2a-2 殺しの準備
普段の剣闘士団の敷地は男の世界だ。汗まみれの男達が武器を振るい、訓練士達がそれを厳しく鍛え、警備の私兵達は油断なく鋭い目でその姿を追っている。
打ちのめされた男達は人の心を失っていく。訓練士が与える怒声と鞭が、熱した鉄をぶっ叩くように火花を散らして、訓練生の心と身体を剣闘士という器に押し込めていく。
そんな敷地の様子が今日はがらりと変わっていた。着飾った観客が溢れんばかりにうろついており、闘技場の周りの通路には簡単な物を食わせる店や酒を出す店、人気の剣闘士の横顔を彫ったメダルや小さなおもちゃの木剣なんかを売る店が出て賑わっている。奴隷をお供にした金持ちに、ささやかな小遣い銭を持った自由民。籠一杯の花びらが撒き散らされ、皆が楽しそうに言葉を交わし、目前に迫った血の饗宴を待っている。
剣闘士興行がはじまったのだ。
***
「御披露目興行だけどな」
「うん」
その剣闘士興行が始まる何日か前、飯の時間に捕虜上がりが話を振ってきた。俺と女顔は食いながら続きを待つ。
「聞いた話だと、一日目はまず新入り全員で死刑囚相手に集団戦らしいぜ。死刑囚の半分は女子供だって話だけど」
「うん。うん?」
死刑囚に女子供て。
首を傾げる俺に対して、女顔は心当たりがあるのか「あー」みたいな納得の声を出していた。
「それはあれだね、どこかの家内で主人殺しがあったんだ」
どゆこと? と捕虜上がりと二人してキョトン顔をすると、女顔が奴隷事情に疎い俺達に説明してくれた。
「時たま奴隷の扱いが下手くそな主人ってのがいるんだけど。しないでもいい折檻をやったり、締めるところを締めなかったり」
そうするとどうなるかというと、その主人は奴隷から恨まれるか舐められる事になる。恨みは積み重なり、舐めた態度は家内の秩序を崩していく。
「で、なにかの機会にそういうのが一気に噴き出すとね、主人殺しが起きるわけ」
理不尽に打ちのめされた奴隷の自暴自棄な復讐、乱れた家内秩序からの混乱と暴力、そういったものが愚かな主人を死に追いやる。
主人殺しは家内奴隷の連帯責任だ。ある奴隷の行いは他の奴隷も気付くはずであり、主人殺しが起きた時点でそれは止めなかったか止められなかったかだとして主人への反逆だとみなされるのだ。
「というわけで主人殺しが起きると家内奴隷全員が死刑になる」
「ひでぇ理屈」
女顔の説明を聞いた捕虜上がりがうんざりした調子で言った。奴隷剣闘士はまさに理不尽に打ちのめされている身分だ。捕虜上がりは、巻き添えで死刑になる家内奴隷にある種の共感か同情を覚えているようだった。
「つうかガキ殺さなきゃなのかよ、ええ?」
「まぁねぇ」
嫌そうに同意を求める捕虜上がりと、相槌を返す女顔。俺は少し考えてこう答えた。
「大人より動き、おそいから、殺しやすそう」
俺の答えを聞いた二人が引きつっているのに気がついたのは、飯を食い終わったあとだった。
***
新入り剣闘士の御披露目興行は数日かけて行われる。その中身は新入り剣闘士の闘いだけではなく、むしろそいつを前座としたベテランの闘いの方が本命らしい。
新入りを午前に闘わせて、午後からベテランの闘いを見せるのが基本日程となる。午前中がしょっぱい闘いで客席が冷えても、午後で取り返そうという算段だ。午前午後とは言ったが、要は昼飯前と後の事だ。
その中で、一日目だけは噂の通り、死刑が決まった家内奴隷相手の集団戦となる。死刑囚達にも武器だけは好きなものをとらせているが、防具はなしの普段着姿だ。若い男に若い女。年寄り、中年、髭も生えていなさそうな子供。
翻ってこちら側、今日で訓練生ではなくなる新入り剣闘士達はそれぞれが派手な闘技場映えする装備に固めている。
「個性ってやつが大事なのさ」
俺達三人組の面倒をよく見ていた『理屈屋』の訓練士の言葉を思い出す。
「一見の客に剣闘士の違いなんてわかるもんかよ。目の肥えた奴なら動きや癖で区別出来るって話だが、まずはバチっと目立つ姿じゃないとな」
というわけで訓練士は寄ってたかって俺達新入りを個性的な姿に変えていた。
例えば、捕虜上がりは自分の国風の装備に身を固めている。といっても俺は初めて見るので本当の所はわからんのだが、半径が握り拳から肘ぐらいの長さの円盾に、すこし短めの肉厚な直剣、馬の鬣のように派手な羽根飾りがついて顔まで覆う兜に、柔らかい腹を覆う腹巻き状の胴鎧。利き腕と膝下にはいつもの籠手と脛当てだ。
女顔はその美形を生かす方向になったらしい。兜は被らず、金属付きの額当てを巻いて顔は丸見えになっている。細い紐で顔を撫でて産毛を抜き、目を大きく、頬の線を柔らかく見せる化粧をして、唇に紅を差している。そして誰が思いついたのか、普段剥き出しも当たり前の胸を、わざわざ布で隠している。首にかけて前に垂らした長めの布を胸の前で交差させ、脇に通して背中で結ぶ。二本の布が斜めになって、ちょうど乳首を隠す形になる。あとは剣も盾も普通の直剣と四角い奴だ。
そして俺は、頭をすっぽり覆って目と耳の所に小さい穴が開いているだけの金属兜、長方形の大きめの盾、そして直剣。手首足首に千切れた鎖、ふんどし姿。
視界は狭く音も聞こえにくい。まともな防具はつるっとしたその兜だけ。
「お前は体格がいいからな」
と、兜越しのくぐもった声で『理屈屋』が説明したものだ。
「鎖を引きちぎる野蛮人で売ることにした。兜はハンデと、その、あれだ。お前の顔だと売れなさそうだし」
俺はうなり声を上げた。
2020/9/22 サブタイトル修正
2020/9/22 フンドシ表記をふんどし表記に修正
2021/6/5 御披露目興行の開催期間の表現を変更