、な」
しかし今のカテラにアレックスの声など聞こえていない。
「テノール様、ご説明を、ご説明をお願いします!」
二人の鼻先がぶつかる。馬車が揺れればキスしてしまいそうな距離でカテラが詰め寄った。