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ラケルタステイル  作者: 二篠秋士
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刻まれる恐怖

頬を伝う滴を拭いながら地面に寝かせた姉さんを見る。一見すると寝ているようにも見えるが触れてみるともうかつての温もりは感じることが出来ず、ただ肉の感触が返ってくるだけだ。


後悔や変えることのできない過去への思いはできるだけ涙とともに流し、先へ進む決心をつける。姉さんを置いていくことに抵抗はあったが、無理に引きずっていってこれ以上体を傷つけないように、草むらに隠し、後で戻ってくるための目印を残してその場を後にする。


未練がないわけではなかった。涙とともに流したと言っても全て流し切れるほどの未練の量ではない。しかし握りしめたリングが前へ進めと背中を押す。心の中で姉さんにお礼を言うと走る速度をあげた。




林を抜けると丘の上に出た。森では濃かった霧はかなり薄くなっていた。月は雲に隠れているがたとえ出ていたとしても月の光や手に持つ松明の光とは比べ物にならないほどの光量が右方から放たれていた。


村が燃えていた。家も、畑も、小屋も全てが火に包まれている。

目を凝らして見てみると魔獣化で巨大化したのであろう元家畜たちが暴れ回っている。ある魔獣はあらゆる建物をなぎ倒し、ある魔獣は畑を踏み荒らしながら走り回り、ある魔獣は火を吐きあたりを焼き払い、ある魔獣は他の魔獣を煽るように飛び回っている。


今朝作業していた家畜小屋は内側から破壊されたような跡だった。昼間シチューを食べた師匠の家は炎に包まれ、今朝目を覚ました家は跡形もなく崩壊していた。


幸い人が取り残されている様子はない。いったん村のことは頭の外に追い出し丘を下って避難場所へ向かう。




丘を降りている最中からその異変は感じられた。遠くに見える光源が忙しなく動くのが見える。そして避難場所へ近づくにつれてその惨劇を目の当たりにする。


そこは建物が立っているわけではなくただ街道沿いに人々が固まっているのみであり、身を隠す場所でも安全な場所でもなかった。そのため魔獣達の餌食になっていた。


勢いよく突進してくる魔獣に村人達が悲鳴を上げる。そしてその声をかき消すように魔獣達の鳴き声が響く。

声に混じって金属音も聞こえてくる。武器を持って対抗している人がいるのだろうが止まない悲鳴を聞く限り役に立っていないようだ。


獣は今もなお固まる光点に目掛けて突進している。

光るものを狙っているのか固まっている集団を狙っているのかはっきりしないが、固まっていることが危険だと判断した何人かの村人は散らばるように声を上げながら自分自身も距離をとっている。しかし、目に入る光源は次第に数を減らしていった。


町からの討伐軍はどこに行ったんだ?まだ到着していない?まさか全滅・・・


最悪の事態が頭の中に浮かぶが一際大きく響く悲鳴を聞いて我に返ると悲鳴のする方へ視線を投げた。


・・・そこにそいつは居た


唐突に現れたそいつは悲鳴を上げて逃げ惑う女性を三つの鋭い爪を使い、いとも簡単にその命を奪った。吹き飛ばされた女性が目の前に落下する。

女性の手から落ちた松明の煌々とした光が血のついた三つの鉤爪を写す。

激しく燃える炎を踏み潰して消したそいつは暗闇の中でも光る赤い目をしていた。


見覚えがあった。その紅蓮に輝く目を僕は一度目にしていた。目撃し、恐怖し、怖気付き、逃げ出した。

自分が感じた恐れが正しいものであったことを目の前の光景が証明している。

目の前でただの肉塊と化した体に刻まれた3本の傷が目に入る

重なるのは姉さんの背に刻まれていた大きな傷痕。


っっ!・・・こいつがっ!!


