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2b-1 殺しの時間

 闘技場の端と端に、それぞれ剣闘士達と死刑囚達が立っていた。観客席は流血を楽しみにしている連中でぎゅうぎゅう詰めで、酒の杯をぶつけ合い、友人と肩を組んで笑い声を上げ、闘技場に向かって野次や声援を送っている。

 街の有力者や招待客は一般客から分けられた闘技場全体を見渡せる日除け付きの席で、優雅に果実を摘まんだり、ゆるゆると酒を飲みながら俺達下々の様子を眺めている。ちなみに俺達の剣闘士団の持ち主であるお嬢さんもその席にいて、他の客に可愛らしく挨拶なんぞをやっている姿が見えた。

 剣闘士達は自分達の命綱である観客の機嫌を取ろうと、色鮮やかな装いで観客席に向けて両腕を上げ、あるいは盾を打ち鳴らし、己が姿を見ろと訴えている。

 外国風。謎の美人姿。頭全体を飾り気のない兜で覆った鎖を引きずる野蛮人。自由民剣闘士が華やかな正規兵風の鎧姿で剣を突き上げ、毛皮姿のイビキ野郎がオオカミのような雄叫びを上げる。

 俺達剣闘士の相手をする事になる死刑囚達の姿は哀れなものだ。無理やり持たされた武器の重さに四苦八苦し、ビビってずるずると壁際に後ずさるのを見張りの私兵の手で前に向かって突き飛ばされ、観客席からの戦え、そして死ねという、うねるような声に震えている。

 楽士達が飾り布付きのラッパを持ち上げ、吹き鳴らす。

 進行役が一段高い台に駆け上がり、剣闘士興行の開幕を告げる挨拶をする。

 大歓声の中で死刑囚達の罪状が読み上げられ、殺された奴隷所有者が如何に優しい主人だったかが訴えられる。そしてその死を防げなかった家内奴隷達の罪が如何に恐ろしい事かも。

 進行役に応えるように、観客が殺された主人の為に悲嘆の声を上げ、恩知らずな死刑囚達に怒りの声を上げる。

 茶番だ。

 だがその茶番で闘技場の空気が暖まったのも事実だった。進行役がすました顔で一礼すると、視線を有力者達の席へと向けた。

 進行役の視線に釣られて、その場の全員の視線がいつの間にかしずしずと前に出ていたお嬢さんに集中する。

 お嬢さんはその視線にたじろぐ気配も見せやしない。権力を持ち、権力を振るう事に慣れた者だけが身にまとう傲慢と気品。

「始め」

 お嬢さんが一言告げた。

 そしてそれが合図になった。


   ***


 歓声を背に受けて、俺達剣闘士がゆっくりとその歩を進めていく。死刑囚の中にも意を決したのか、仲間に声をかけて武器を構えて前に出てくる奴らがいる。

 死刑囚達が早々に諦めては面白くないからと、奴らには剣闘士ひとりの命に付き数人を許すと伝えられている。生死を賭けた闘いで勝てるのならば、神の許しがあるのだという決闘裁判の理屈が付けられているらしい。

 もっとも、まともに闘えば勝ち目がないのは目に見えている。死刑囚側は、剣闘士を部分的にでも数で上回るために、闘技場で打ち合う時にわざと頭数を偏らせて(むら)を作る必要がある。

 もちろん、そんな動きを許すつもりもないのだが。

 剣闘士と死刑囚の距離が縮まっていく。最初からガチガチで武器を構えている死刑囚に対して、俺達剣闘士はだらんと剣や盾を下げている。それが近づくにつれて『構え』の姿勢に切り替わる。叩き込まれた技術(わざ)が、考える前にその身体を動かしているのだ。

