2b-2 賢者の時間
「落ち着いたか?」
と捕虜上がりが俺に聞く。
「落ち着いた」
凄く落ち着いた。
***
御披露目興行の一日目は成功裏に終わった。
残酷な流血ショウに観客は満足顔で帰っていき、お気に入りを決めた連中は帰り際にその剣闘士に賞賛の声なんかをかけていく。後には血で汚れた闘技場と、初めての闘い、とも言えない一方的な虐殺を終えた新人剣闘士達が残された。退出する観客に愛想を振りまいていた俺達は、最後の客が闘技場を出た後も、周辺の客が捌けるまで待機するように言い渡された。
集団戦の後は片付けが大変だ。死体運びの台車と整地用の部材を積んだ台車が運び込まれて、ぶっ散らばった手足や折り重なった死体、なぜか腹からすごい長さが引きずり出された腸などを片付けていく。流された血が乾きはじめて、特に血が溜まった窪みなんかは乾いて表面がつるつるになり、流れる雲を映している。整地係がそんな血の上に砂をかけてまわり、徐々に闘いの跡が消えてゆく。
俺は兜を外すと蒸れて痒かった頭をガリガリ掻いた。そこで捕虜上がりが寄ってきて、落ち着いたかと声をかけられたわけだ。
「なんで集団戦かと思ったが」
と捕虜上がりが言う。
「血を知らん連中をさっさと血に酔わせて、自分達が殺しの技術に長けていると理解させるには上手い手ではあるな。……どうした?」
俺は両手で顔を覆っていた。
捕虜上がりは冷静だった。おそらく言っていることも当たっているのだろう。さすが戦争経験者、上の考えもお見通しで自分をしっかりと御せている。
それに引き換え俺の方は、まんまと目論見にド嵌まりして、興奮したチンパンジーのように奇声を上げて、笑い声をたてながら殺しを楽しんでいた。
爆発した感情が落ち着いてきた。いわゆる賢者タイムになって襲ってきたのは、猛烈な羞恥心だ。
「はぢゅかちい」
「耳まで真っ赤だぞお前」
「かんべんして」
なんとか気を取り直してまわりを見れば、まだ血に酔っている奴が愉しげに大声でしゃべる一方で、肩で息をしながら呆然としている奴や、興奮が冷めてきて負った傷の痛みに顔をしかめている奴がいる。それぞれが最初の闘いを噛み締めて、何かしらを得るか失うかしているのだろう。その中から、女顔が俺達に気付いて合流した。
「やっぱりこの姿だと舐められるみたいだね」
胸を覆う布切れをちょいと引っ張り、汗に光る肌を風に晒しながら女顔が言った。こいつも軽く上気していて、化粧と口紅が相まって妙な色気を発している。
「舐めるというか、目立っていたからだと思うがね」
と捕虜上がりが感想を言う。
「金属で身を固めたむさ苦しい野郎の中に、ひとり女みたいな格好の奴がいりゃあ」
なあ、と同意を求められるのに頷きつつ、俺と捕虜上がりは、なんとなく女顔の胸元から目を反らした。
「なんで余所を向くのさ」
なんでもない、と二人して誤魔化した所で、訓練士達が撤収準備の声をあげた。
***
得物と防具を武器係に返し、水場で頭から水を浴びる。血や汗、泥の類をよく流すのは、単に汚れを落とすだけではなく、血でうつる病気なんかに罹らないためでもある。それから怪我をした間抜けは医者のところに、残りはマッサージ師のところに行かされる。明日以降の闘いに備えてマッサージ師に腕や背中の凝りを解されて、その後はいつも通り飯を食って寝るだけだ。
そこでちょいちょいと手招きされて、俺は『理屈屋』に呼び出された。
「骨に当てんなっつってんだろうがよ」
興行中なので鞭こそなかったが、『理屈屋』の説教は厳しかった。血に酔っていた俺の一挙手一投足に駄目出しが入り、あの時はああすれば良かった、この時はこう対処しろと絞られる。首をすくめて「はい」とか「うー」とか言う俺を一通り詰め終わった後で、『理屈屋』はでっかい溜め息を吐いた。
「だが、あの蹴りは良かった。あれは自分で考えたのか?」
俺は無言で頷いた。
剣闘士は手に武器を持って闘う。何を当たり前の事を言ってやがるかと思うかもしれないが、つまり両の手に重い荷物を持っているということだ。
俺達が習った剣闘士の闘いの基本は、常に相手を視界に収めて、その動きに即座に対応できるようにする事と、常に脚を動かし続けて、相手に主導権を与えないようにする事だった。
ということは、そのどちらかをなんとかできれば闘いでは有利に立てる。例えば、できるだけ太陽を背負って打ち合うとか、相手より早い脚でかき回すとかだ。
その手の工夫の一つに、相手を転がすというのがある。死刑囚相手に体当たりを使っていた連中がこれで、相手の姿勢を崩して片手の一つもつかせてやれば、そこで脚が止まるというわけだ。
俺はここで一工夫して、相手を転がすために腹より高い位置に足裏を使った前蹴りを食らわせていた。武器を抱えた人間の重心は結構高い。上手くいけば後ろにすっ転ばすことができる。
「お前、前に話した隠し玉を考えたな。外せばよろけるような技でも、見せ札としてなら充分だ」
さすが『理屈屋』だけあって俺の考えもお見通しだ。俺の前蹴りは体格頼みの大技で、体重を乗せているので外せば隙を見せる事になる。ならば、まずは一発大技を見せて、相手にそれを警戒させればいいと言っていた。
視界と脚。俺はすでに頭をすっぽり覆う兜のせいで視界では不利になっている。こういう小さい工夫でそれを潰していく必要があった。
***
さて、ここで一つ疑問があった。珍しく訓練士に誉められた俺ではあったが、剣闘士興行の最中にわざわざ一人を呼び出して、あれこれ忠告だの助言だのをするというのはちょっと普通ではない気がする。
俺が訓練同期の中で抜きん出た腕で一目置かれている、などということはないだろう。腕で言えばおそらく捕虜上がりが一番だし、俺は仕立てられた格好からも、どちらかというと色物枠だ。
そのあたりを『理屈屋』に尋ねると、さっきまでベラベラしゃべっていた奴が口を噤んだ。その時は気付かなかったが、それは訓練士としてではなく、元剣闘士としての義憤と憐れみだったらしい。
「お嬢さんのご指示でな」
と『理屈屋』は俺に告げた。
「あの女顔と闘う時に、顔を傷付けるのは駄目だって話だ。あの美形だから、客に人気があるんだと」
またまた難しいことを。
2020/9/22 サブタイトル修正