目の前の圧倒的存在には敵わないと頭では理解しつつも逃亡の選択肢を心に宿る憤怒の感情が否定する。

魔獣がこちらの存在に気づいたようで鋭い眼光をこちらに向けてくる。

たったそれだけで震えの止まらない全身が怒りで固めた心を崩していく。

不気味な風が吹き、魔獣と戦うための舞台を用意するように薄く残っていた霧が晴れていく。雲から顔を出した月がその獣の全身を顕にした。

現れた巨体は体高だけでも自分の倍はあった。全長はさらに倍すれば足りるかどうかだ。


思わず下げてしまった視線の先に一振りの剣が映る。首にかかった三つのリングを握りしめ己を奮い立たせるとその剣を手に取り、光る双球を真正面から睨み返す。


圧倒的なサイズを誇るそいつはただ突っ込んでくるだけでこの小さな体を蹂躙できるだろう。しかし、なかなか突進してこない獣にこちらから飛び込む決意をする。


それは襲い来るその魔獣を目の当たりにしたら背を向けて逃げてしまうと思ったから。

それはこれ以上睨み続けられると押さえ込んだ震えが戻ってきそうだったから。

それはここで立ち向かえなければ二度とこの魔獣には立ち向かえないと感じたから。


右手に持っていた松明を魔獣に向かって投げ、剣を両手で持ち、己を奮い立たせるように雄叫びを上げながら突っ込んでいく。


魔獣は前足で飛んできた松明を払うと僕の雄叫びに応えるように一度吠え突進してきた。

魔獣は激突する直前体を大きく起こし大振りの一撃をその巨体に似つかわしくない速度で振り下ろしてくる。


対してこちらは手に持つ凶器を前に突き出しているのみ。


結果は見えていた・・・


この場にいたのがこの二者だけだったなら。


「うぉりゃあああああああああああああああああああ」


霧の残る場外から雄叫びを上げたブランクさんが振り下ろされている剛腕を切りつけ軌道を変える。


軌道が変わったことによりバランスを崩した魔獣は前のめりに倒れてくる。先にあるのは突き出された剣。

その切っ先が魔獣の左目に突き刺さった。こちらの耳が痛くなるほどの悲鳴を上げ、魔獣はのたうち回る。


とっさに剣を手放して倒れてきた魔獣に押し潰されることを回避した僕はその光景を呆然と見ていた。イレギュラーなことが起こりすぎていて頭の整理が追いつかない。

固まって動かない僕の手を取るとブランクさんは魔獣から逃げるように霧に飛び込んだ。




「まったくあんな化け物がいるとはこれじゃ村のみんなが全滅しちまう。討伐隊はまだなのかよ」


手を引きながら何やらぶつぶつ呟いているブランクさんはこちらを見ると険しい表情を崩す。


「それにしても昔から好奇心旺盛だったが、泣き虫で逃げてばっかのアル坊があんな化け物に立ち向かうほど成長するとは・・・喜んでいいのか悪いのか」


危険な状況に変わりはないが誰か一人でもそばにいてくれるだけで心への負担は減る。荒れていた心は次第に落ち着いていった。しばらく悩ましいといった風の表情を浮かべていたブランクさんは気持ちを切り替えたように厳しい表情に戻すと警告を発した。


「でもいいか、次からは戦おうなんてことは考えるなお前が今するべきことは逃げることだ、戦うことじゃない」


「でも・・でも・・あの魔獣は・・・姉さんを・・・・・」


姉さんの仇を前に逃げろと言うブランクさんに押さえきれない感情が口から漏れ出てしまう。そして一度漏れ出た感情は歯止めが効かずに体外へ放出される。


「あの魔獣は姉さんを殺した!叫んで逃げる村の人の背中に襲い掛かった!あのまま放置していたら他のみんなも殺されちゃう!」


泣き叫ぶ僕を見てブランクさんの顔が強張る。下を向き、歯軋りが聞こえるほど歯を食いしばると、険しい表情で言葉を発した。


「いいかもう一度言う、次からは戦おうなんてことは考えるな、お前が今するべきことは逃げることだ、戦うことじゃない。あの化け物は俺が倒してくる。大人は子供を守る義務があるからな」