 緊張感に耐えられなくなったのか、まだそれなりの距離がある中で身長(たっぱ)のある死刑囚の一人が、叫びを上げて走り出した。切りかかって行った相手は、与し易しと踏んだのか俺達の中では軽装な女顔だ。女顔は振り下ろされた剣を盾を使って容易く流すと、開いた死刑囚の腹に自分の剣を突き立てた。

 見えない緊張の糸が切れた。


   ***


 死刑囚と剣闘士が激突する。振りかぶった剣が走り、後にはぶちまけられた血が残る。

 捕虜上がりの前には盾を捨てた死刑囚が二人ほどやってきて、両手で持った剣で左右から挟み撃ちにしようと動いていた。捕虜上がりは左手の敵の顎を円盾のふちの一撃で叩き割ると、下からの鋭い切り上げで右手の敵の剣をその指ごと切り飛ばした。崩れ落ちて指の飛んだ手を抑えていたそいつは、首もとにとどめを貰って息絶えた。

 債務奴隷と犯罪奴隷の二人組は盾に肩を入れた重い体当たりを決めて死刑囚達を転がしていた。転がされた連中は起きあがる前に蹴りと剣とが降ってきて、そのまま二度と起き上がれなくなった。

 集団戦ともなれば混乱の中で剣闘士側にも傷付く奴らが何人かいた。毛皮姿のイビキ野郎は背中からの不意打ちをなんとか避けたが、脇に浅い傷を受けていた。傷を負わせた死刑囚は自分の手柄に喜びの表情を浮かべかけたが、振り向いたイビキ野郎の横殴りの剣に腹をかっさばかれて、びちゃびちゃと中身をこぼす羽目になった。

 女顔は大人気だった。次々と死刑囚が向かってくるのを、ぐっと引いた剣を勢いよく突き刺して、撫でるように振った剣で耳と頭皮を剥いてやり、ふわりと飛んで低い攻撃を交わしている。

 さて、俺は。


   ***


 俺は死刑囚の頭を叩き割るので大忙しだった。元は家内奴隷の死刑囚達は、俺より頭一つ小さいような奴も珍しくなく、剣を振るといい具合に頭を殴る事になった。

 重めの大盾を左手に持ち、ドスドスと歩いては向かってくる連中の頭を割る。俺の視界の悪さに気付いて回り込もうとする奴には一直線に蹴りを食らわせ、よろけるその脚に盾のへりを落として砕き折る。

 訓練士には、相手の骨に武器を当てるのは不味い手だと教わっていた。骨という奴は結構固くて、当てようが悪ければ容易く自分の手首なんかを折ることになるからだ。例えば、相手の脇腹に剣を刺すときも工夫が必要で、刃を縦にすると肋骨に阻まれるので、剣の平を横にして骨の隙間に滑り込ませる必要がある。

 知るかよ。

 よくあるフィクションなんかでは、現代日本から異世界に来た主人公が殺しに苦労するなんて話がある。初めての殺しでショックを受けて、泣いてヒロインに慰めて貰ったりとかそういう奴だ。

 俺の異世界転移(プレインズ・ウォーク)はそんな人間らしさを保てるほど立派なものじゃあなかった。飛ばされてからこっち、ずっと殴られ蹴られが当たり前だったのだ。

 普段はなるべく考えんようにはしていたが、俺はかなりこの世界と今の自分のざまを憎んでいた。そんな中で、思う存分力を奮えと言われたらどうなるか。

 楽しい。

 俺の手で人が死ぬのが楽しい。目の前で仲間を殺された奴が見せる、怯えた顔が楽しい。

 戦う気力もなく啜り泣く女と、それを庇って精一杯の勇気を振り絞って立つガキを一緒くたに切り捨てて、まとめて踏みつけにするのが楽しい。

 腹の奥に押し込めていた感情が、徐々に大きくなって抑えられなくなっていく。


 気がつくと俺は、他の剣闘士連中が振り向くような甲高い奇声を上げて、この世界に来てはじめて大声で笑っていた。

2020/9/22 サブタイトル修正

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