そこで一拍おくと言葉を続けた。


「そして大人に義務があるようにアルフたち子供にも義務がある。それは生き延びて大人になることだ。大人になってより多くの命を救え。今のお前では救えない命がたくさんある、だがお前が大人になれば救えるかもしれない。だから、誰も救えないうちに死ぬな。誰かを救えるようになってから死ね」


その言葉に動かなくなった姉さんの姿が思い浮かぶ。

救えなかった命。もしも僕が大人だったら救えていただろうか。

今の僕では思いつかないようなものを使って、今の僕では思いつかないような方法で。


今の僕では何も救えない。それどころか僕を助ける為に犠牲になる人が出てしまう。落ち着かない気持ちを押さえ込むと思い切り息を吸い込みはっきりとした声で言い切る。


「僕は生きる!誰かを救えるように、今僕が救えない人以上の人を救う為に」


その言葉を聞いて満足したのかブランクさんは霧がすっかり晴れた場所に出ると走る速度を徐々に落とし立ち止まって僕の手を離した。


「俺とはここでお別れだ。さっき自分が言った言葉忘れるなよ」


僕が力強く頷くと再び霧の中に消えていった。




ブランクさんがいなくなってからしばらく経った。空を見上げると先ほどまで月を覆い隠していた雲がすっかりなくなっている。ここは霧の外なのであたりの様子がよく伺える。

ちなみに見える範囲に人も魔獣も確認できない。それどころかつい先ほどまで聞こえていた魔獣の声や人の悲鳴が聞こえなくなっていた。


みんなバラバラに逃げられただろうか、それとも・・・


「ううん、きっと大丈夫なはずだ。非力な僕でさえまだ生きているんだ、みんなどこかに隠れているだけだ」


最悪の想像を頭の中から追い出すと霧の反対側、町へと続く街道に目を向ける。


討伐軍はまだだろうか、おそらくもう日付は変わっている時間帯だろう。魔獣が出始めたのが夕方くらいだとするともう到着していないとおかしいくらいだ。


しゃがみながら町の方角の地平線を眺めていると次第にまぶたが重くなっていく。今日は朝早くから家畜の世話をして、昼からは森の散策、夕方からは魔獣からの逃亡、夜になってからは姉さんの死や魔獣との戦いと体力的にも精神的にも限界に来ていた。

加えて辺りには人の気配も魔獣の気配もない。とりあえず安全な場所にいるという気の緩みによって疲れは押し寄せ、眠気は最高潮に達していた。


肌を撫でる冷たい風だけが意識をつなげる役割をしていた。縋るように服の内から取り出した三つのリングを両手で包み込むように持つ。残る意識も睡魔の海に浸かってしまう直前に視線の先に光点が現れた。


その光が夢現となっていた自分の幻覚でないことを確かめる為に立ち上がって目を見開く。


それは幻覚ではなかった。次々と増える光点に安堵の息が漏れる。そして居ても立っても居られなくなり思い切り手を振った。明かりを持たない自分のこの行動はまず間違いなく見えないだろうがそれでも手を振られずにはいられなかった。


ようやく長い1日が終わる。辛いことがあった、怖いことも、悲しいこともあった。でも自分は生き抜いてやったんだとそう思えた・・・が


どうやらこの世界は今日この日を生きても死んでも苛まれる傷として僕の心に刻み込みたいらしい


ここしばらくは感じなかった生き物の気配が背後から漂ってきた。人ではまず出せない、村や集団を襲っていた魔獣たちにも出せないだろう。悍しく、研ぎ澄まされた圧倒的強者の気配。


次にその姿を見たら今後一生夢の中でうなされるであろうことを確信しながらも、覚悟を決め振り返る。


俺の脳裏に焼き付いていた朱眼はひとつになっていて、左肩には見覚えのある剣が突き刺さっていた。


ブランクさん・・・


彼は戦おうとした僕に逃げろと言った、生き延びろと言った。しかし、この状況ではもはや選択肢すら存在しない。戦うための道具も、身を隠すものも、逃げるための知恵と身体能力も何もかもが存在しなかった。


討伐隊はまだ地平線だ、到着する頃にはここでの出来事は全て終わっているだろう。覚悟を決めて大きく息を吸うとまるで自らを供物として捧げるように前に踏み出す。

・・・とそこでおかしなことが起こった。


魔獣は己の左肩に刺さっていた剣を抜き取るとこちらに蹴ってよこしたのだ。


全くなかった選択肢に唯一の選択が生まれる。しかしそれは禁止された選択肢だ。魔獣は剣を取ることを躊躇している僕に襲い掛かってくる気配はない。

もとは決闘を好む獣だったのだろうか。今は襲ってくる気配はないがいつまでも剣をとらずにいると流石に襲ってくるだろう。

頭の中にあらゆる感情、考えが渦巻く中、止まっていた息を吐き出すと結論を出した。


逃げるため、生き延びるための戦いなら許してくれますよね。


三つのリングに力をもらうと足元の剣を拾った。勝算はない。けどそれは殺し合いでの話。逃げることが勝利条件なら少なくとも不可能ではない。


疲れの溜まっている両足の感触を確かめると前回対峙したときのようにこちらから打って出た。

こちらが動き出したのを見て突進してきた魔獣に対し相手の出方は全く伺わずに魔獣のの右前脚付近、こちらから見ると左下に飛び込む。


・・・決闘前、月明かりに照らされた魔獣を見て気づいたことがある。右の前脚にはびっしり付いていた血肉が左前脚にはほとんどついていなかった。

仮に右前脚で襲ってきた場合左前脚の方に逃げると追われて爪が届いてしまう。その点、右前脚の方に飛ぶと最初に一度躱せば爪は届かない。

魔獣は大振りの攻撃してくるため思い切り飛び込めば躱せないことはないだろう。

加えて決闘まがいの行為を好むあの魔獣は戦闘経験が豊富であるため、左目によって死角になった場所からの攻撃を警戒している恐れがある。


その事前の考えをもとに実行した作戦は見事成功した。即死級の一撃を回避し、その勢いのまま追って来られないようにするため右後脚に狙いを定める・・・が甘かった。


魔獣は振り下ろした勢いのまま体を回転させ狙われていた右後脚で逆に鋭い一撃を放ってきた。避ける術はなく腹部に直撃し吹き飛ばされる。



痛い!痛い?!痛い!!痛い?!熱い!痛い!!痛い!熱い!?痛い!!



初めて感じる地獄の痛みに気が狂いそうになる。もう相手の魔獣のことなど頭にない、この内から湧き出て止まらない痛みに全てを支配される。

腹を抱えるように丸まりながら苦痛の叫びを上げる。腹から漏れ出した血液が地面を伝って伏していた左頬を同じ色に染める。

燃え上がるようなこの痛みから解放させるためならなんでもいいとさえ思えてくる。


痛い・・苦しい・・辛い・・・・・・もう死んでしまいたい


そう思い涙に濡れた目を薄く開けると、涙にぼやけた視界の中でも、朦朧とする意識の中でも、血に染まった状態でも、はっきりと感じることの出来た薄く光を放つリングがあった。


もう痛いのは嫌だ、苦しいのも、辛いのも、だけど最後に否定してしまったものだけは決して拒絶してはいけないものだった。


・・・・・死にたくない・・・生きたい!


熱くなく心とは対照的に燃えるような熱さだった体は次第に寒くなっていく。なぜか徐々に痛みが引いていく。薄れゆく意識の中で繰り返し唱えた。


死への拒絶を、生への執着を


霧の中へ消えていく魔獣の姿を最後に僕の意識は途切れた。


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